悪魔の日記

 

 

僕がどれだけそれを求めたか、

竜崎お前に

分かるだろうか。

 

8.本名

 

 

 

 

 

「いくら恋人でも、やっていいことと悪い事があるだろ?」
 そう言いながら月は竜崎の頬を指先でつうーと撫でた。
「ラインって物が、あるんだよ」
「恋人?」
 竜崎はそんな月の台詞を鼻で笑い飛ばすと、彼の腕を退けて離れようとした。しかし月の力は強く、放してくれそうにない。

「恋人の私とはキスすらしないのに、他の女とはセックスするわけですか」
「言うね竜崎」
 月はまったく動揺せずに微笑を浮べたまま、竜崎の身体を直接抱きしめた。
「ちょっ…離して下さい」
「このくらいいいだろ?僕のこと愛してるんじゃなかったの?」
「やめてください!」
 我武者羅にもがいて月の腕の中を抜け出すと、竜崎は息を荒げて彼を睨み付けた。

「もう、部屋にも来ないでください、不愉快です」
「愛してるのに?」
「愛してなんかいません!」
 怒鳴りつけ、同時に竜崎は胸の中が空っぽになったかのような虚無感を感じた。
 しかし、どんなに目の前の男の腕に収まっていたくとも、ここで撥ね除けないと自分の矜持がぼろぼろに崩れ去っていきそうだった。

「何?それ?別れたいってこと?」
「そうです」
「へえ?」
 月が一歩竜崎に歩み寄る。同時に竜崎も一歩後ろに下がった。
「わざわざ日本まで来て、部屋まで借りたのに?」
「私の間違いでした…本当のあなたがどんな人か知っていたならこんな」
「本当の僕って何?」

 また月が一歩近づいてくる。竜崎が下がる。

「ねえ?本当の僕って何?」
「ノートを返してください」
 咄嗟に出た竜崎の言葉に、月は軽く眉を跳ね上げた。

「ノートは返したろ?」
「あれは偽物です」
「なんで分かるの」
「見れば分かります」

 また月が一歩近づく。竜崎が同じだけ下がる。

「どこが違うの?教えてよ。渡したノートはどこ」
「燃やしました」
「燃やした?」
 聞き返すなり、月はのけぞって爆笑した。
「あっはははははは!!何してくれんの、あれ作るのに何日かかったと思ってるんだよ!?」
「やはり、偽物なんですね。本物はどこですか」
「ああ、ごめんよ本当にごめん…」

 口に微笑を貼り付けたまま、また月が竜崎に近づいてくる。竜崎の後ろにはもう空間はなかった。壁が背中に張り付く。

「ごめんよ、あのノートはなくしてしまったんだよ…だから、お前に嫌われるのが嫌で、必死でレプリカを作ってしまったんだ、こんな僕をいじましいと思うだろ?ねえ?」
「嘘です。ノートを返してください」
「だからもうないんだよ」

 月は竜崎の両二の腕を掴み壁に縫い付けた。

「お前には申し訳ないけどあのノートはないんだよ、レプリカで満足しておけばよかったのになんだって燃やしたりしちゃったのさ?」
「返してください!」
「返したら、別れないって言ってくれる?」
「いいえ」
「しょうがない奴だね」
 竜崎は腕に力をこめるが、月の手はまったく動かない。

「分かったよ、別れるよ…その代わり…」
 月の唇が、残酷なまでに美しい微笑を浮かべて囁いた。

「最後に本名教えて?」
「………ッ…」

 今まで感じたことのないほどの恐怖を覚え、竜崎は月の手から逃れようとめちゃくちゃにもがいた。振り切るように右側から身体をひねって逃げようとすると、思い切り腕を引っ張られ、バランスを崩した拍子に勢いよく頬を張られる。
 目の前に星が散ったような気がした。そのまま、床に座り込んでしまったところに、月がのしかかってきて、肩を押さえつけられ、唇を重ねられる。
「んんーっ!?」
 口の中に月の舌が侵入し、荒々しく動きまわる。その舌に血の味を感じて竜崎は自分の唇が切れたのを知った。
「んっ!…ん…!!」
 必死で月の肩を押し、ようやく月の唇が離れた。顎を掴まれ、形だけは優しく頬に口付けられる。
「ねえ…教えてよ本名…別れたいんだったら」
「そんな義理は…ありません!」
「じゃあもっとすごいことしちゃうよ?」
 月の手が竜崎のシャツを一気に引き上げた。両手を頭の上にまとめてシャツの袖口で縛られる。暴れようとしたが、さっき頬を張られたときのショックで身体に力が入らなかった。
 月は暴れる竜崎を引きずって、リビングのソファのところまで来ると、ソファを持ち上げて足の部分に竜崎の腕を縛ったシャツを踏ませて動けないようにした。

 そうして自由を奪ってから、月は竜崎の身体を思うまま陵辱した。
 今までの恋人同士の営みとは全然違う乱暴な方法で蹂躙し尽くした。それはもう竜崎がひとかけらの反抗の意思をもなくすほどに。
 もう、何もかも終わったのだ…そううっすらと意識の端で竜崎は思った。もう自分の大切にしてたものなんて、何一つ残っていないんだ。だったらもう、意地を張る意味なんてないじゃないか。

「ほら…教えろよ」
 痺れを切らしたように、月の両手が竜崎の細い首を絞めた。
「……ッ……」
「教えろよ、本名!!!僕のこと愛してるんだろ!?だったら教えろよ!!!」
「…………………です…」
「え?」

 もう抵抗する力は残っておらず、ぐったりと全身から力を抜いてとめどなく涙を流しながら竜崎は答えた。

「エル・ローライトです……」
 それが、ワタリが竜崎にくれた、竜崎の名前だった。

「……ッ……」
 月が息を飲む気配がする。
 その瞬間、竜崎は意識を失ってしまった。

 

 

 

 気がついた時、月はすでに居なかった。
 手の拘束は解いてあったが、他はそのままで、竜崎は身体を丸くして床に突っ伏し、泣きじゃくった。

 

 

 もうすぐ私は、きっと死ぬ。

 

 

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