悪魔の日記

 

 

11.手紙・2

 

 

 

 

 お前に触れるなどもうできないと心のどこかで分かってたんだ。僕は犯罪者に加え、FBIまで殺した…交通事故で人を死なせても刑務所に入るこの世で、故意に数え切れないほどの人間を死に追い込んだ。もう、償いようもない…それでも、お前が生きていると、生きていてくれると…そう思うだけで何だって耐えられた。だけどもうお前とは駄目だと…どうあってももとの関係に戻ることは出来ないと、そう思ってた。
 ミサが疑われているとお前に聞いた時も、心が麻痺したかのように、何も感じなかった…捜査の手がじわじわと自分の首に伸びているのを、甘んじて待っていたよ。ようやく終わる…そう思ってた。

 正直に言おう竜崎。僕は彼女と寝たよ。経緯は知ってるよね…監視カメラで見てたんだ。
 ミサを愛してるわけじゃない…なんというか、あの時、自分にできることが他に思いつかなかった。お前とはもう終わったと思ってたし、自分にはもう何の価値もないと思っていた。ミサが僕を求めるのなら、こんな自分でいいなら、くれてやるとそう思ってた…
 でも、ミサが、「これでライトはミサのものだね…」と囁いたとき、悪寒が背筋を走って…急にものすごい不安になった…自分は何か、とんでもない失敗をしてしまったんじゃないかと、そう思った。

 不安が恐怖に変わったのは、監視カメラを見つけたときだ…監視カメラと盗聴器…僕がそれらを見つけて外しているのを見たミサが、「ライト、もういいよね?あの人消しても」そう言った。僕は…心底ゾッとした。ミサを抱いたからってミサが一番になったわけじゃない。僕は…選択を間違えた。お前の命は風前の灯だ。
 でも、もしかして…もしかして、ミサが竜崎の名を知っているというのは嘘かもしれない…もしかしてあの時見間違えたかもしれない。そんなはかない希望を、僕は持って…居てもたってもいられずお前の部屋に向かった。
 お前の顔を見て、僕の内心は愛しさと恐怖でぐちゃぐちゃになった。あの時きっと僕はどうかしてたんだ…あんな女に殺されるくらいなら、いっそこの手でお前を…そんなことまで思った。
 でも、お前が本名を口にした時、はっと我に返って…。ああ…竜崎、僕は泣きながら、気絶しているお前に口付けたよ。

 僕がどれだけそれを求めたか、竜崎お前に分かるだろうか。お前の本名…愛しいお前の本質を表す名。あんな形でお前から聞きだしたのは僕の最大にして最悪の汚点としか言いようがない。ミサが名前を見間違えたかもという希望は潰えたけど、それが逆に僕の正気を呼び戻した。ミサにノートを手放させよう、そう思った…望みはあった、レムを説得すればいい…死神は価値観が違うのかもしれない、だから最初にあんなものをミサに渡したが、彼女は本当にミサのことを想っていた。ノートなど手放したほうが人として幸せだということを、彼女が分かってくれたなら…。そう、ミサを庇い、僕が一人でキラとしての自首をしてもいい…。そう思ったし、レムをそう説得するつもりだった。
 しかし部屋に行くと肝心のミサが居なくて…僕は思い出した、次の日、1月26日は田村の裁判の日だということを。裁判でミサが田村を糾弾するのではないかと恐れ、彼女が裁判に行けないよう、ヨシダプロダクションは25日の夜からミサに過酷なスケジュールを組んでいた。どこで仕事しているのか分からず僕はミサを一晩中探し回った…携帯で連絡がついたのは、翌26日の昼過ぎだった。携帯に出たミサは、ようやくヨシダプロの人間を巻いたと言って…これから裁判所に行くと、これであの男を殺せると、そう言った。

 そうしてあとは、ご存知のとおりだ。竜崎。
 付け加えるなら、お前には見えなかっただろう死神があそこに居て、ミサを殴ろうとした僕をぶっ飛ばしたのはレムだ。
 あのあと、ミサは泣きながらあの場を去って行った。僕は破れたノートをかき集めた…彼女の使っていたのは僕が持ち去ったお前のノートなんだ。
 そしてお前を部屋に運んだ。ポケットに入っていた鍵を使わせてもらった…お前がこんなに弱っているのは全面的に僕のせいだ、本当に…本当にすまない。どう謝っても謝りきれない。

 竜崎、あのノートは、死神のノートどころか、悪魔のノートだ…関わった人間の人生を簡単に狂わせる。名を書かれた人間の人の命を奪い、書いた人間の気力を糧とする、悪魔の日記のようなものだ…この世から消えてなくなることこそが一番望ましいと僕は思う。
 レムは言った…ノートの所有権は、今、僕とお前、二人の間にまたがっていると。お前が手放さないと強い意志を持っているのにも関わらず、僕が使い続けたためそうなったらしい。ノートが燃えるなどして使えなくなった場合は二人とも記憶が消えるそうだ…仮にそうなっても大丈夫な様、僕は証拠としてこの文章を残しておくよ。
 キラとして裁きを行ったのは僕だ。もし記憶が飛んだとしても、これを証拠に僕を逮捕させて欲しい…それでお前がミサに殺される危険がなくなるのなら、それでも構わない。今からミサを探しにいく。彼女にノートを手放すよう説得する…そのあと、警察に自首をする。お前が無事で居られるならどうなったって構わない…。

 ああ…おかしいな。つじつまが合ってないな…自分でも分かってる、きっともうずっと混乱してるんだ…とにかくもう行くよ。

 竜崎、言葉では表しようもないほど、お前のことを想っている。

 

 

 

「…ッ…」
 震える手で日記を閉じながら、竜崎は涙をぬぐった。ふいてもふいても頬が乾くことはなかった。
 月に殺人をさせていたのが自分の存在だったとは…なんと残酷な結末だろう。
 あの時も、あの時も、あの時も…そんな辛い思いを彼が抱いていたなどまったく気付かなかった。

 パソコンのもとに行くと、長時間放置したため節電モードになっていた。電源を入れなおし、松井から受けとったDVDを開く。弥の部屋がまた映った。

『ミサ、あれ知らないか』
『あれって?』
『分かってるだろ』
 月はいらいらした様子で弥の部屋の中を探し回った。弥はまたテレビの前に戻り、クッションの上に横になっている。
『この間忘れていっただろ?お前まさか…』
 ゴミ箱から竜崎の送ったロザリオを引っ張り出し、月は弥を睨み付けた。
『これは大事なものだって言っただろう!なんてことするんだ』
『別に…腹いせ』

 弥は月のほうを見ようとしないでテレビを見ている。

『…なにかあったのか?』
『エイティーンの人気投票で一位になって、映画のヒロインに選ばれた』
『…よかったじゃないか』
『…27日以降ならよかったよ』

 弥は座っていたクッションから立ち上がって月を見た。
『27日?まさか…』
『事務所に、明日の裁判には絶対行くなって言われた…』
 弥の声は低くなり、怒りがこもって震えた。そして足元のクッションを掴むと、彼女は回りに打ちつけ始めた。

『ようやく来たチャンスなんだよ!?あいつの…田村の本名を見るチャンスなのに!寿命の半分まで使ってようやく回ってきたチャンスなのに!!」
 金切り声を上げながらクッションを振り回す彼女の周りに羽毛が飛んだ。
『チャンスならまだあるだろ…もしかして死刑になるかもしれないし…』
『ないよ!みんな馬鹿なんだよ、あの男がどんな悪党だか知らないんだよ!死刑とか上告とか待てないよ、今すぐあの男を殺さないともうミサはどうなるか分からないよ!!』
『落ち着けよ…』
 月はヒステリックにクッションにあたっているミサを、冷めた様子で眺めていた。もう慣れたのかもしれない。

『……ねえライト…』
 ひとしきり暴れ終わって、息が落ち着いてから、弥は月のほうに探るような声を向けた。

『そのロザリオ、そんなに大事なの…?あのお友達がくれたんだよね?』
『…そうだよ…』
 月はロザリオを弥の目から隠すかのようにポケットにしまいこんだ。
『男同士でロザリオを贈り合うなんて、おかしいなあ…もしかしてもっと特別な関係なんじゃないの…?』
『…そんなわけないだろ…』
『ほんとに?じゃあミサとつきあってよ…他に付き合ってる人なんて居ないんでしょ?ライト』
『……ミサを好きにはなれないって何度も言ってる』

 辛抱強く押し殺した声で、何度目なのか。月は彼女を拒絶した。

『やっぱりねぇ…そう言うと思ってたんだぁ…月は潔癖だもんねぇ、ミサなんか抱けないんでしょ』
『…そういうわけじゃない…』
『大丈夫だよ、優しいライトが楽になれるお話をしてあげる』
 弥は話しながら服を脱ぎ始めた。そして全裸になり、クッションの上に体を倒すと、脚を組んだ。

『ミサは、一年前はこれでも、いつか出会う運命の恋人とのファーストキスを夢見る、純粋な女の子だったんだよ?ところがある日、家に帰ると玄関から知らない男が出てきたの。そいつはとーっても興奮して目をギラギラさせて、ミサを見た。ミサは、どちらさまですか?って間抜けに訊いたんだ。そうしたら男は、ミサのことをミサのうちの玄関に引っ張りこんで、無理矢理押さえつけてレイプしたんだ…ミサは怖くて痛くて苦しくて、何度もお父さん、お母さんって叫んで、うちの玄関でこんな目に遭っているのに、どうしてお母さんもお父さんも助けてくれないのって、なんてひどい親なのって泣きながら思ってた。そして、男が逃げて行った後、べそをかいてミサが家に上がりこむと、そこに両親の死体が血まみれで転がってた…助けてくれないわけだよねえ…』

 月は黙って立ったまま弥の話を聞いている。

『そのあとミサが何をしたと思う?今でも信じられないよ…シャワーを浴びたんだ…警察が来る前に、レイプの痕跡を全部洗い流してしまったの…おまけに、警察が来たあともショックで何も話せなかった…。あの時、ちゃんと起こったことを話して、ミサの中にあいつが残していった精液があれば、きっと証拠になってあの男を殺人犯として死刑にできたはずなのに。あの男が逮捕されて、ミサはちゃんとレイプされたって話そうとしたんだよ?でも事務所に止められたの…マイナスイメージにしかならないからやめろって。警察に話せば絶対どこからか漏れて、暴露されるって…アダルト女優にでもなるつもりかって言われたよ。だから家の前で会ったとしか警察に言えなかった…そしたら、弁護士とかからミサの証言には信憑性がないと言われて…冤罪とかいう話が出て来た…』
 弥は息を荒くして、憎しみのこもった目で空中を睨み付けた。
『あいつなのに…ミサの両親を殺したのは絶対あいつなのに…血の臭いがしたとき、ミサは自分の身体からしてると思い込んだんだ…でも、ミサのお父さんとお母さんの血だったんだよ…!!…あの男も憎いし、あの男の弁護士も事務所も憎いけど、一番許せないのはミサだよ…!一番有力な証拠をミサは自分で消してしまったんだ…ここに、あったのに』
 弥は自分の両膝を掴み、月に見せつけるように脚を広げた。

『だから、ライトはミサのことなんか好きになれなくたって全然気にしなくていいんだよ…こんなミサが人から愛されるわけないもの…そうでしょ…?ミサとヤッてくれるのなんてきっとあの殺人犯だけなんだよ、あっはははは、あっはははははは!!!』

 弥は気が狂ったように笑い続けた。途中で笑い声が引き攣って嗚咽に変わり、彼女は泣き出した。呼吸が止まるほどに激しく。
 それまでただ立って弥を見下ろしていた月は床に膝をつき、弥の身体を抱いた。自分の胸にしがみつく弥の髪を撫で、それからなだめるようにキスを繰り返す。見覚えのあるシーンに繋がってから竜崎はDVDを止めてパソコンの電源を落とした。

 

 

 月の残して行った日記帳を、もう一度開き、竜崎は目を見開いた。
 昨日、自分が出かける前にしていった英語の殴り書きの下に、日本語で月の筆跡が並んでいた。

 

 

I still love him.

 

僕 も だ よ

 

 

 字の下にポタリと液体が落ちた。竜崎の流した涙だった。
 手の中の日記帳を閉じ、抱きしめると、それを持って竜崎はキッチンに行った。

「…最後の私のわがままくらい聞いてくれてもいいだろう?」

 コンロに火をつけ、日記帳を翳すと、青い炎が燃え移った。流しに置き、紙が全て炭になっていくのを見守る。

「……?」

 急にめまいがして、竜崎は額を手で押さえた。
 ぐるんと視界が回る気がする。自分の中の何かが持っていかれる…

「…ッ…」

 竜崎は床に手を突いた。

 

 

 

 

 NEXT→「電話