天使の到来

 

「エル」

 

「Lは中で待ってるの?」
 月が聞くと、マットは「いいや?」と肩をすくめた。
「呼んだけど、さっき空港に着いたって連絡あったから、まだ少しかかるんじゃないかな」
「え?イギリスにいるんじゃないのか?」
「前はシカゴのあたりにいたみたいだけど…今はロスとバンクーバーを行ったり来たりしてるったかな」
「そうなのか」
 ならばわざわざイギリスまで呼びつけるなんて悪いことをしたのではないか…自分もイギリスまで来るよりロスの方が近かったし、渡りをつけてもらって直接行くならその方がよかったのだが…と月は思ったが、わざわざ駅まで迎えにきてくれ、これからLに紹介してくれるという手前、口にはできない。

 玄関の階段を上り、入口から施設に入ると、晴天に慣れた目が一瞬視界を失った。すぐに慣れて周りを見ると、そこは白を基調に作られ、アーチや円のモチーフで華美すぎない程度に装飾を施した、どこか厳粛なイメージを持つ清潔な建物だった。

「ライトはもうご飯食べた?」
「あ、軽く…列車の中でフィッシュアンドチップスを食べたけど…軽くっていっても結構多かったからもうおなかいっぱいかな」
「そ?じゃ、ちょっと早いけどお茶にしようか」
 マットはそう言うと、廊下を歩いてい女の子に向かって「ロミ〜〜〜T、S、P」と区切ったアルファベットで話しかけた。話しかけられた子は可愛らしい声で「okay.Matt.」と頷いて走っていく。
 イギリス人はお茶の時間が好きだと言うが、見た目実に現代的なこの少年も御多分に洩れずそうらしい。

 

 三つ編みの女の子が持ってきたティーセットとスコーンを前にして、月は落ち着きなくきょろきょろと室内を見回していた。
 マットに通されたここは彼の自室ということなのだが、何に使うのかパソコンのモニターが五台も置いてあり、それぞれが二台か三台のハードディスクに接続してある。パソコン周辺はひどく埃がたまっていた。奥にカレンダーがかけてあり、去年の11月っきりめくっていない。それにもうっすらと埃がついていた。
 それでもティーセットを置いたテーブルの周辺は奇麗にしてあるようで、全然形の違う椅子がみっつ備え付けてある。月は背もたれのないスツールタイプのものを選んで座っていた。
 マットは煙草を強く吸って先端をどんどん灰にしていきながら腕時計を確認している。途中で何回かティーポットを持ち上げて揺すっていたが、その姿はあまりお茶の淹れ方を知っているようには見えなかった。

「はい、ライトのぶん」
 満足いく時間に到達したらしく、急いで煙草を灰皿に揉み消すと、マットは琥珀色の液体を月の前にあるカップに注いだ。注ぎながらどんどんポットの位置を上げていくのでハラハラしたが、高いところから落ちた紅茶はきちんと一滴残らず月のカップに到着し、マットは自分のカップにも同じように紅茶を注いで、テーブルの上に戻したポットにコゼをかぶせている。少しためらいがちに口をつけた紅茶はそれでも美味しく感じた。

「もうそろそろ来るんじゃないかと思うんだけどなあ…」
 マットが腕時計を見ながらつぶやく。
「あの、Lってどんな人?」
 ライトが聞くと、マットはしばらく考えてから「面白いヤツだよ」と答えた。
「オレも18になったらここ出るつもりだから、そしたらあいつの仕事手伝いたいんだけど」
「え、そうなのか…」
「あ、ライト、おまえ」
 マットはライトを指さしてニヤニヤした。
「自分も手伝いたいとか思っただろ」
「え?いや、そんな…こと…そりゃ少しは」
「日本から来ちゃうくらいだもんな!」

 その時、静謐な雰囲気の施設内には不釣り合いな靴音が近づいてきて、唐突に部屋のドアが開いた。
 そこに立っていたのは黒革のハードなロングコートを身に着けたブロンドの少年で、険しい顔つきでマットを睨みつけている。肩までの長さの金髪が黒いコートのボアによく映えて、左目の下に、火傷なのか大きなケロイドが、精悍な雰囲気を作り出していた。

「Aer you kidding!?Matt!!!」
 直訳で「ふざけんな」と怒鳴ると、少年はマットの胸元をつかんで締め上げた。
『呼びつけておいて迎えに来ないとかどういう了見だ!?レンタカー代出してもらうからな』
『ちょ、待てよ』
 ウェイトウェイトと呟きながらマットは少年の腕を叩いて制している。その様子は、彼らの上下関係を実によく表しているように見えた。

「な、Nice to meet you…」
 立ち上がり、戸惑いながら英語で話しかけると、少年はマットを離して月に目をやった。
「…Chinese?」
「No.I'm Japanese.」
「日本人か」
 少年もマットがそうしたように一瞬で言語を日本語に切り替えると、月を頭の上から爪先まで値踏みするような目で見た。
「でかいな、新入りか?」
「僕は…」
「紹介するよライト」
 ケホ、と締め上げられた喉を撫でさすりながらマットが少年を指した。
「こちらが、世界的探偵のエル」
「マットお前…」
 少年は険しい表情でマットを見た。
「…こと、エラルド・コイル」

「…コイル…?」
 月は耳を疑いながら茫然と二人を見た。
 エラルド・コイルの名は知っていた。Lについて調べているときに何度も目にした名前だ。
 世間一般的に、今の世界の三大探偵と言われているのが、L、ドヌーヴ、そしてエラルド・コイル。中でもコイルは人探しに長けた探偵という話だった。
 だが…Lではない。

 

 …騙された…?
「……………………………」
 月は椅子に腰を落とすと、うなだれて片手で顔を覆った。
「…ひどいよマット」
「…あ…ごめん、そんなに落ち込むとは…」
「どういうことだ?」
 コイルは意気消沈した月とマットを見比べている。
 マットは肩を落としている月に変わって、簡単にコイルに事情を説明した。コイルは呆れ顔になり、マットをバカ呼ばわりした。

「だって、間違ってないじゃん?エラルドだから愛称はエルじゃん」
「言っていい冗談と悪い冗談があるだろ。わざわざ日本から学生を呼びつけて…」
 コイルは、ハア〜〜〜〜とため息をつくと、空いていた黒いソファに腰を落とした。
「おい、ライトっつったか、おまえもな…こんな馬鹿の言うこと真に受けて、わざわざ来るお前も悪いんだぞ?」
 言われなくてもそうだと思う。
 あの状況でマットの言うことを鵜呑みにする自分はどこかおかしいとしか思えない。もしかけた電話がつながらなかったらどうしていたのか、ワイミーズハウスを見つけられなかったらどうしていただろうか、自分で想像しただけでも空恐ろしくなってくる。
「こいつが犯罪組織のリーダーで、売られたり誘拐されたりした可能性だってあるんだからな」
「えーひどいなその言い方」
「何言ってる、日本人は世界一危機感の少ないおとぼけな民族だって評判だぞ。金持ってるから狙われやすいし」
 掛け合いの様な会話をしながら、コイルはマットが淹れた自分の分の紅茶を飲んだ。

「おまえ、その顔どうしたんだよ?」
 マットがコイルの顔の傷を指す。
「ん?ああ…先月へまをして、この辺で手榴弾が爆発しちまって」
 そう言いながらコイルは左腕をグルンと回した。
「ほんとに?あぶないな」
「顔を覚えられやすくなっちまうな…まずったぜ」
 そう言いながらコイルはコートのポケットに手を突っ込み、板チョコを一枚取り出すとかじった。

「あの」
 月は視線を上げずに尋ねた。
「じゃあ、Lは、この施設とは何の関係もない…ってことか?」
 何カ月もかけて金を貯めて、こんなところまでやってきて…すべて無駄足だったというのだろうか。

「…ん……」
 二人は話すのをためらっているようだった。
 その様子に月は希望を覚える。もし何の関係もないなら、きっぱりそう言って終わりだろう。

「関係ないこともない…Lは、ここの出身だからな」
 パキ…とチョコをかじりながらコイルが言った。
「そうなのか!?」
 そういえば、父が言っていた。Lももしかしたらもとは孤児だったのではないか…と。
「そうか…それで、ここを作ったキルシュ・ワイミーがLとの繋ぎ役に」
「そこまで知ってんのか」
 コイルが紅茶をすする。

「もう、Lもワタリも居ないから話してもいいんじゃないかな…」
「…………」
 マットのセリフにコイルが渋い顔をした。好きにしろ、というようにソファに深く体を預け、革靴をテーブルに乗せる。
「俺たちみんな、Lの後を継ぐために育てられたんだよ」
 マットが紡ぐ言葉も、半分しか月の耳には入っていなかった。
 Lもワタリも居ない…いない…?居ない…とはどういうことだ…?

「Lの顔は誰も知らないんだよ、ここに居たのももう10年以上前だし、Lはずっと部屋にこもって全然出てこなかったらしいから、当時施設に居た人もLにはほとんど会ったことないんだ…もっとちいちゃい子供の頃には少しだけ一緒に遊んだり食事したりしてた人もいるけど、ほとんど喋らなかったし、表情のない怖い子供だったって」
「怖い?」
「すぐ暴力をふるうんだってさ」
 月は絶句した。今までわずかながら持っていたLのイメージが瓦解して行くような気がする。あの時聞いた青年の声は、とても理知的な物に聞こえた。無表情で人に暴力をふるうような人間のイメージとは程遠い。
「それで、10年くらい前にワタリがここからLを連れて行って…それからどんどんLは有名になって、世界一の探偵とまで言われるようになった。ここはもともと孤児の中でも知能指数の高い子を集めて、その子の個性に合わせて天才的な教育を受けさせている施設だったんだけど、一年半くらい前かな…ここの誰か一人にLの後を継がせたいって話が来て、俺たちは躍起になって勉強した…Lはみんなの憧れの人物だったからな。次々と難事件を解いていくLを、みんなそりゃあもう尊敬していた…。結局、最終的にはここに居る彼と、もう一人のどちらかという話になって…、そして」
「あの事件がおきて、Lは居なくなった」
 コイルが口をはさんだ。
「居なくなった?居なくなったって…?」
 月は思わず聞き返した。さっきから言う居なくなったというのは一体どういう意味なのか?
「連絡がつかなくなってそれっきりだ。ここの責任者も、何度も連絡を取ろうとした。だが、返ってきたのは…」
 そこでコイルは口をつぐんだ。…何が返ってきたというのだろう。

「…あの事件っていうのは?」
「おまえも知ってるだろ?Lの犯罪者死刑宣告だ。信じられなかったよ…唐突に全世界にあの放送が流れた。俺たちは驚愕して、何かの間違いだと思った…。なんとかLに連絡を取ろうとしたが…」
 コイルは両手を広げて首をすくめた。
「そのままLはワタリと一緒に消息を絶った。みんなの憧れの人物像が、血まみれの殺人鬼に変貌した…Lの名前はここでは禁句になった。きっと何かの間違いだと思っても、みんなそれを口には出せないし…擁護することもできない。人殺しはタブーだ、どんな理由があろうとも」
 マットとコイルは神妙な面持ちで視線を落とした。
「……………」
 月も何も言えず黙りこむしかなかった。

 

 騙して来させたことを謝り、せっかくだから数日泊っていけとマットは言った。
「そんな何日も居るわけにはいかないよ…」
「そう?じゃあ、せめてウィンチェスター大聖堂くらい見て行けよ。メロはいつまで居る?」
 コイルはマットを白っとした目で見返した。コイルの本当の愛称は、メロというらしかった。言ったマットは気づいていない。
「オレも忙しいから明日には帰る」
「そう?じゃあ、二人とも俺が明日空港に送っていくよ」
「…レンタカーで来たって言ったろう、俺がライトを空港まで連れて行く」
 帰りの予定を組んでいなかった月のために、マットがネットで飛行機のチケットをとってくれた。

 翌日の午前中、歩いて三人でウィンチェスター大聖堂を見に行った。
 荘厳な建物の中を回りながらマットが月にぽつりと言った。
「ライト、おまえが本当に日本から来てくれるんなら、Lを見つけてくれる可能性のある唯一の人間なんじゃないかと思ったんだ」
「……………」
「悪かった」
 コイルは何も言わず巨大な色とりどりのステンドグラスを眺めていた。

 院で一緒に昼食を取った後、月はマットに別れを告げた。
「ありがとう、結構楽しかったよ」
「今度俺も日本に遊びに行っていい?」
「ああ勿論…歓迎するよ」
 自分の電話番号を伝えると、月はコイルが促すまま彼の車に乗った。アメリカでは16歳から免許が取れる。コイルはマットと違ってきちんと運転免許を取得しているらしいので安心だった。

 マットと比べると堅物らしいコイルは、二人きりになると実に会話しにくい相手だった。
 ハイウェイに乗ってしばらくしたころ、コイルが急に話しかけてきた。
「Lに会いたいか?」
「ああ、会いたい…どこに居るか知ってるのか?」
「…いや」
 否定しながら、コイルはどこか寂しそうな顔をした。

「どうしても会いたいなら…今から言うナンバーに連絡してみるといい」
 そしてコイルは電話番号を告げた。直通の携帯電話のナンバーのようで、どこの国のものかは見当もつかなかった。
「メロの紹介だと言えば…新しい情報がもらえるかもしれない」
「誰の連絡先?」
「…ドヌーヴだ」
 コイルは、残る一人の三大探偵の名を口にした。
「ヤツは我がままでな、ほとんど国家機関からの依頼しか受けない。正規の方法で訪ねて行っても門前払いされる。必ずその番号に連絡するようにしろ」
「…ありがとう」

 Lには会えなかったが、次の手掛かりを拾った。
 これは月にとって大きな収穫だった。

 ヒースロー空港からその日の夜の便で、月は日本への帰途に着いた。

 

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メロも17歳の設定にしてみました。その位じゃないとエラルド・コイルの雰囲気は出ないなーと思い…。