天使の到来

 

「愛の行方」

 

 

 

 夕方になり、必ず連絡をよこすように竜崎に約束させると、三人は迎えに来たレスターのレンタカーで去っていった。このあと三人ともアメリカに飛ぶらしい。緩衝材としてマットの存在が大きいのか、仲が悪そうだったメロとニアも大分馴染んでいた。

「帰ろうか」
「はい」
 夜が近づき、冷えこんできている。月はもう一度竜崎に自分の上着を着せると、一緒にホテルへの帰途についた。

  

 部屋に入り、順番に風呂を使うと、落ち着いた気分で月はソファに腰を下ろした。
 竜崎も隣で、帰り道に購入してきた駄菓子を手にして遊んでいる。食べる気はないようだ。
 改めて見ると、精神状態が落ち着いたというそれだけなのに、以前とは外見も全然違って見える。目には生気が宿り、行動の一つ一つに意志が満ちている。細い身体が、以前は痛々しく感じられたのに、今はそんな様子はかけらもなかった。風呂に入ってしっとりとした彼の肌が、想いを寄せている自分には艶っぽくさえ見えた。

「竜崎、これから…」
「はい?」
「どうするの?どこの国に行くの?」
 竜崎は月の方を見た。前は視線を常にそらしているか、向けられても見てはいないかだった目が、はっきりと自分を映している。月は心臓が破裂しそうになった。なんと吸いこまれそうに黒い濡れた瞳なのだろうか。こんな深い色の目を自分は見たことがない。
 この時になって、また何故か月は、自分があのLと向き合っているのだと再認した。

「どこの国とかはまだ決めてないんですが」
「日本はどう?」
「日本ですか…」
 竜崎は親指を口にやった。チュ、と指先を吸う仕草に胸が高鳴る。二人きりだと意識するとどうしても、竜崎の一つ一つの動きが愛おしくて触れたくてたまらなかった。さっきみんなでお茶しているときは全然平気だったのに。月はため息をついた。

「日本もいいですね、月くんは日本に帰るんですか?」
「とにかく一回は帰らなきゃ…でも、お前が別の国に行くなら、またお金貯めてそっちに留学かなんかででも…」
「そうなん…ですか?」
「え…いやかな?」
 不安を感じ、月は苦笑した。
 竜崎は、このあと自分と別れて、二度と会わないつもりなのだろうか?

「いえ、とんでもないです…月くんが私のそばに居ることを望んでくださるなら、当然私が日本に行きます」
「本当に?」
「はい」
 嬉しいが、まだはっきりとは竜崎の真意が汲み取れず、月は苦笑した。

「竜崎はそれでいいの?」
「…あの…本当にこの後の身の振り様に関しては何も考えてないんです。ですから…月くんが、誘って下さるなら喜んで日本に行きますし…あ、住居なんかは自分で用意できますので…」
「その…竜崎、分かってる…かな」
「え?」
 心臓がさっきから激しく拍動していて、聞こえてやしないかと不安になる。月は、絶対今自分は、馬鹿みたいに頬を染めているに違いないと思った。

「僕、お前のこと、好きなんだよ」
「あ…はい」
「一緒に居たら、絶対触れたくなると思う…それでも…いいの?」
「はあ…」
 竜崎は口を閉じて、月をじっと見つめたまま、少しの間黙りこんだ。どういう返事を返すつもりなのか怖くて仕方ない。

「あの…月くん、私は、一生かけても返せないほどの恩をあなたに受けました。ですから、あなたが私を求めるなら、私に拒絶するつもりはありません」
「そ…」
 月はショックを受けて、ソファから立ち上がった。
「そんなつもりで、僕は…お前を好きなわけじゃない!そんなのお前のただの感謝の気持ちだろう?それにつけこむようなつもりで…」
「いえ、違うんです」
 竜崎はあわてたように自分も立ちあがった。

「すみません、どう表現したらいいかわからなくて…。決定権をあなたに委ねたいということなんです。私に触れたいなら、触れてくださっていいし、私のことが嫌なら離れるのもあなたの自由だという意味で言ったのです。いくら私がそばに居たいと言っても、月くんがそれを拒むのであれば、あなたに恩がある私に無理強いは出来ません、そういう意味で言ったんです」
「そんなことあるわけないだろう?」
「でも、私も、あなたがここに来るまでのお話をうかがって、そこまでして会いに来て下さったあなたが私を見てどう思ったかと…私はあなたが心にえがいていたLの人物像に叶っているのかと、不安でした…月くんは私のことを好きだと言ってくださいますが、それがただ会ったことのないLに対しての憧れから来ているものである可能性だってあります、本当の私の姿を見ているうちにその気持ちも薄れていくかもしれないと…」
「ありえない!違う!」
 月は怒鳴った。
「僕はお前が好きなんだ!僕が好きなのは、竜崎、お前だ!そりゃ、ここに来るまではただLに対する憧れで動いていたのかもしれない…でも、お前に会って、一緒に過ごして…それから好きになったんだ、おまえがLじゃなくてもそれは変わらない。僕が好きなのはLじゃなくて、竜崎、お前だ!お前だから何とかして苦しみから救ってやりたいと思ったんだ。でも、お前が僕に対して持っている感情が感謝のみで、そのために僕の想いに無理して応えようとしてくれているんだったらそんなもの欲しくない!」
「違います!」
 今度は竜崎が叫び、首を振った。
「そんな風に月くんが思っているなら、誤解です!あなたを初めて見た時その端正な姿にどんなに胸が高鳴ったか…!私のそばに居てくれる時、優しく語りかけてくださる時、その健全な精神と肉体に、どれだけ私が惹かれたか…一人で居る時、あなたの私に触れたその指や、はしばみの瞳にどんなに私が焦がれたか…!…でも、許されないと、そう思っていました。たった一人の家族を殺すような人間にそんな幸福は許されないのだと、そう思って、必死で耐えてたんです。あなたが口づけてくれたとき、どんなに嬉しかったか…そして応えることのできないこの身がどんなに哀しかったか…その闇から、月くん、あなたが救い出してくれたんです。あなたが…ですから、」
「ああ、竜崎!」
 それ以上は我慢できず、月は竜崎の身体を抱きしめた。
「竜崎、愛してる…愛してる…!」
「月くん…私も…」
 瞼や頬に何度も口づけ、唇を重ねると、竜崎も応えてくれた。その熱い舌の動きが、彼の言葉は確かに嘘ではないのだと物語っている。
 角度を変えては何度も深いキスを交わしながら、月はこの男と引き合わせてくれたすべての物に感謝した。

 

「今夜もソファで寝るつもりじゃないだろ?竜崎」
「え?あ…はあ…」
 竜崎が困ったように口ごもる。
「これからはずっと、一緒にベッドで寝よう?」
 目尻にキスを落としながら言うと、竜崎も「はい…」と言いながら月のシャツの襟元をそっと掴んだ。その手をとり、指にも口づける。互いに同じ想いを共有してるのかと思うとそれだけで、愛おしくて愛おしくてたまらない。
 月は竜崎の手を引いてベッドの所まで連れてくると、もう一度彼を抱きしめた。
「好きだよ、竜崎」
「はい…」
「このあいだはひどい抱き方して、ごめん…もう絶対あんな抱き方、しないから…約束する」
 額や鼻の頭にキスしながら言うと、竜崎は恥ずかしそうに眼を伏せた。
「まだ身体辛い?」
「いえ…大丈夫です」
「優しくするから…」
 ベッドに横たわらせると、月はゆっくり竜崎の髪を撫でた。最初は不安そうに動いていた彼の瞳が、やがて落ち着いて月のみに向けられる。
「怖い?」
「いいえ」
 竜崎は首を小さく横に振り、微笑した。
「このあいだも、月くんになら殺されても構わないと思いました…相手があなたなら、何も怖いことはありません」
 月は軽く笑って、竜崎の首筋に口づけながら、シャツの上から胸元に手を這わせた。体温を感じながら、優しく何度も。掌に触れる肋の感触も、彼の心臓を守っているのかと思うと一本一本が愛しい。彼の身体をあますところなく、出来うるすべての方法で愛してあげたい。

「…ん…んふっ…」
「すごい、声、可愛い…」
 唇が触れるか触れないの所で囁くと、竜崎は腕を月の首に絡めて抱きしめた。
「竜崎…」
「月…くん…今日まで生きてきて、本当によかった…」
 竜崎の声は少し掠れていて、そのせいで余計に色っぽく感じる。
「今まで、何度か死を選ぼうかと思ったことがありました。あの時選ばなくて、本当に…よかった…」
「僕も」
 抱きかえしながら、月も囁いた。
「何回か、お前を探すのを諦めようかと思った時があった…でも、諦めなくてよかった…本当に」
 密着した全身から、彼の生きている証である体温が伝わってくる。その温度も、彼の中心が反応していることも。気が狂いそうに嬉しい。

「ああ」
 竜崎が月の頭を抱えて嘆息した。
「どうしよう…やっぱり怖いです」
「…何…?」
「幸せすぎて…これを失ってしまうのが、怖いです」

 見ると、竜崎はボロリと大粒の涙を目尻から落としていた。
「気付くとこれは夢で、まだ月くんは帰ってきていなくて…あの日々がずっと続くんじゃないかと、そんな風に考えると怖いです…すごく、すごく怖いです」
「大丈夫…」
 月は竜崎の涙を吸い、こめかみに口づけた。
「現実だから…僕はここに居るよ」
「月くん…」
 もっと…と耳元で竜崎が熱く囁く。

 慈しみあうように、愛おしむように。その夜は互いが満足するまで、何度も二人は相手を求めあった。

 

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