キミがご馳走

 

 四宮が綾乃と仕事の打ち合わせをしていると、むこうの方からテルが鼻歌と共に歩いてきた。
「どうしたのさテル先生?嬉しそうだね」
「へっへっへ」
 するとテルは満面の笑みで、
「明日、北見と院長と皇さんで、会食の予定だったんだけど、院長が急用で行けなくなって、かわりにオレを連れて行ってくれるって〜!」
「あ、そう、せいぜいお二人に迷惑かけないようにしてね」
「へへっ、フレンチだぜ、フレンチ!」
 テルは楽しそうに鼻歌を歌いながら去っていった。

「じゃ、さっきの続きなんだけど」
 四宮が綾乃に向き直ると、綾乃は不安げな顔で、まだテルの背中を目で追っていた。
「…心配だわ…」
「ん?どうかした?」
 四宮は、綾乃と、視線の先を見比べながら首を傾げた。もうテルの姿は見えなくなっていた。

 

「テル先生!」
 帰り支度をしているテルの耳に、四宮の怒号が飛び込んできた。
「え?四宮?」
「こんな所に居たのかい!探したよ!」
「は?」
 四宮は、テルが帰り支度を終えているのを見るやいなや、テルの腕を引っ張って更衣室を出た。
「さ、行くよ!」
「へ?どこに?」
「ボクんちだよ!」
「は?なんで?何?」
 四宮は振り返ってテルの顔をのぞき込むと、
「…綾乃さんから聞いたんだけどキミ、前に彼女と食事したとき、スープを直接皿から飲んだんだって!?」
「え?あ、うん」
「冗談じゃないよ!」
 四宮はものすごい剣幕で怒鳴った。
「キミは!皇さんと北見先生に、そんな恥をかかせるつもりなのか!?まったく、それほどまでとは思わなかったよ…!」
「え、だって…」
「だっても何もあるものか!今日はうちで特訓だ!フレンチの作法を、今日中に絶対身につけろよ!」
 四宮は嫌がるテルを引きずっていき、車に押し込むと、自宅に向かった。

 

「さあ、テル先生」
 座って、と四宮は椅子を差した。
「う、うん」
「左から!」
 ぱしん!テルの頭を、四宮が持った50p定規がひっぱたいた。
「席に着くときは左から!立つときも左から!基本だろ!?」
「は、はい…っ」
 あわてて左側から椅子に座り直すテル。
「さあ、もう一回おさらいしてみて?フォークとナイフは?」
「外側から使う!」
「魚用のナイフはどれ?」
「これ!」
「そう、模様がついたやつだね。で、料理を食べ終わったら?」
「フォークとナイフを揃えて、右側に置く!」
「よくできました」
 テルが、ゴブレットに入った水を飲み干した。
「ちなみに、食事中、政治と宗教の話題はタブーだから…って、テル先生?何やってるのさ!?」
「え?あ、だって、四宮、さっきから、オレが飲むたんびに水足すんだもの。もう水はいいよ…」
「そういうときは、人差し指を一本、グラスの上にかざすんだよ!手でフタをしない!」
 ぱしん!

「大体、なんでグラスが三つもあるんだよ?」
「だからそれは、ビールや水を入れるゴブレットと、魚料理用の白ワイン、肉料理用の赤ワイン、で三つだとさっき説明したろう。ワインをどれにするか聞かれたら、赤ワインはボルドー、白ワインはブルゴーニュでって頼めば大概間違いないから…まあ、銘柄は北見先生と皇さんに任せるといいね。さあ、ナイフとフォーク使いの練習に入るから」
「うえ〜〜〜まだやんの?」
「ああ、勿論…。キミ、ナイフ遣いも最低だそうじゃないか…」

 でもまあ、飯食えるんならいいか…!とワクワクしながら待つテルの前に四宮が出した物は、ふるる…と震える、白く柔らかいものだった。
「…何…これ?」
「豆腐」
「…フランス料理は?」
「そんなもの、用意する時間もなければ、キミに食べさせる義理もないし、練習なんだからこれでいいんだよ、さあ、ナイフとフォークを持って!フォークを刺して、ナイフで切って、口に運ぶ。そうそう。フォークで刺して、ナイフで切って…」
「だーーーーー!!!」
 テルが椅子から床に転げ落ちて、手足をバタバタさせた。
「やだやだやだやだもうやだー!なんで四宮に定規で叩かれながら、豆腐なんて食わなくちゃいけないんだよ!もう帰るーーー!!」
「何言ってるんだよ、だだっ子じゃあるまいし…いくつのつもりさ」
「いくつもでいい!帰るったら帰る!」
 はあ〜〜〜っ…と、四宮は呆れたように溜息をついた。

 

「……しょうがないな」
 床に転がるテルを見下ろしながら、観念したように言った。
「立って、テル先生。出かけるよ」
「え?どこに?帰してくれるんじゃ?」
「緊張感が足りないようだから、本物のフランス料理店に連れてってあげるよ。幸い夕食はまだだし、この時間だったら間に合う」
「ええ?だって、オレ、作法身に付いてないし…お前が恥かいちまうぞ?」
 テルが慌てると、
「ボクはいいんだ」

 四宮は上着を着ながら、テルに向かって少し意地悪に微笑んだ。

「キミの恥じらう表情を鑑賞するのは、ボクだけでいいいんだよ」

END

アトガキ
マナーで間違ってるところあっても苦笑して…こっそり教えてやってください;