鳥をさがす旅 7                  日向夕子

「ゼリスが捕まった!?」
 隠れていた倉庫で、ほうほうのていで帰ってきたティティニアの報告をうけたクレヴァーは、血相をかえて立ち上がった。
「クレヴァー。落ち着けよ」
 ゼリスが出発してからまたすこし縮んだカリオルは、険しい顔をしながらもまだ冷静だった。
「子供だからあまりひどいことはされないだろうって、言ったのはクレヴァーだろう。現に、ラマーシャっていうのを怒らせたティティニアだって、こうして無事で帰ってきてるし」
「ちょ、ちょっとダメージあったけどね」
 気まずそうにティティニア。ゼリスを守るはずが撃退されてしまって、面目ないのだろう。
「そうだね…。結局、私たちに対する拒絶もいっときは強くなったけれど、それだけだ。彼女は、誰かを傷つけようとまではしない。…でも、あんまり感情を昂ぶらせたら、保証はないな」
 失策だ、とクレヴァーは舌打ちし、そのままうろうろと辺りを歩きはじめる。
「ゼリスを危険なめにあわせてしまうなんて。やっぱり、関係もない子をまきこんでしまうなんて、いけなかったかな…」
「いいじゃん、ゼリスがやるって言ったんだし」
 倉庫の木箱に行儀悪く腰かけ、カリオルが軽く言う。それから、何かを企むように口の端を上げてみせた。
「それよりさ。そろそろ力ずくでいかないか?」
「カリオルさんたら!」
 ティティニアがたしなめるように眉をよせた。しかし、クレヴァーはカリオルの言葉に反応して、ぴたりと足を止める。
「そうだね」
「ええー、クレヴァーさんまで!」
 ティティニアの非難は耳に届かぬさまで、クレヴァーは緑の目をすがめてみせた。怜悧な美貌をもったエルフが、平素の優しい表情を捨てると、それだけで周りの人間にはかなり怖く映る。
「穏便にことを進めるつもりだったが、さすがにゼリスが捕まったとなると。ラマーシャの気持ちばかりを考えてはいられない」
「ラマーシャさんの気持ちって。あの人、閉じ込められてるんじゃなかったんですか?どうしてあんなに怖いの?」
「…彼女が使っているのは、ただの結界だよ。自分の気にいらない者を排する。しかも、理論など何もない、思春期の子どもが、潜在的能力と本能だけで構成している、めちゃくちゃなものだ」
「あー、それで、近づくと嫌〜な感じがするんだな」
「そう。でも理論がなっていないぶん、かえって正攻法でくずすのはやりにくい。魔術対魔術というのは、普通はそれなりにルールがあるものなんだ。…それが効かないとなると、とにかく力任せだね」
 それを聞いたカリオルは嬉しそうだ。
「強気だな、クレヴァー」
「まあね。伊達にあの人の血をひいてはいない」
 クレヴァーも、多少の皮肉をまぜた不敵な笑いで応えた。夜になってから、塔へむかうという。その様子を見ながら、ティティニアはそっと思った。
(精霊王様って、ご本人はあんなに穏やかなのに、なんだか変なお友だちが多いのね…)

 ゼリスを閉じ込めた小部屋に、ハティアは夜になってもやってこなかった。
 食事は律儀に届けられたのだが、それは屋敷の使用人によってだった。どのように言い含められているのかは分からないが、彼は何も喋らないし、ゼリスと目をあわせようともしない。扉には鍵がかかっているし、廊下には見張りがいるようだった。
 ラマーシャを落ち着かせてから、話をきく、とハティアは言っていた。だとしたら、あれからも長いことラマーシャが泣き続けて、ゼリスのところに来られなかったのかもしれない。あるいは、仮にも国主としての仕事が山積みであろうから、そちらに追われているのか。
 ともあれ、色々あって疲れはてていたゼリスは、これ以上ハティアが現れるのを緊張して待つ体力はなかった。
 残念ながらベッドはあてがわれなかったのだが、ソファの上にまるくなって眠ってしまうことにした。
 夢をみはじめたところで、何かの物音がして、意識がまた浮上する。
 薄目を開けると、誰かが、足音をしのばせて部屋の中に入ってきていた。
 月明かりだけで充分、それが誰なのかが分かり、ゼリスは身を固くした。
「ラマーシャ…?」
 右の翼があまりにも特徴的だ。名を呼ばれ、少女はゼリスからすこし離れたところで立ちどまった。
 ゼリスは、すこし怯んだ。また悪魔呼ばわりされたり、泣き叫ばれたりしたらどうしようかと思った。ゼリスは女性のヒステリーは苦手だったし、これからも好きになる予定はないのだ。
 しかし、ゼリスの怯えに対して、今のラマーシャは、弱々しげで、どこかはかなかった。
 もしかしたら、ラマーシャはあれから冷静に考えて、ゼリスが味方だと気づいたのかもしれない。ゼリスはちょっと期待した。なんにせよ、この状況はまたとない好機だ。
 ハティアが現れたりしないうちに、ラマーシャにあの鳥を渡そう。
 そういえば鳥は鞄の中に入れたままだった。ひどいことをしたものだ。その鞄はソファの裏においてある。ゼリスはソファを下りて、鞄をとろうとした。
「ねえ、あなた…」
 その前に、ラマーシャが思いつめたように話しかける。
「え?」
「あなた、本当は、カーオンの知り合いなんでしょ?そうでしょう?」
 すがるようにして、ゼリスに肯定の返事を求める。ゼリスは、頷きたくなる衝動と戦わなくてはならなかった。
「僕のお母さんは知り合いだって言ってました。それから、カーオンって人のお兄さんと、お友だちを知ってる。…でもぼくは、カーオンって人には会ったことないです」
 ラマーシャはいくぶん落胆したようだったが、この少年がカーオンに近しいと分かったので、ゼリスの心配するような事態にはならなかった。
「ぼく、ゼリスっていいます」
「私はラマーシャ。ねえ、あなた、人間よね。だって、さっき平気だったものね」
 さっき、というのは、ティティニアが吹き飛ばされたときのことだろう。ゼリスは釈然としないながらも頷いた。
「カーオンからの伝言とか、預かってきたんじゃない? 私、ずっと待ってるの。カーオンが迎えにきてくれるのを」
「え…? だって……」
 ゼリスは混乱して頭をふった。
 自分はここに、囚われのお姫様を助けにきたはずだ。ラマーシャと友だちになってくれと言われた。ハティアがラマーシャを宗教の象徴として捕えているのだと思っていた。
 しかし、ラマーシャの部屋は内から鍵をかけられている。ハティアはむしろラマーシャをなだめている。ラマーシャは、この旅で何度か名前が出てきた、カーオンという人を待っているという。
 そして、これだけ人間にこだわるラマーシャの右の背には、大きな翼がある。
「ラマーシャは、ここから好きなときに出て行けるんじゃない? だって、ハティアさんは君を閉じ込めているようには見えないもの」
「……だって……」
 とたん、ラマーシャは泣きそうに顔をゆがめた。ゼリスはぎょっとする。
「皆、私をいじめるもの。私が…ちょっと、見た目が皆と違うから。だから、お母さまも私を捨てたの」
 無意識か、自分の片翼に触れる。
「え? お母さんが?」
 そんなまさか、と咄嗟にゼリスは思った。同時に、ふたりの人物が話している光景が脳裡に浮かぶ。どこで見たのだったか…。
「そうよ。お母さまは、私が人間じゃないって言って、どこかへ行ってしまったの。皆、私を人間じゃないって言っていじめたの。私の味方は、昔に会ったカーオンと、ハティアだけ…。私は、人間なのに…」
「ラマーシャは、天使じゃないの?」
 うっかり口にしてから、禁句だったか、とゼリスは慌てて口を両手でおさえたが、ラマーシャは悲しそうにうつむいただけだった。
「私は、人間。私は人間よ。人間じゃない者なんて大嫌い。そんなの、全然私の仲間じゃない。私を仲間にひきいれようとしたって無駄。だって私は人間だもの」
 でも、翼があったら、楽しそうだけれどなぁ、とゼリスは心中で考える。人外のものとはいえ、天使ならそれほど毛嫌いすることもないのではと。
 しかし、頑なに自分が人間だと主張したいラマーシャにとっては、異形であればどんなものも排除すべき対象なのだろう。
「ハティアさんは…友だちなの?」
「そうよ。ハティアは私の気持ちを分かってくれるし、私が誰にも会わなくてもいいようにしてくれるの」
「それは…」
 だがハティアは、ラマーシャを利用して、エターナルという国をつくっている。
「ねえ、カーオンは今、どこにいるの?」
「今、カーオンさんが…?」
 ルルトはずっと会っていないと言っていた。カリオルも、その名を話題にあげるのを避けていた。知っているとしたら、クレヴァーだろうか。…死んでいるのかもしれないが。
「ぼくは知らないけど、カーオンさんのお友だちが、知っているかもしれない…」
「本当? 私、カーオンに会いたい。きっとカーオンなら、誰も私をいじめないところに連れて行ってくれるもの」
「………」
 ゼリスはだんだんと、怖いような、腹立たしいような、とにかく背中がぞわぞわする気分になってきた。ラマーシャがこんな少女だったとは、予想外だった。これは、十歳の自分の手には余る。

夜になり、倉庫に潜伏していたクレヴァーとカリオルは、そっと路地裏に出た。
「カリオル、君は残っていたほうがいいんじゃないか。かなり小さくなってきてるよ」
「まだゼリスと変わらないよ。大丈夫大丈夫」
 とカリオルは言うものの、彼が持つ剣は今のカリオルの背丈にはあまりに大きく、むしろカリオルのほうが剣に背負われているように見えた。
「それ以上小さくなったら、手遅れになる前に、そのへんの精霊に頼んで、精霊界に連れ戻してもらうからね」
「お好きにー」
 街灯の多い通りはあえて避けたが、月明かりが充分に彼らの足元を照らした。
 塔にむかうふたりの行く手に、ふらりと現れた人影がある。
「!」
 住人か、とふたりが立ちどまると、その人影は、親しげに手で挨拶をしてきた。
 月影に映る髪の光沢に、それが誰であるのか察したクレヴァーは、ほっと息をつく。
「リヴィンさん」
「こんばんは。…行かれるんですか?」
 リヴィンは、真珠色の長髪を、今はフードから出して惜しげもなくさらしていた。
「ええ。連れの少年に託そうと思っていましたが、直接話してみることにしました」
「微力ながら、お手伝いしても?」
 クレヴァーは破顔する。
「願ってもない。よろしく頼みます」
 承知して頷くリヴィンは、あいかわらず穏やかな雰囲気のままだった。

「とにかく…」
 ゼリスは、場をしきりなおして、唯一自分にできることを実行することにした。
「ぼくの預かり物をうけとって。ぼく、そのために来たんだ」
 ソファのうしろから、荷物を持ってくる。
 怪訝そうにするラマーシャの前で、慎重に精霊王の鳥を出してやる。こんなに長い間、鞄の中に入れたままで、しかもかなりぞんざいに扱った気がするから、鳥の様子が心配だった。
 しかし、両手でそっと抱いて荷物の中から出してやると、鳥はじっとおとなしくしていたが、そう衰弱しているようではなかった。
「鳥…?」
 羽毛が白く、尾だけがうすく青い鳥を、ラマーシャは不思議そうに眺める。
「うん。どうぞ、うけとって」
 精霊王の名を出すのはやめておいた。さきほどのように取り乱されたら困る。
 ラマーシャは、ややためらったようだったが、渡されたのが美しい鳥だったこともあって、何も言わずに両手でその鳥をうけとった。
「この鳥が…?」
 もの問う目でゼリスを見るが、ゼリスも首をかしげるばかりだ。彼はただ、この鳥を渡してくれと言われただけなのだから。
 そのとき、薄闇の中でも目に明るかった鳥の形が、ゆらりと歪んだ。
「きゃっ」
 驚いてラマーシャが手放すと、鳥は床の上でどんどんと形を変え、あっというまにひとりの人間の大きさになった。
 まるで幽霊のようにぼんやりと、黒い髪の男が立っていた。
「カーオン…!」
 ラマーシャが、驚愕だけではない感情で目を見開く。
 ゼリスもほとんど腰をぬかしたようになりながら、突然現れた男の影を凝視した。
 黒い髪、黒い目。もう大人ではあるが、まだ若そうだ。兄だというカリオル・ティージアの面影があり、たしかにカリオルが育ったらこんな人になりそうな外見だ。
(え……でも、この人は……?)
「カーオン!私、ずっと待ってたのに!」
 ラマーシャがその影に抱きつこうとして、触れないと知って泣き出した。
「迎えに来てくれると思ってたのに、どうしてずっと来てくれなかったの」
『ラマーシャ』
 カーオンという男の影は、優しく少女の名を呼ぶ。
 ゼリスは、その声を知っていた。
『ラマーシャ、君には帰る家があるだろう。自分の足で帰ればいいのに』
「だって、嫌いなんだもの。お母さまもお父さまもいなくて、町の子は私をいじめるし。おじい様も私をどこかにやろうとする」
 みじめに泣くラマーシャの背の翼は、力なくたれていた。とても空をはばたいていく翼とは思えない、その翼はラマーシャの心の傷そのものだった。
『おじいさんは、君を追い出そうとしたんじゃなくて、君が仲間のところで暮らせるようにしようとしたんだよ。それが君のためだと思って』
「仲間ってなに? 私は人間なのに。私、どこか他のところに行くんだったら、カーオンのところがよかった。どうして迎えに来てくれなかったの」
 少女のわがままに、カーオンは悲しげに苦笑する。
『私は行けないんだよ。会いたいのだったら、ラマーシャが来てくれればいい。そんなところに引きこもっていないで。君はどこにだって行けるんだから』
「行けないわ」
『行けるよ。君のお母さんのところにだって行ける』
「行けないわ! 行けたとして、お母さまは私のことを嫌っているもの!」
 ゼリスはただ困惑して、ふたりの会話を見守っていた。
 カーオンの言葉をすべて否定していくラマーシャ。それは、さっきまでのゼリスとラマーシャの会話となんら違いがないようにも見えた。
 しかし、ラマーシャがカーオンに誰よりも心を許しているぶん、そしてカーオンがラマーシャ側の事情をよく把握しているぶん、その言葉は的確に彼女の深いところに届いていった。それが、ラマーシャを癒すものではないにせよ。
『嫌ってないよ。レーマシカが君を実家において出て行ったのは、君の背中に翼が現れる前だ。レーマシカは仕事のために帰って来れないんだ』
「嘘。私が変な子だから嫌いなのよ」
『だいたい、レーマシカは子どもに翼があるからって驚くような、繊細な女じゃない』
(うわあ)
 今、なにかひどいことを言っていた気がする。ラマーシャの説得が面倒になったのだろうか。
『ラマーシャ。翼を持つ子どもなんて、世の中にたくさんいるんだよ』
「嘘。……本当に?」
 ゼリスも反射的に嘘だと思った。翼ある人間なんて、ラマーシャ以外には見たこともない。
『本当に。ラマーシャの近くには、たまたまいなかっただけ。ちゃんと人間の両親から生まれた子ばかりだ。だから気に病むことはない』
「でも……」
 まだ信じきれないようだが、ラマーシャの涙はようやく涸れたようだった。
『本当だよ。仲間はたくさんいる。怖い生き物じゃない。さあ、分かったら、そこのゼリスと友だちになって』
「え?」
 突然自分の名を出されて、ゼリスはどぎまぎした。
『そうして、そこから出て、私に会いにおいで』
「カーオン…。そうしたら、会ってくれるの?」
『ああ。言っただろう、私のほうからは行けないんだ。待っているから、君がおいで』
「うん…」
 泣きやみはしたものの、ラマーシャはとても落ち着いたような顔はしていなかった。自分の頑固な思い込みをことごとく覆され、信じるべきか疑うべきか、ひどく混乱していた。
 カーオンは、その混乱につけこんで、一時的にでも自分の言うほうにラマーシャを導こうとしている。
 ゼリスはどきどきしながらも、ラマーシャが困惑しつつ頷くさまを、感心しながら眺めていた。なるほど、ラマーシャのように思い込みの激しい女の子は、こちらのペースになんとかのせてしまわないと会話ができない。見事な手際を教えてもらった。
「そうしたら、カーオンに会えるのね…? ……!」
 幼子のようにくりかえしたラマーシャが、前ぶれもなく険しい面持ちになり、我が身を強く抱く。まるで強い冷気が襲ってきたようだった。
「誰か、来る…!」
「え…?」
 思わずラマーシャにかけよったゼリスは、何も感じることはできなかった。しかし、彼女の言葉に扉のほうを見る。
 ちょうどそのタイミングで、部屋の扉が開けられる。
(誰……?)
 ラマーシャの怯えように、警戒して待ちかまえたゼリスは、そこに現れたふたりの人物に、安堵のため息をついた。
 見覚えのあるエルフと少年。旅の仲間だ。
「クレヴァーさん、カリオルさん…」
 ふたりも、ゼリスの無事な姿を見て安心したようだった。
ついで暗い室内に視線をすべらせたクレヴァーは、透けているカーオンを見つけて、眉間をよせた。

 どうやら、執務机についたまま、うたた寝をしてしまったらしい。
 もう部屋の中がすっかり暗くなってしまったことに気づいて、ハティアはいすの上でのびをした。
「今日はもう休もうかしら…」
 呟いてから、忍び込んできた少年を小部屋に放り込んでそれきりだったことを思い出した。
 しかし時計を見るかぎり、子どもはもう眠っている時間だろう。尋問は明日だ。
(あの子、何なんだろう…)
 まさか、ラマーシャが言うような、悪魔ではないだろう。幽霊のような少女が現れもしたが、あの少年は人間に見えた。
 実際、そうあくどいことを考えているようにも思えなかった。しかし、あるいはラマーシャの故郷かどこかから遣わされてきたのかもしれない。ラマーシャの知り合いに似ていると言っていたから。
 ハティアは深いため息をついた。
「ラマーシャ、私を連れて行って…」
 ぽつりと独りごちる。当然、返事を求めるものではなかった。
 それなのに、どうしたことか部屋の一角から、答える声がかえってた。
「どこへ?」
 ぎょっとしてハティアは立ち上がる。答えたのは、男の声だった。この部屋には自分の他に誰もいないはずなのに。
「誰!」
 部屋に鍵はかけていなかったが、まさか使用人が勝手に入ってきていたはずはあるまい。ゼリスのように侵入者だろうか。
「断りもなく、失礼しました」
 男はきわめて静かに謝罪し、その言葉と同時に部屋に灯りをつけていった。
 火もランプも使わない、不思議な光を使って。その灯りに、ハティアは身をすくませる。
「こんばんは、ハティアさん」
 真珠のような光沢の金髪を長くおろし、琥珀色の瞳でハティアをとらえている。
 うすい色の清潔感のある長衣を着て、その上に何か白いものをはおっていた。
(違う…あれは……)
 男の背にあるのは、衣服の類ではない。羽毛だった。ラマーシャを見慣れているハティアには分かった。あの翼は、男の背から生えている。
「天使…?」
 愕然と呟くと、男はにこりと微笑んだ。
「はじめまして。リヴィンと申します」
 リヴィンと名のる男は、軽く一礼してみせる。その動きにそって傾ぐ翼が、本物であると主張していた。ラマーシャ以外に異形のものを見たことのなかったハティアは、本能的に恐怖のようなものを感じた。
 しかし、この男は危険そうな感じはいっさいなかった。夜中に私室に忍び込んできたにもかかわらず。
「……ラマーシャを迎えに来たの…?」
「場合によっては」
 よく分からない返答に、ハティアは叫びそうになった。
 私の、ただ一人の友人を連れて行かないで。私をもとの一人ぼっちにしないで。
 だが、いつか誰かが迎えにくるかもしれないとは思っていた。まさか本当に天使がくると想像できたわけではないが。
 それにしても、ラマーシャを迎えにきたというのなら、そしてこれほど密かに行動できるのだったら、なぜわざわざハティアのところにやってたのだろう?
「ハティアさん、あなたはどうしますか?」
続く質問に、うつむいてラマーシャのことを思っていたハティアは、思わず顔をあげた。
「え…?」
「あなたは、ラマーシャさんに、どこかに連れて行ってほしいんですか?」
「…………」
 ラマーシャを象徴として集めた、エターナルの人々は、ラマーシャがいつか自分たちを楽園に導いてくれると信じている。
 ハティア自身も、連れて行ってほしかった。
「楽園に? 連れて行ってと言ったら…連れて行ってくれるの?私も」
 リヴィンは頷く。その表情はどこか困ったように映った。
「楽園…と、私たちは呼んでいますが。私たちの住むところになら」
「なぜ、私も」
「ここに住まう人々は、それを望んでいるのでしょう? ラマーシャさんに希望を聞く前に、あなたにそれを相談しにきました。ラマーシャさんがいなくなったら、この国はどうなるでしょう。いえ、あなたは、どうするおつもりなのかと」
「…………」
 実際は、国とは呼べないような街だ。
 今は本国もとりたてて問題にはしていない。一都市としての形態を崩さず、税もこれまでどおり納めているからだ。本当に、名ばかりの小国だ。
 しかし閉鎖した街になっていることは確かで、方々から忠告の手紙も届いている。ハティアの考えに賛同しない住民、出て行った住民らも、反発の声をあげる日が来るだろう。
 しょせん、長続きはしない。
「…まさか、本当に楽園に行けるなんて」
「でも、あなたや、あなたに従う皆さんは、それを信じてきたんでしょう」
「信じてきたけれど、とうてい無理だとも分かっていたわ。ラマーシャは、本当はとても弱い子だもの」
 お互いに血縁に恵まれなくて、出会ってからは友人どうし、寄り添うようにしてきた。
 ラマーシャはハティアを頼っていたし、ハティアはラマーシャの弱い心を知りながら、それでもどこかで期待することをやめられなかった。天使を思わせる容姿。いつか、自分を救ってくれるのではないかと。
「ラマーシャが、楽園に連れて行ってくれると言うことで、信じようとした。もう寂しい思いをすることも、責任感の重圧につぶされそうになることもない場所に。でも、そう説いて、賛同者が増えるほど、私の理性は、自分の嘘に気づいていくし…」
 そんなときにリヴィンが来るとは。都合がよすぎるわ、とハティアは苦笑いする。
「そう都合のいいものでもないですが」
 言って、リヴィンははじめてハティアのほうに一歩近づいた。
「ここに住む皆さんを連れて行くと、街はなくなってしまうと思いますが、それでもいいんでしょうか?」
「それは当然…。いいの、責任は私がとるから」
「あなたも私たちと行くことになると、責任はとれませんね」
「………」
 ひとつの都市の住民がまるごと消えてしまう。
 全員がいなくなれば、責任もなにもあったものではない。あとは本国や周りの領主たちが何とかするだろう。土地を分け、新しい主を定め、他の地から誰かが入植し。
 多少の混乱は、あるかもしれないが。エターナル建国のために出て行った住民たちが、戻ってこられなくなるかもしれないが。
「私は………」
 言葉につまった。
「…では、とりあえずラマーシャさんの意向を聞いてきましょうか。ご一緒に?」
 待っても無駄と思ったか、リヴィンは部屋を出て行こうとした。ハティアもと誘う彼に、若い領主はつまずくように答えた。
「私は、残るわ。ここに」
 扉に手をかけていたリヴィンが、優しい表情でふりむく。
「では、ラマーシャさんはどうするおつもりか、一緒に聞きに行きましょう」

続く