悪魔の日記
*
そうしてふと気がつくと
僕は逃れようもない底なし沼に
埋まりはじめていた…ゆっくりと。
*
5.葛藤
結局、二人で当たり障りのない現キラの人物予想図を立てた後、月は帰っていった。「次いつ会えますか」と聞くも、「ちょっと予定がはっきりしないからまた連絡するよ」と言われ、寂しさに胸を焼かれながら送り出す。
仮にスタッフを抱えていたなら確実に月を尾行させていたろうが…知識や能力はあっても探偵術のない竜崎自身には無理だった。
竜崎は部屋に戻ると、膝を抱えた。
どうしよう。これからどうしたらいい?
もし、キラが月ではなかった場合。
犯人を突き止め、白日の下にさらけ出すのみだ。Lが生み出した虚構の執行人を騙ろうとした報いをその身に受けさせてくれよう。
だが、キラがもし月だったら。
そこまで考えると竜崎の思考は真っ白になり、軽くパニックになった。
自分の責任だと思う。あのノートを始末しないで日本まで持ってきてしまったから。
もしキラが月だった場合、月を連続殺人犯として糾弾できるだろうか?
否。否。否。
そんな恐ろしいこと考えただけでも心臓が凍り、身動きが止まる。
では、人を大量に殺したことを知っていながらその身を庇い、共に逃亡を計れるだろうか?
冗談ではない。犯罪者のみならず、FBI捜査官を殺しているのだ、野放しにするなど認められない。
では…どうする?では…。
どうしたらいいか分からない。状況証拠はすべて彼を犯人だと言っている。殺人の方法が分かっている竜崎にしか、それを追及し証拠を挙げることなどできない。
もしLとしての権力を持ち続けていられたなら、あらゆる警察機関や権限を駆使してキラを突き止められるのに、今や日本国では民間人以下でしかない自らが歯がゆかった。
(そうだ…)
竜崎の胸に一筋の光が灯った。
(もし月がキラだったときは一緒に死のう)
ワタリの「幸せに生きてください」という遺言が一瞬頭をよぎったが、もうこうなってしなった以上、月がキラであった場合…自分ひとりだけ幸せに生き抜くなど最初から無理な相談なのだ。せめて死ぬまで共にというのが自分にとっては最良なのだ…。
そうして竜崎は今後の道筋を決める。
Lとしてキラを全力で追い詰める覚悟を決める。
*
二日後、日本警察のメンバーと再び会い、情報交換する。
前回とは違うホテルの部屋を取り、同じように直前に総一郎に電話でルームナンバーを告げた。
「これが、FBI捜査官の死の現場を記録したもの、ありったけだ」
総一郎が神妙な言葉と共に、カメラのテープや写真を渡してきた。それでも彼らの死の様子を記録したものは三人分しかなかった。コンビニで死んだもの、駅のホームで死んだもの、書店で死んだもの。それだけだ。あとは公道や車中など、カメラなどの記憶媒体の及ばない場所で命を落としていた。
「そうですか…残念ながら、こちらは何の報酬もありません」
「そうか」
「これは、皆さんご覧になりましたか」
「ああ、だが、心臓麻痺で倒れたという以外、不審な箇所は見受けられなかった」
「見てもよろしいですか」
竜崎はホテルに頼んでビデオデッキをテレビにつないでもらうと、ひとつずつ再生を始めた。
他のメンバーに、見終わったらまた連絡しますので、あとは好きに動いてくださって結構ですと告げると、総一郎と松井以外は別の捜査のために部屋を出て行った。
総一郎は竜崎の背後に立って腕を組み、松井は隣に座って一緒にビデオを見ている。総一郎はどうか分からないが、松井はよそに捜査の当てがないらしい。
一通り繰り返しビデオを見た後、松井が「買出しに行ってきます」と言いながら部屋を出て行った。
部屋には総一郎と二人きりになる。
竜崎は一つのテープが気になり、総一郎の意見を聞こうともう一度再生しようとした。
「竜崎」
急に総一郎が声をかけてきたので、視線を向けて先を促すと、彼は怖いくらいに真剣な表情で恐ろしいことを言った。
「あなたがノートを奪われた相手とは、月ではないのか」
「……………………」
心臓を鷲掴みにされたような衝撃に、咄嗟にその場を取り繕うことができず、竜崎は目を見開いて絶句した。他ならぬ月の父親である彼にそんなことを言われるとは想定していなかったのだ。
「ど…どうしてそう…思われるのですか」
「これを」
総一郎は折りたたまれた紙片を懐の手帳から出して、竜崎に渡した。
「…これは?」
受け取って開くと、それは月の写真だった。少し輪郭が不明瞭で、引き伸ばされたものと分かる
「これが、どうかしたのですか?」
「殺されたFBIの一人が持っていたそうだ。次長である立場の私の身内ということで、内々に回ってきた」
「…………………」
竜崎は内心舌打ちした。ニアだ。
彼は最初から月を疑っていた。FBIに月の写真を渡し、周囲を探らせたのだろう。
であれば彼らが命を落としたのは自分のせいでもあると竜崎は思う。そもそもニアに要請したのは人員の派遣だが、二度ほど彼らの代表とは電話で連絡を取った。その際に現キラ最初の裁き、また殺人の傾向から言って、現キラは関東に身を潜めている可能性が高いという話をし、やがて日本警察の協力を仰ぐので、その後彼らと連携をとって捜査に当たってほしいと説明した。しかし、腹を探られるのが嫌で、自分にはすでに判明しているノートによる殺人方法を彼らには明かさなかったのだ。勿論、本名は絶対にあかさないように厳重注意はしてあったはずだが、その理由、殺人方法をあらかじめ知っていたなら彼らが命を落とすこともなかったかもしれない。
「月が…キラなのか?」
なおも言葉を続ける総一郎に、竜崎は返す言葉をすぐには持てなかった。
「…分かりませんが…そうでなければいいとは願っています」
「ノートを奪った相手とは…月のことなのか?」
「…はい」
竜崎はのろのろと手を動かし、テープをデッキに納めると、リモコンの再生ボタンを押した。
やがて現れた画面には一人の男性が映っていた。
「この男性ですか?月くんの写真を持っていたのは」
「…ああ…そうだ」
「これを見て何か感じませんか」
この捜査官は、コンビニに数十分居て雑誌を立ち読みしながら心臓麻痺になった。
竜崎はテープを彼がコンビニに入ってくる前まで巻き戻し、再生した。捜査官は店に入る前に入り口の前で誰かと話している。
「これは…誰と話しているんだ?月か?」
「いえ、もっと小柄な人物のようです…ですがガラス戸に刷かれているペイントが邪魔してよく見えないですね」
「何を話しているんだろう…」
「捜査官から何かを受け取っているように見えます」
そして人物は身を翻して去っていく。その時、ガラス越しに顔が一瞬だけ見えた。
「女性ですね」
「女性…」
「今映った顔を引き伸ばし、そこから身元の判明は可能でしょうか」
「やってみよう」
そこに、アンパンと甘酒をぶらさげて松井が帰ってきた。
「竜崎、甘いもの好きだって言ってましたよね」
「松井、ちょうどいい、頼みたいことが」
「え?」
テープをもう一度流し、問題の一瞬を松井に見せて、引き伸ばして身元を洗って欲しいと告げると、松井は「あれえ?」と間の抜けた声を出した。
「ど…どうした?松井」
「これ、ミサミサじゃないですか?」
「ミサミサ?」
「今、人気上昇中のアイドルですよ。弥海砂っていう…」
「アイドル…?」
総一郎はぴんと来ないらしい。竜崎もニュースをメインにテレビを見ていたので、女性の顔に見覚えはなかった。
その後、外に捜査に出ている者たちに連絡を取り、事の次第を説明して弥海砂をターゲットに絞って捜査をして欲しいと告げた。特に今年に入ってからの行動を詳しく…また、決して周囲や本人に気付かれないように。
「竜崎、月はいいのか?月にも捜査員を…」
「いいえ」
総一郎の言葉に、竜崎は首を横に振った。
「FBI捜査官の二の舞になります。他の方面から攻めましょう」
しかし、弥海砂の交際相手として夜神月の名が挙がるのに、そう時間はかからなかった。
*
翌日。
「まさか、芸能人と…」
部下からの報告を聞いて総一郎は眉間にしわを寄せた。息子に彼女ができたという話は聞いていても、その相手の名前までは知らなかったらしい。
「次長の奥さんの話では、月くんは一月三日からほぼ毎日の様に彼女宅に行くといって出かけていたそうですね?芸能記者を装って聞き込みしたんですが、月くんは結構頻繁に弥の自宅周辺で目撃されています。顔がいいので目立つようで…」
「更に、例のFBIが命を落としたコンビニは、弥海砂の住んでいるアパートの一階に入っています」
相原と模地が口々に報告するのを、竜崎は暗い面持ちで聞いた。
月がアイドル女性の家に入り浸りというのも心穏やかに聞いては居られなかったが、これで月がキラである可能性が尚高まる。もし、弥が何らかの方法で、あの時FBI捜査官の顔写真と本名のリストを受け取っていたとしたら、親密な関係であるという月がそれを見てノートで裁くのも簡単だ。
「では、次長のお心もお察ししますが…夜神月と弥海砂を重要参考人として…」
「待ってください」
竜崎は相原の言葉に口を挟み遮った。
「どうかしましたか?竜崎」
「何かひっかかります…何か…」
そう、おかしいのだ。月が自分のノートを持っていってそれで裁いているのだというだけでは説明のつかない殺人がいくつか起こっている。FBI捜査官も、あんなにあっさり本名と顔写真を渡すだろうか。本名は絶対に明かさないように言ってある。
最近は犯罪者は本名を報道しない。一部を伏せるなどしている。
もし…現キラが顔だけで人を殺せるとしたらどうだろう。
こういう推理はどうだろう。現キラは弥なのだ。それも、顔だけで殺せるキラだ。月はそれに気付いた…そして弥の犯罪をとめようと彼女に付きまとっている。
いや、それではノートを持っていって返してくれないことの説明にはならない。何より、警察に黙っているのはおかしいではないか…それこそ彼女に本気であるのではない限り。
では、月は弥に本気で惚れてしまい、なんとか彼女が警察に捕まらないよう逃がしてやろうと…?
ああ、駄目だ、まだ情報が少なすぎる。
「…先日私は、キラはノートに名前を書くという方法で殺人を行っていると言いました。その際は殺す相手の顔も分かっていなくては殺せないとも。ですが、今の殺人を見る限りではもしかしてキラは顔だけでも殺せるのかもしれません。ですから、無闇に顔をさらして近づくと危険です」
「顔だけで殺せる?」
「はい、前回説明し忘れましたが、現在の報道では犯罪者は名前を一部伏せるなどして扱われています。ですから、ノートによりすべてが行われていると考えるには無理があります」
「だが、あんたはキラの殺人はノートによるものだと断言したじゃないか」
「世界に渡り広範囲に人を心臓麻痺にできる方法はあれしかないと断定できます…が、私の知らない情報がなにかあるのかもしれません」
「じゃあどうしろというんだ?」
相原と名乗った刑事は、仕事はできるがよく突っかかってくる。しかしそれも強い正義感によるものと思われ、竜崎は彼に好感を持っていた。簡単にキラに殺させたくはない。
「…夜神月と接触します」
「月くんと?」
「はい、月くんは知り合いですので。朝日さんも知っています。月くんは顔だけで人を殺せる力など持っていません…それははっきりしています。またそんな能力を身に着けたのだとしても、私はすでに彼に顔を知られていますから」
ちらりと伺うと、総一郎も頷いた。
竜崎は携帯を取り出し、月の番号にかけた。今度は拒否されることはなかった。
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