悪魔の日記

 

 

12.電話

 

 

 

 

 目の前で日記帳が燃えていた。

 …そう、自分が燃やしたのだ…これは月に貰った日記だ。でも、なぜ燃やしたのだったろう…。

 何か大事なことが書かれていたような気がする。しかし中を見ようにも、もう日記はただの薄っぺらい炭の重なりだった。竜崎は水道の水をかけて、灰になった日記を流した。
 なぜか頭に霞がかかったような気がする。どうしたというのだろう…
 その時、テーブルに置いてあった携帯が着信音を鳴らした。
 手に取って開くと、「月」という文字が液晶に出ている。

「…もしもし?」
『あ、竜崎さん?』
 月かと思ったら、まったく違う女性の声が耳に飛び込んできて、竜崎は軽く目を見開いた。弥海砂だ。

『昨日はごめんなさい』
 昨日。そう、昨日…彼女と会った。でも、確か後から現れた月が、一方的に彼女を殴っていた…なぜ自分が謝られなくてはならないのだろう?と竜崎は不思議に思った。

『ノートのこと覚えてる?』
「ノート?」
『…ううん、いいんだ、いいな。ミサも自分のノートであいつを殺せばよかったよ、そうしたら記憶を失う選択肢もあったのに』
「殺す?」
『なんでもない…あのね、ライトは、竜崎さんのことが好きだから、竜崎さんに幸せになってもらうためならどうなったっていいんだって』
「………………………」
『ミサも、月のこと愛してるから、月に幸せになってもらいたいんだ…だから……』
「…………だから?」
『だから、ミサに、この携帯だけちょうだい。そう月に伝えて…』

 弥の声はどこか泣いているように聞こえた。

「分かりました。伝えます」
『うん、じゃあね、エルなんとかさん』

 そして通話は途切れた。竜崎は最後に届いた言葉に、些か驚いて携帯を見つめた後、閉じた。
 無性に月に会いたかった。

 

 

 汗で湿った服を脱ぎシャワーを浴びて、身支度を整えたあと、竜崎は部屋を出た。

 月の自宅に行き、玄関のチャイムを鳴らすと、彼の母親が顔を出した。

「あら?確か竜崎くん…?お正月以来よね」
「はい」
「あがってちょうだい」
 元旦から彼らを忘れて欲しい言動で驚かせたはずなのだが、月の母親はにこやかに竜崎を家に上げた。

「月ったら、失恋したとかで酔い潰れて、主人の同僚の方に支えられて、今帰ってきたのよ、昼間っから恥ずかしいわ。二階に居るから慰めてあげてちょうだい」
「はあ、お邪魔します」

 促されて、一人で階段を上がり、元旦にも入れてもらった部屋の扉を開けると、月がベッドに横たわっているのが目に入った。
 そっと中に入る。

「…竜崎…」
 月は布団に入ったままぼんやりとした目で竜崎を見上げた。
「…失恋して自棄酒したそうですが」
「違うよ、逆だよ。別れたいならこれを飲めって言われたんだ…死にそう」
 月は布団から出した手でこめかみを押さえて呻いた。

「ミサさんから伝言です」
「え?」
「月くんには幸せになってもらいたいけど、月くんの携帯だけはもらっていくそうです」
「ああ…そう、いいよ別に…」
 月は、布団の中にもぐりこんだ。頭頂部だけが布団の陰から覗いている。

「私も布団に入っていいですか?」
「…酒臭いよ」
「いいですよ」

 月が少し顔を出し、布団の端を上げた。
 竜崎は月の隣に滑り込むと、布団を肩まで引き上げて身体の力を抜いた。間近に向かい合った月が眉尻の下がった情けない表情で竜崎を見ている。

「…竜崎」
「はい?」
「浮気してごめん…僕どうかしてたんだ。もう絶対他の子は見ない…誓うよ」
「…はい」
 竜崎は月の胸に鼻を擦りつけた。襟から覗く自分の送ったロザリオが、チャリ…と音を立てるのに目頭が熱くなる。思わず手を口元にやり、日本に来てからも片時も外すことのなかった指輪に口付けた。

「…ん」
 漂うアルコール臭の中に、ふと何か焦げたような臭いがして、スンと鼻を鳴らす。
「…これはなんですか?」
 月の襟もとに何か黒いものが挟まってるのを見て、竜崎はそれをつまみあげた。
「…ん?ああ…なんかミサが燃やして、ばら撒いたんだ…あれ、なんだったのかな…」
「紙みたいですね」
 真っ黒に焼け焦げた紙の残骸は竜崎の指をすり抜けて床に落ちた。
 それを見送っていると、月が竜崎の身体に手を回して抱きしめた。

「僕たち、最近なんだか、すれ違ってばっかりだった気がする…」
「そうですね…」
 竜崎も月の胸元に頬をすりつけ、目を閉じた。今、月を悩ませているアルコールも、竜崎にとってはイギリスでの月との楽しい思い出を喚起させる幸福の香りで。
 頬に感じる月の体温と鼓動の音が、例えようもなく心地よかった。

 

 

 総一郎は、玄関に入ると足元に目を留めた。靴がいつもより多い。

「あなた、今日は早かったのね」
 妻の幸子がエプロンで手をぬぐいながら迎えた。

「ああ…担当していた事件がひとまず解決したんだ、犯人の子が自首してきて…。お客さんか?」
「月が帰ってきてますよ。お友達も来てて」
「お友達?」
「あの、お正月に来てた、竜崎くんだったかしら?月が女の子より好きとか言ってた…」
「竜崎が?」

 そっと階段を上り、月の部屋を覗くと、二人はベッドの中で寝息を立てていた。総一郎は微笑むと、静かに扉を閉め、階段を下りた。

「あなた、竜崎くん晩御飯食べてくか聞いてくれる?」
「いや、寝かせておいてやろう…しかし、なんか酒臭いな」


 

 

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