天使の到来

 

「探偵ドヌーヴ」

 

 ニューヨークにはいくつか空港があるが、月はジョン・F・ケネディ空港を選んだ。マンハッタン中心部からは一番遠いが公共機関で移動するには便がいいというのが理由である。ニューヨークのどこに行けと言われるかわからない以上、移動しやすい場所を始点とするのが一番心強かった。

 入国審査、荷物受取、税関検査を抜け、到着ロビーに出ると、月は携帯を取り出し、ドヌーヴにかけた。
 一瞬、時間の計算をしそうになり、苦笑いする。今自分はニューヨークに居るのだ。日本が何時だからあちらは何時だなどと余計な心配をすることはない。
 機内でニューヨーク時間に合わせた、父からの大学合格祝いである月のオメガは、午後二時過ぎを指していた。

『はい』

 相手が月であると予想していたのか、ドヌーヴは最初から日本語を使ってきた。

「あの、僕のことを覚えていますか。夜神月です」
『もちろん覚えています』
 丁寧な言葉づかいではあるが、気遣いのかけらもない淡々とした口調に、月はこれが慇懃無礼ってやつなんだな…と思った。

「ニューヨークに着きました…次はどこへ行けばいいですか?」
『今、どちらにいらっしゃいますか』
「今ですか?ジョン・F・ケネディ空港です」
『そこで45分ほどお待ちいただけますか。迎えに行かせます』

 ドヌーヴは月が居るターミナルのナンバーを聞くと電話を切った。 どうやら今回は自分で移動する必要はないようだった。
 月は一息つこうと見まわしたが、出発ロビーと違って今居る到着ロビーには時間をつぶせるような場所がほとんどない。仕方なく、コーヒーショップでコーヒーを買い、座ったりぶらついたりしながら45分過ごした。

 ドヌーヴとの電話を切ってから40分程経った頃、一人の青年が月の方に近づいてきた。
 年恰好は二十代半ば、背が高く黒いスーツを着た姿は一見公務員のようにも見える。目鼻立ちの整った黒髪の男性だったが、目が青いところや顔立ちは明らかに欧米人のそれだった。

「夜神月さんですか?」
 流暢に日本語で話しかけられ、月は頷いた。
「どうして僕だと分かったんですか?」
「写真を預かっていますので」
 そう言いながら男性は月に自分の持っていたスナップ写真を見せた。どうやら大学の入学式で挨拶したときのものだ。明らかに自分のものであるその写真を見て、驚いた月は写真と男性を見比べた。
「その写真をどこで?」
「ドヌーヴから預かりましたが…」
 男性は月の言っている意味が分からないようで不思議そうな顔をしている。やはりただの迎えなのだろう。
「車を用意しましたので、お乗りください」
 促され、月も彼に続いて空港を出た。

 

 空港を離れたあとは、閑静な住宅街が続いている。といっても建物と建物の間は非常に離れており実に広々とした印象だ。
 標識を見ていると、車はマンハッタンに向かっているようだった。
 男性は月に向かって、日本をいつ発ったのか…機内食は何だったかなどと気さくに話しかけてくる。
「あなたはドヌーヴの部下ですか?」と聞くと、そうだと返事が返ってきた。
「私は、もともとFBIのメンバーでしたが、今はUSA国家が創設したSecret Provision for Crimesという組織のもとで動いております。国家は世界的な探偵であるドヌーヴ氏に組織の統率を依頼しました。私は氏の直属の部下になります」
「ドヌーヴって、女性じゃないんですか?」
「え?いいえ」
 不思議そうに男性は答えた後、「ああ」と合点がいったように吹き出した。
「そうですね、声変りはまだかもしれません」
 そうこうしているうちに車の量が増えてくる。今走っているのはブロードウェイらしい。道路脇にも大型店などが密集してきたようだ。
 ふと気付くと、巨大な橋にさしかかり、右に広がる視界の先にはだだっ広い河があった。なるほどこれがウィリアムズバーグ橋と、イースト川なのだろう。
 そこを抜けると何車線あるのか分からないような広い道路が、たしかにここは日本ではないのだと月に認識させる。
 徐々に大きくなっていく建物の頂上が、車の窓からではとても見えなくなった頃、車はとある摩天楼の地下駐車場へと入って行った。

 車を出て、男性についてエレベーターに乗り、ずいぶん長いこと上昇したあと、降りたフロアでは、足元まである大きなガラス窓の向こうにマンハッタンのビル群が見えた。それもすぐ近く、まるで見下ろすかのような位置に。今自分が居るのは一体何階なのだろう。少なくとも50階よりは上ではないかと思う。
「こちらへどうぞ」
 男性が自動扉の向こうへ月を促す。
 簡単に案内してくれるが、ここに来るまでに通常では考えられないほどのセキュリティシステムを抜けてきた。網膜や指紋などのパスがない限り、この場所までたどり着くのはとても無理だろう。

「ようこそ」
 通された部屋は、モニターで埋め尽くされた、無機的な部屋だった。
 中央に、その場には似つかわしくない色とりどりの玩具にかこまれ、白いシャツとアンダーを身に付けた子供が、流線型のデスクチェアーに腰を落ち着け、こちらに背を向けて座っていた。耳に届いた彼の声の高さとイントネーションで、この子供こそがドヌーヴなのだと悟る。
「はじめまして…夜神月です」
「…分かっています。あなたがこのビルに足を踏み入れてからずっと見ていました」
 言われて、はっと気付くと、数々のモニターが映し出しているのは、今しがた月が通ってきたこの部屋の内部なのだった。

「新入り」
 唐突にドヌーヴが口にする。
「え?は、はい」
 どうやらそれはここまで案内してくれた男性のことだったらしく、彼は飛び上がるようにして叫んだ。
「例のものを」
「あ……はい」
 少し歯切れの悪い返事を返すと、男性は隣の部屋に消えていく。やがて戻ってきたその腕が抱えているものは、小型の心電図検査機の様なものだった。

 月が不思議そうにそれを見ていると、ドヌーヴが椅子をくるりと回転させて月の方を向いた。
 柔らかくカーブを描く見事な銀髪が覆っている小さな顔には何の表情もない。それだけに奇麗な顔立ちと白い肌がまるでビスクドールのようだ。光を吸いこむような瞳はよく見るとブルーグレーなのだが、表情の暗さと顔の角度が常に影を作っており、漆黒のように見せていた。
 一見、見た目も雰囲気も全然違う人間なのに、どこかコイルに似ている。そう月は感じた。

「…私はあなたをこの目で見て人柄を見極めると言いました。しかし私は自分の目や勘を信じません。私が信じるのはロジック、そして数値です」
「はあ…」
「嘘発見器をつけていくつかの質問に答えていただきます。そして私の納得いく結果を得られたなら、あなたに情報をお渡ししてもいい」
「……!」
 内心激昂し、月は唇をかみしめた。呼びつけておいて、嘘発見器にかけるだと…!?
 しかし、ここで怒って部屋を出たら何もかも一巻の終わりだ。必死で金を貯めてここまでやってきた意味が、すべて無に帰してしまう。目を閉じて深呼吸し、気持ちを鎮めると、月は頷いた。
「…分かりました」
「では、そこの椅子にお座りください」
 ドヌーヴの指し示した椅子に腰を下ろすと、新入りと呼ばれた男性がその脇のテーブルに嘘発見器を置く。シャツの前を開ける様に言い、手なれた仕草で彼は月の身体に機器の端末をつけていった。

「では始めます。次の質問に、正直に答えてください」
「…はい」
 ドヌーヴは視線を下に落とし、手にしたロボットで遊びながら月に質問を次々と投げかけてくる。それらはすべて、生い立ちや家族構成や、一般的なモラルに関する他愛ない質問だった。

「万引きしたことはありますか?」
「ありません」
「それはなぜですか?」
「…考えたこともない」
 ドヌーヴは約30項目の質問を終えた後、にやりと笑って、床から一枚のボードを拾い上げた。ロールシャッハだった。
「これが、何に見えますか?」
「……潰れた蛾」
「興味深いです」
 また床にボードを落とすと、ドヌーヴは口もとに歪んだ笑みをはりつけて言った。
「最後の質問です。…Lに会ったらどうするつもりですか?」
「……」
 一気に心臓が跳ね上がった気がした。まったくいやな機械だ、と月は自分の身体から伸びたコード類を見て思う。今の身体反応もすべて記録しているに違いないのだ。
「どうって、どう…も…いや、話がしたいです。色んなことを聞いてみたい」
「たとえばどういったことを?」
「………」
 月はしばらく考え込んだ。何を聞きたいのか?自分は、Lに対して自分の何をぶつけたいのだろう?何を、見せてもらいたいのだろう?

「………世界が…何色に見えているのかを…」
「……………」
「他人の会話がスローモーに聞こえてうんざりすることはないか…この世に自分一人しか居ないような、いや会話の通じる人間が他に居ないような気になったことはないか…」
「……………」
「一日がとてつもなく長くて…この一生がいつまで続くのか考えただけで気が遠くなったり、そんなことはないか…そう、聞いてみたい…」
「…成程」

 ドヌーヴは部下の男性に指示して嘘発見器を外させた。
「よくわかりました。あなたの目的が、ただLに会うことであり他意がないことも確認いたしました。お約束です、情報を差し上げましょう」
 白いパジャマのような衣服の懐に手を差し入れ、一枚の名刺大のカードを取り出すと、ドヌーヴはそれを差し出してきた。近づいて、手に取ると、英語で住所が書かれていた。

「そこに、キルシュ・ワイミーが居ます」
「え…」
 月は驚いて手元の文字列を凝視した。これは、どこの国だ?

 ドヌーヴは、最初に会った時のようにまた月に背を向け、自分の前髪をいじり始めた。
「…我々は、あの事件の後、Lに連絡を取ろうと躍起になりました」
「………はい…そう聞きました…」
「しかし、どれだけ呼びかけても返答は得られませんでした。そしてそのうち、エラルド・コイル、ドヌーヴが解決した事件のファイルとそれに関するデータのすべて、関係者、人脈のリストが送られてきました」
「え…?それは…」
 それはどういうことなのだろう?にわかに飲み込めず月は聞き返した。
「……世界の三大探偵、それらはすべてLが演じていた一人三役でした…彼がLとして世界に君臨していた時、ドヌーヴとコイルも彼が操っていた名の一つにすぎなかった。Lが消えたと同時にコイルとドヌーヴの消息も当然ながら潰えた。私とメロは、送られてきたデータを、後継するべきLの名の代わりに彼から送られた遺産代わりとうけとり、メロがコイル、私がドヌーヴをそれぞれ継ぎました。私とメロが本当にこの頭上に戴きたかったLの名は、L自身が汚し、追放し…キラなどという辱めそのものの名に替わられた。その行為はとても許し得るものではありません。Lという名は、私たちにとっては憧憬そのものでありながら同時に憎悪の対象でもあります。しかし、なんらかの鑑みる事情がある可能性にかけ、私とメロはLを探し続けました」

 三大探偵はすべてLが演じていた…?
 考えたこともなかったスケールの大きな話に、月は茫然とした。
 どれだけ凄まじい能力を持った人間なのだろう、Lという男は。

「5か月ほど前です。私は…その住所を得ました。そこにキルシュ・ワイミーが居ることを確認し、メロに連絡しました…Lと同時に消息を絶ったワイミーの居場所は確実にLの消息につながります。ですが…メロには聞きたくないと、拒否されました」
「聞きたくない?」
「…もう、いいそうです。Lの事情など知りたくないと…好きにさせてやればいいと、そう言われました」
「……………」
「私も、メロにそう言われ、…Lに関する全てを諦めました。正直、メロにそう言われたことの方がショックだったのかもしれません。私と彼は、ワイミーズハウスに居たころライバルでした。院を出て、なお私は彼と競争している気になっていたのかもしれません…ですが、もう…互いに探偵として自立した今はそのような子供じみた感傷にいつまでも浸っている場合ではないと…確かに思います」

「………」
 月はもらったカードを財布に入れた。
 ドヌーヴの話に対し、同意するべきなのか反論すべきなのかも分からない。
 ただ、世界的探偵が手を尽くして得たのであろう情報を、この手にできた僥倖に心から感謝した。

 

「御足労お疲れさまでした。その情報があなたの想いに報いることを願っています」
 そのドヌーヴの言葉に対し月は一礼すると、部屋を出た。新入りと呼ばれた男性も一緒についてくる。各セクションは彼が居ないと通過できないので、ありがたく同行してもらった。

 ビルを出て、マンハッタンのビル街の隙間に出た瞬間、月は遠い異国に一人でいることを唐突に自覚した。
 摩天楼…天を摩るほどの楼閣とはよく言ったもの。目の前のビルたちは、最上階が見えないほどに高くそそり立っていて、巨大なビルに囲まれた自分が本当にちっぽけな存在に思えた。

「君は、このあとどうするつもりなんだ?空港まででよかったら送るし…せっかくだから、ニューヨークに行きたい場所があるなら連れて行ってあげるよ」
 ドヌーヴの許可は得てるから、と男性は言う。
 遠い異国からわざわざ来た月を本心で気遣ってくれているのだろうことが声色からも窺い知れた。
「ありがとうございます…でも、一人で大丈夫ですから」
「そうか、もしこっちに居る間に何か困ったことがあったらいつでも連絡してくれて構わないから。私の名はステファン・ジェバンニと言うんだ」
 差し出された名刺を受取って礼を言うと、月は男性と別れた。

 これからどうしよう。
 一度日本に帰ろうか、それとも、この住所がどこなのか調べて、まっすぐそこに…いや、アメリカ内ならまだしも、また他の国に飛ぶなんてことになったら旅費が追いつかない。インターネットさえ使えれば場所も行き方も大体分かるし、見たところ英語圏の住所だということは確かだが、しかし…
 考えているうちに、気がつけばやけに緑の多いところまで歩いて来ていた。
 さっきまで見上げるほどのビル街の谷間を歩いていたので、軽く面食らう。

「ああ…セントラルパークか…」
 ニューヨークマンハッタンビル街のオアシスである巨大な公園。月は道を外れて草地に入ると、そこに寝転んだ。
 今日は天気がいい。透き通った木々の緑の隙間から柔らかく日光が月の頬に模様を作る。
 瑞々しい草葉が頬をくすぐっている。ここが遠い異国だなんて、忘れてしまいそうだった。

 

 

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※SPK本部、原作ではロウアーマンハッタンにあったようですが、イギリスのシーンと差をつけたかったので、摩天楼の立ち並ぶミッドタウンイーストあたりの雰囲気にしてみました。
 ニアは何歳でもいいです(笑)