天使の到来

 

「陽気なハッカー」

 

『Hi!Are you happy?』 という、テンションの高い英語を唐突に発した月のパソコンは、その後もマシンガンのようにネイティブイングリッシュを叩きつけてくる。
 スラング混じりの外国語に、月はついていくだけで精いっぱいだったが要は、『自分はワイミーズハウスの住人でパソコンの管理をしてる者、さっきから侵入を試みているあなたはどなた?』と言っているようだった。
『こんなガンガンモーションかけられたの初めて〜!女の子だったら惚れちゃうかも。ねえ、ウェブカメラないの?ウェブカメラ。顔見せてよ』
「な、ないよ」
 思わず口にすると、しっかり届いたようで『なあんだ、男かあ〜がっかりー』という言葉が返ってきた。
 パソコン自体にマイク機能はあってもインストールしていなかったのだが、月のパソコンは完全にハッキングされてプログラムも書き換えられてしまったらしい。こんな短時間までそんなことまでできるとは、どれほどの腕の持ち主なのだろう。

『名前、なんていうの?』
 無邪気な口調で聞かれ、思わず 「ら、月」 と答えてしまった。月の言葉を聞いて、向こうも日本語に切り替えてきたので、そこに毒気を抜かれたのかもしれない。

『ライト、かー。俺はマット。よろしく〜』
「マット…」
 茫然とつぶやいた月の声に反応して、マットはけたたましく笑った。
『ってか、そっち日本でしょ?こっちは夜だけど、そっちってまだ早朝なんじゃないの?朝から元気だねー』
「そこって、孤児院じゃないのか?」
『そうだけど』
 こともなげにマットは答えた。
『今、夕飯食って帰ってきたとこ…帰ってきたら、侵入者警戒プログラムがパカパカ光りまくってるから何事かと思った』
「Lに会いたいんだ」
 自分の一心を分かってほしくて何の前置きもなく本懐を述べると、マットは一瞬黙り、それからまたしても回線の向こう側で気が狂ったように爆笑した。

 

『あはは、すげえ、なんで?なんで今L?』
「なんでって…ただ、会いたいんだよ、あの放送を見たんだ、そうしたら、無性に…会って話したくなったんだ」
『日本に居るライトが?』
「そうだよ」
『…………………………会ってどうするの?』
 マットの声のトーンが少し落ちた。

「分からないよ、ただ…ただ、会いたいんだ」
 自分だって、どうしてこんなにLに会いたいのかなんて分からない。会ったことも、顔も名前も分からない人間が、自分という人間の何かをすっかり変えてしまった。分かっているのは声と、多分若い男性だろうということだけ。そんな彼を知って以来、完全体だと思っていた自分に足りないパーツがあるのだと気付かされてしまったのだ。彼に会ってなんらかの答えを得ないと、その不完全なパーツの部分は一生埋まることがないのだ。

 マットの口調からここに手掛かりがあると確信した月は、そんな自分の心情を必死で訴えた。ようやく掴んだとっかかりなのだ、離すつもりはない。

『エルねー…』
 月の話を聞き終わってから、マットは思い馳せるような口調で言った。
『世界的探偵のエルなら友達だけど』
「そうなのか?」
『うん、もしイギリスに来られるなら、紹介してやってもいいよ』
「本当に!?」
 月は思わず椅子から立ち上がった。
「す、すぐ行く…!いや、すぐは無理かもしれないけど…パスポート作って、車の免許取って、旅費貯めて…三ヶ月待ってくれれば」
『いいよ。ワイミーズハウスの場所わかるよね』
「ああ、知ってる」
『じゃ、来たら連絡して?』
 最後に電話番号と思われる数字の羅列を述べると、また唐突に通信は途切れた。画面はポップな「M」から暗いモニターに戻り、電源を入れなおすが、侵入された形跡はもうどこにもなかった。

 

 睡眠をとってから、月は家庭教師派遣会社に電話した。学生が高額のバイト料を稼ぐには一番手っ取り早い。東大主席合格の自分なら、引く手あまたでかなりの報酬が期待できる。
 思った通り、登録してからすぐに希望が殺到し、月は入れられるだけ家庭教師の予定を入れた。受験生だった頃よりよほど忙しくなったが、イギリスに行ってLに会うためと思うと何の苦もない。
 パスポートも申請し、誕生日を迎えたら両親に頼み、すぐに自動車学校に行った。Lを探すのに運転が必要になることもあるだろうと思ったのだ。この時ばかりはバイトより免許取得を優先したので、最短と思われる期間で免許をとることができた。そしてまたバイトに没頭した。
 四月に大学の入学式を迎えるころには、月の手にはすでにかなりの金額がたまったが、まだ足りないと思われた。月は必要最低限の授業だけ出席し、あとはほとんどバイトをして過ごした。他の学生に遊びに誘われても一切乗らなかったし、何回か女性に交際を求められたが、忙しいという理由ですべて断った。
 両親もそんな月を見て何も言わなかった。受験前に爆弾を落としておいて正解だったと月は思った。
 妹だけは「お兄ちゃん付き合い悪くなった」とブーブー言ったが、「もう大学生だから仕方ない」となだめていると、そのうち諦めてくれた。

 

 そして夏を前にして十分と思われる資金が手元に溜まり、両親を説き伏せた月は日本を経った。

 

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