悪魔の日記

 

 

お前に触れるなど

もうできないと

心のどこかで分かってたんだ

 

 

6.駆引

 

 

 

 

 

 次の日の午後、月は竜崎の部屋に現れた。
「こんにちは、竜崎」
「はい、こんにちは。月くん」
 表面上は愛想のいい大学生だ。しかし裏の顔はやはり殺人犯なのかもしれない。
 そんな彼にいまだに胸が高鳴る自分が竜崎は嫌になった。

「今日は何?」
「実はあれから、進展がありました…月くんにそれをお教えしようと思って」
「進展?へえ、聞かせて」

 きしりと音を立てて月が二つある椅子の片方に腰を下ろす。
 椅子もそうだし、ソファも洗面道具も必要なものはすべて二人分買ってあった。ベッドもシングルではなくダブルで…しかしそれらを二人で使う日が来るのだろうかと竜崎は思う。心のどこかではそんな日はもう来ないのだと感じている。もはや月がキラ事件に無関係だという可能性はほぼない。

「実は、キラ事件の重要参考人としてある人物が浮かび上がってきました。しかも月くんの知り合いだと聞いています」
「え?ほんとに?」
 月は目を丸くして驚きの表情を浮かべている。演技だとしたら大したものだ。

「弥海砂という女性です…ご存知ですよね?」
「ミサが?」
 そんな…と口元を押さえて月はつぶやいた。

「どういうお知り合いですか?」
「友達だよ。一体どういう経緯で彼女が捜査線上に浮かび上がったの?」
「実は…」

 竜崎は、FBI捜査官が死ぬ直前の映像に、弥が映っていたことを説明した。

「なにかを受け取っていました」
「でもそれだけで決め付けるのは早計じゃないかな」
「しかし相手は外国人です月くん。弥が彼に何かを渡すことがあっても、何かを受け取るようなことは考えられないと思いませんか…。勿論捜査官は広報活動などしておりませんでしたし」
「ん…うん…」
「月くん、この間言いましたよね、ここ一年でメディアは犯罪者の本名を一部伏せる形で報道する方向に動いています。ですから、現在キラとして裁きを行っているものは顔のみで人を殺せる能力があると思われる」
「ああ、そうだね…」

 竜崎は話しながら月の顔色をうかがった。まったく考えが読めない。こんな風に頑なに表情を作るすべを、彼はいつ身に着けたのだろう。
 弥海砂の名を会話に出したときも、顔色一つ変えなかった。
 もっともそれは自分にも言えることだけれど。

 

「こういうことは考えられないでしょうか…」
 うっそりした口調で竜崎は続ける。

「現在キラとして裁きを行っている人間には、顔を見たら名前が分かる能力がある」
「ああ…もしノートを使っているのだとしたらそのほうが自然だね」
 どちらにしろ名前をノートに書かなくてはターゲットは死なない。

「月くんが納得するかどうかは分かりませんが、仮にミサさんが顔を見ただけで相手の名前を知ることのできる能力を持っていたとします」
「…うん」
「ミサさんは何らかの方法でキラ捜査のためにFBI捜査官が日本に入り込んできたことを知ります。なんとかして彼らを全員殺せないかと考える」
「…うん」

 月は反論せずに竜崎の言葉に頷いている。

「ここで必要になるのは彼ら12人全員の顔写真です。しかし捜査官がそう簡単に仲間の写真をミサさんに見せるとは考えられません…彼女は、一人の捜査官に近づき、彼の本名を呼びます。捜査官はあわてます…絶対に極秘のはずの自分の本名をなぜこの女性が知っているのか。そこでミサさんはこう言います…FBI捜査官のうち一人がキラ…もしくはキラの手のもので、今呼んだ名前は彼から聞いたのだと。彼はFBI捜査官を全員殺そうとしている…自分は協力を約束させられたが、怖くなった…。寝返ったことは内緒で、彼を逮捕してもらえないか」
「…うん」
「当然捜査官はミサさんに聞くでしょう…自分たちのうちの一体誰が裏切り者なのかと。けして他人が知り得るはずのない自分の本名をミサさんが知っていたのです…無視などできません。しかし、ミサさんは自分もその裏切り者の本名は知らない、知っているのは顔だけだと言う。もし顔写真を見せてもらえればどれがその男か分かるはずだ…」
「…うん」
「そこで捜査官はFBI捜査官の写真を彼女に渡す。名前は明かさず顔だけなら捜査に支障はないと考える。なんせ緊急事態です。この中のどれがその男か教えて欲しいと言う…しかし全員外国人です。ミサさんは外人はすべて同じ顔に見えるから、ぱっと見たわけじゃ分からない…なんとか思い出すので写真を貸して欲しいと言い…それを持って一旦その場を離れる。監視員はそのままコンビニに入り…、名前を書かれて息絶えた」
「へえ」

 月は少し温度の低い声を出した。

「でも、それって全部推論でしかないよね?FBI捜査官の心情だってミサと捜査官の会話だって想像に過ぎないんだし、人の心なんてどう動くかどうか分からない」
「人の心を一切予想できないのであれば心理学など成り立ちません。原因があって結果に繋がる…どんな場合でもそれは同じです…それに仮定の話と言いました」
「ああ…そう」
 少しうつむいた月の目は前髪の影で底光りして竜崎の方を見ている。

「まあとにかく…近くミサさんには事情を聞かせていただくことになるでしょう…重要参考人として」
「竜崎が?」
「…いえ、日本警察の方から。私からではおかしいでしょう…」
 竜崎の言葉に、月はただ口の端を上げた。

「ところで、あれを持ってきてくださいましたか」
「あれ?」
「ノートですよ」
「ああ…」

 月は、忘れてた…とつぶやきながら、傍らに置いてあった自分のバッグを漁った。

「はい。持ってきたよちゃんと」
「どうも」

 竜崎は月の差し出した黒いノートを受け取ると、ぱらぱらとページをめくった。

(…私のノートではないな)
 極限まで似せて作ってはあるが偽物だ。よく見ないと分からないが、罫線はパソコンのプリンタで出力してある。紙の質感も似てはいるが色が微妙に違う。
 使い方の文字も、虫眼鏡を用いて比べないと分からない程度ではあるが、所々に記憶との差異を感じた。
(器用なことだ)
 竜崎は内心苦笑しながらノートを閉じた。
 こんな小手先を用いてまで、人を殺す手段などが欲しいのか。そう思うと、青黒く重苦しい悲しみに胸が浸る気がした。

「…もういいかな。今日は帰るよ」

 月が椅子から立ち上がる。

「もう、帰られるのですか?」
「ああ…少し忙しくなってきて…また」
 毎日大量に人を殺して偽者のノートを作る余裕があるくせに何がそんなに忙しいのだろう?いや、だからこそ忙しいのか。
 竜崎は歪んだ笑みを口元に浮べると、月を見送るために玄関に立った。

「キスくらいしてってくださいよ」
「…ああ…」

 月は身をかがめて靴を履きながら返事をし、それから身体を起こして竜崎を見た。

「しばらくよそうかと思って」
「は?」
「不謹慎だろ」
「…は…あ?」

 「じゃ」と短く告げると、月は竜崎の部屋を出て行った。

 不謹慎?
 口元に引き攣った笑みを浮べながら竜崎は月の出て行った扉を凝視した。
 何が不謹慎だ?そもそも人のノートで殺人を繰り返しているのは誰だ?

 ターゲットを弥と月に絞った今は、月にも必ず一人、常に尾行がついている。それを知っていて、室内までは見えないにせよ彼といちゃつく気が起きなかったのは竜崎にしても同じだが、それにしても不謹慎だと?毎日女性アイドルの部屋に入り浸っているくせにか?

 

 竜崎はパソコンを開くと、電子機器の通販サイトを開いた。
 なんにせよ、二人を殺人実行犯として検挙するには証拠固めが必要だ。

 

 

 二日後、竜崎は弥の部屋に足を踏み入れた。
 誰も居ないのは二人を尾行している浮島・模地と連絡を取って確認してある。あと二時間はこの部屋が無人であるのは間違いない。鍵は警察メンバーに立場を利用して借りてもらった。彼らは下着泥棒を追っていることになっている。

 竜崎は部屋の中に盗聴器を二つと、隠しカメラを五つ仕掛けると、軽く部屋内を捜索した。
 一人暮らしの女性の部屋にしてはブラックなカラーのインテリアが多い。髑髏をモチーフにした小物やタペストリーなどがそこかしこに置いてある。
 気になるものは特に何もない。ノートも持ち歩くか、簡単には分からない場所に隠すかしてあるだろう。
 あまり熱心に探索すると侵入が発覚する恐れがある。最後に、竜崎は軽くゴミ箱を漁った。

(!?)

 見覚えのある何かが視界に飛び込んできて、竜崎の心臓が跳ねた。
 指に引っかかった鎖をそのまま絡めて引っ張り出すと、それはロザリオだった。クロスの中央にイエローサファイアを組み込み、サイドのバーに羽の彫刻をあしらったそのデザインは自分が去年のクリスマスに月に贈った物に違いない。
 思いがけず、直接頭部を殴られたかのようなショックを感じて竜崎は数秒その場で硬直した。何かが胸を圧迫して喉をせり上がってくるような気がする。
 竜崎は、ロザリオをまたゴミ箱に戻し、分からないように内容物をもとの位置に戻すと、そのまま弥の部屋を出た。

 

 どうしてどうしてどうしてどうして。
 分かってはいたが、直接目の前に突きつけられた現実に、しばらく脳がついていけない。しばらく歩いているうちに、バス停留所とベンチが目に入ったので、ベンチに上がって身体を丸め、膝をかかえた。
 頭が真っ白で何も考えられなかった。失うはずのなかった幸福を奪われることがこんなにも苦しく、遣る瀬ないとは。ワタリを亡くした時十分思い知ったはずなのに、どうして自分はまた他人の手をとってしまったのだろう。どうして心を許してしまったのだろう。
 どのくらいそうしていただろうか。一度バスが止まり、竜崎が乗り込まないのを見るとそのまま去っていく気配がした。
 それでも膝を抱えて丸くなっていると、ポケットの携帯が着信音を鳴らした。

「はい」
『竜崎、大丈夫ですか?』
 声色とイントネーションは松井のものだった。
『すごい具合悪そうですよ。何かありました?』

 見回すと、二区画ほど離れた場所に携帯を構えて松井が立っているのが見えた。外で捜査員同士接触するのは禁止している。
「いいえ、なんでもありません…ホテルに戻ります」

 竜崎は携帯を切るとベンチを降り、タクシーを拾うために大通りに向かってとぼとぼと足を進めた。

 

 

「監視カメラを仕掛けた!?」
 現在部屋を取っているホテルに戻り、尾行中の二人以外の捜査員に報告すると、彼らは顔色を変えた。
「そんな…そんなことしてバレたらどうするつもりですか?!」
「そんな違法捜査、日本では認められませんよ!おおっぴらに家宅捜査ができないからやむなく不法侵入を…」
「大丈夫です」
 竜崎は声を荒げる捜査員たちを手で制した。

「もし発覚しても、弥海砂の熱狂的ファンである私が勝手に行った犯罪行為となり、警察の捜査の一環とはなりません。鍵にしても、私が警察を騙って入手したことにします…勿論発覚しないよう努めますが…とにかくこれで弥が主犯でキラ…という確信を持ち、次の段階に進めると私は思います」
「しかし…」
「大丈夫です」

 しかし、これで弥がキラだと発覚したとしても、どう上に報告し、世間に説明するつもりなのか。不安そうな捜査員たちの表情がそう物語っていたが、竜崎には構ってられなかった。
 とにかく、ここで一気にキラを断定し、事件を解決しないと自分の精神がもたない。こんな真綿で首を絞められるようにじわじわと希望を奪われていくのはもうたくさんだ。

 二日前、月から受け取ったノートが偽であるのはもう確認していた。
 ためしに人の名を書いてみるまでもない。竜崎は月が精魂こめて作り上げたのだろうダミーに、流しであっさり火をつけた。
 すっかり冊子が灰になるまで見守ったが、竜崎のノートに関する記憶が消えることはなかった。
 ───まだ、所有権は私にあるはずだ。返してもらうぞ夜神月。

「別のホテルに部屋を取り、モニタールームを作りましょう…業者に任せても丸一日かかると思いますが…明日、場所についてはまた連絡します。他に、何かありますか」
「あ、あの」
 松井が恐る恐るという感じで手を上げた。
「なんですか、松井さん」
「あの…今日、ヨシダプロ周辺で聞き込みをしてて手に入れた情報なんですけど、弥海砂がエイティーンという雑誌の読者人気投票で一位になったそうです…」
「…それで?」
「…ええと…それで、西中監督の次の映画のヒロインに抜擢されるということになるんですが…」
「そうですか」

 相原が何も言わず松井の頭部を小突いた。

「…その映画のヒロインは申し訳ないですが人気投票二位の方に勤めてもらうことになるでしょう…」

 その情報がどんな意味を持つのか、松井を含めこの時点では誰一人分かっていなかった。

 

 

 NEXT→「映像