鳥をさがす旅 6                    日向夕子

 侵入には、ティティニアを介して、水の精霊の協力をあおぐことにした。
 このあたりは、それなりに栄えた都市がつづいているので、上水道の設備が整っている。塔には大きな水道管が通っていた。
 水の精霊の力を借りれば、その水道管の中を、濡れることも溺れることもなく通ることができるのだ。塔の人間たちは、そんなところを人が通ってこられるとは、とても思わない。出られるところもないからだ。
 しかし水の精霊の説明によれば、湯殿に入れる湯をわかすための湯わかし場があるらしく、そこに出る水道口は、子供なら出入りできる大きさだ。ここから忍び込むことにした。
「よし、じゃあ行ってきます」
 ティティニアが側にいるとはいえ、頼りになるクレヴァーやカリオルを伴わずに潜入するのだ。不安は残り、ゼリスの表情はやや曇りぎみだ。
「ごめんね、ついていけなくて。よろしくお願いするよ」
 クレヴァーは申し訳なさそうにする。その横でカリオルは、「俺だって行けたら行きたいよ」と唇をとがらせた。
 ふたりとも、行けるものなら自分が行きたいのだ。カリオルはともかく、クレヴァーはラマーシャに思い入れが強いようなのだから。これは是非とも頑張らねば、とゼリスは気合を入れなおした。
 精霊王の鳥は、ゼリスが荷物の中に入れて連れて行くことになっている。息がつまって死んだりしないか心配だったが、「そんなに弱くないから」とクレヴァーが保証してくれた。
「塔に侵入したら、まずはハティアって人の部屋に行って、ラマーシャを閉じ込めている部屋の鍵をとって、ラマーシャに会いに行くんですよね」
 もう一度、ゼリスは手順を確認した。
「うん。場所はティティニア、確認済みだね?」
「もちろんです。鍵だって、私だけで取ってきてもいいんだけど」
「僕も行くよ。そんなの全部人任せにできないよ」
 ティティニアはかるく肩をすくめるだけだった。
「何事も、状況に応じて判断して。効率よくやらなくてもいい。安全第一に」
「気をつけます」
 ゼリスの顔を見てクレヴァーは、ふっと笑った。惜しみなく自信をくれるような笑顔だった。カリオルも、ゼリスの肩をぽんと叩いて激励してくれる。
「行ってきます」
 もう一度出発のあいさつをして、ゼリスは風にのった。

 貯水湖から水中に入る。頭では大丈夫だと分かっていても、やはり水面にぶつかるときには目をつぶった。
「オッケー、このまま進むよ」
 ティティニアの声に、そっと目蓋を開くと、周りは透明な水で覆われていた。
 しかしその水は見えるだけで、触れることも、ゼリスを濡らすこともない。足場もなく、風にのって運ばれたときと同じように、いつのまにか身体が移動していた。
 水道管に入ると、光源が失われて真っ暗になる。水の流れる音は、恐ろしいまでに大きく耳にひびいた。ゼリスは本能的な恐怖を感じて身をすくめたが、ティティニアが姿を現して「大丈夫だよ」と言うので、なんとか体面は保てた。
「すぐ着くから。無闇に動かないで待ってて」
 よく見ると、ティティニアの横に、うっすらと若い女の姿が見えた。これが協力してくれる水の精霊なのだろう。ゼリスは感動に恐怖も忘れて、礼を言った。
 そして実際、思いのほか早くに目的地に着いた。
 流れの音が変わったな、と思うと、不安定に運ばれるだけの状況でも分かるほどに、進路が左右上下した。管の大きさが変わり、やがて視界が闇一色ではなくなり。
 突然、水に透けた光がゼリスの目を刺した。
「まぶしっ…」
「着いたわ。じゃあ、水の外に出るよ?」
 頷く間もなく、ゼリスの身体は空中に浮いていた。
(もうちょっと丁寧に扱ってくれても…!)
 とにかく何もかも速すぎる。心の準備ができる前に、あちこちにやられている感じだ。
 解放感が全身を包み、気がつけばゼリスは石造りの床に、両足で立っていた。
 立ってはいたが、そうと自覚したとたんに、目眩がして床に膝と両手をついてしまった。
「どうしたの?」
「…酔った…」
 風や水に運ばれているときは、緊張のせいかそれほど感じなかったが、体を自分の意思で動かせるようになったとたん、ひどい気分の悪さと脱力感が襲ってきた。
「人が来るといけないから、こっちのほうに来て休んでよ」
 容赦のない物言いのティティニアだったが、まったくその通りなので、ゼリスはほとんど這うようにして水道管の物陰に隠れた。
 深呼吸をして胸を落ち着かせながら、ゼリスはゆっくりと周りを観察する。
 側壁に窓のない部屋だった。かわりに天井に明かりとりがある。さっきはそこからの光が目に入ってきたのだろう。あまり広い部屋ではなく、今ゼリスが出てきた貯水場を置くためだけのスペースなのは明らかだった。
 貯水場からは、さらに小分けに二・三の水道管が出ていたが、ここに水をくみにくる場合もあるのだろう、入り口の脇には桶が重ねられていた。
「ここ、鍵かかってるの?」
「日中はかかってないわ。夜は閉めておくみたいだけど」
 言いながらティティニアは姿を消し、「外に誰もいないか見てみる」という声が扉のほうでした。
 ゼリスが息をひそめていたのは、わずかな間だ。すぐにティティニアの「オッケー。行きましょう」という囁きが耳元でして、少年は飛び上がるようにして物陰から出ていった。
 精霊の指示のまま、ゼリスは貯水部屋を出るとすぐにあった曲がり角を右に行き、階段をのぼる。
「もし人に見つかったら、堂々として、何か用をいいつかって忙しいってふりを装えばいいんじゃない?」
 とティティニアは言うが、できるかぎり人の目にはつかないでおこう、とゼリスは決めてまわりを注意ぶかくうかがいながら進んだ。主の居室が水場の近くにあるはずもないので、ふたりはそれなりの距離を行くことになった。
 掃除などで忙しく働く女たちや下働きの目をかいくぐり、ついたのは屋敷のなかほどにある扉の前だった。
「ここ。で、どうやって入ろうかしらね」
「今、中に人は?」
 周囲を気にしながらゼリスが訊ねると、ティティニアは顔だけ扉につっこんで、「いないみたい」と簡潔に答えた。
 鍵がかかっているかもしれない、と懸念したが、取っ手に手をかけると、それはたやすく回った。考えてみると、ここは信者だらけの町の真ん中、しかもハティア自身の家屋の中なのだった。そこで自室に施錠するのは、そうとう猜疑心の強い人間だろう。
「おじゃましま〜す…」
 忍び込むのは罪悪感があり、こっそり挨拶をしながら、ゼリスは室内に身をすべりこませた。窓からの陽で、部屋の中は充分に明るかった。
 さすがに広い部屋だ。扉の左側の一角には、小さないすとテーブルがある。応接用だろう。正面の窓ぎわには立派な執務机があり、その隣に、少女のものとは思えないような、由緒あるらしい書類棚。どちらも頑強で、それが領主としてのハティアを表しているような気がした。
「で、鍵、鍵」
 壁に備え付けの棚の、小物が入っていそうなひきだしをさぐってみるが、中には無骨な手帳がぎっしりと詰められていて、目眩がしそうになった。
「馬鹿ね、机のひきだしから見なさいよ」
 ティティニアが言うので、棚は諦めることにした。と、そのときに思いもかけないところから、誰何の声がとんできた。
「誰?」
 若い女性の声だった。
 背後から、しかも部屋の扉とは違う方向から問われ、ゼリスは凍りついた。ティティニアからも息をのむ気配が伝わってくる。
「使用人の子? でも見たことないわね」
 幸いなのは、彼女の言い方に刺々しい響きがないことだった。ゼリスが子供ということで、大事には思えないのだろう。それを頼みの綱に、少年はおそるおそるふりむいた。
「あの…勝手にお部屋に入って、ごめんなさい…」
「ええ、今度からはちゃんとノックしてね」
 そこに立っていたのは、聞いていたとおりに若い女性だった。
 長い髪は、黒に近い茶色。瞳も似たような色のようだった。若くして都市の統治と宗教の旗頭をしているだけはあり、知的で押しの強そうな面立ちだ。質はいいが簡素な部屋着を身にまとっている。
 それにしても、まだ二十歳になるかならずかだろう。
「何をしていたの? 屋敷に住んでいる子ではないんでしょう?」
 彼女の後ろには、ゼリスが入ってきたのとは違う扉がもうひとつあり、今は開いてそのむこうの続き部屋が見えていた。どうやら書斎だ。ティティニアは、続き部屋までは確認しなかったらしい。
「あの…あの…」
 なんと言ってごまかせばいいのか。事前に考えておかなかったことを、彼は後悔した。
 しかし、ハティアのほうが勝手に推測してくれた。
「もしかして、ラマーシャに会いにきたの?」
 ゼリスは驚きのあまり、目をまんまるにしてハティアを見つめた。まさか、どうして分かってしまったのだろう。
 その様子に、自分の推測があたったことを悟ったのだろう、ハティアは微笑する。
 とても、いたいけな少女を幽閉する悪人には見えなかった。
「たまぁにいるのよね。ラマーシャ様を近くで一目、って思いつめて来る人が。小さい子のほうが、禁忌ももたない好奇心から、よく来るかもしれない」
「ああ……」
 そういうことか。ゼリスはラマーシャの信者と間違われたのだった。
「そう、なんです。ラマーシャ様に会いたくて。…駄目ですか?」
「駄目、と言いたいところだけど」
 ちょっと肩をすくめてみせる。
「屋敷に侵入して、ここまでやってきた度胸に免じて、少しだけ会わせてあげてもいいわよ。ただし、私がいいというところまでしか近づいちゃ駄目、触っちゃ駄目、話しかけるのも、挨拶以外はしちゃ駄目。「こんにちは」これだけね。それから、ラマーシャに会ったことを、帰ってから誰かに話すのも駄目。全部守れる?」
「はい!近づかない触らない話しかけない喋らない。守ります!」
 まるで珍獣を見せてくれる見世物屋にきたようだ。違和感をぬぐえなかったが、ゼリスは必死に頼みこんだ。またとないチャンスだった。
「あ、あと、ラマーシャに会ったら、その後私とお茶をすること。いい?」
「よろこんで!」
 首の関節をおかしくしそうなほど大きく頷くと、ハティアは満足げに笑った。
 これではまるで、近所のお姉さんだ。ちょっと強気でわがまま、だけど面倒見がよい。
「条件クリアね。じゃあ、会わせてあげる。ついていらっしゃい」
 廊下に出て行くハティアを、ゼリスは足早に追った。
「…どういうこと?」
 耳元で、ティティニアの呆れたような囁き。
「さあ…」
「お金持ちの道楽って、本当だったのかしら。まるで珍しい動物のコレクションみたいじゃない?これ、ラマーシャって人がほんとうにかわいそうかも」
 そういえばカリオル・ティージアが言っていた。ハティアは孤独な生活なのだと。
 近親者が一緒に住まわぬ寂しさを、こうしてラマーシャを使って人々を集めることでまぎらわしているのか、単なる富豪の道楽なのか。
 目の前の少女を見ていると、分からなくなってくる。とにかくゼリスは、置いていかれないようにその背を追う。子供の足にあわせることのない歩調が、彼女の性格、または交友関係の乏しさを語るようだった。

「さあ、もうちょっとだから頑張って」
 塔は、高すぎるというほどでもなかったが、階段を上りきる頃には、ゼリスの足はやはり少々疲れてきていた。
 最上部までやってくると、ただひとつの扉が彼らを待ち受ける。
 それは、木目をそのまま出し、美しく彫刻された、繊細な扉だった。
 ハティアがノッカーで扉を叩く。
「ラマーシャ、入るわよ? いい?」
 中から確かな返事があったかは分からなかったが、ハティアは隠しから鍵を取り出して扉を開けた。
「あらよかった、かんぬきはしてないみたい」
 中に入りながらハティアが呟いたものの内容に、なにか違和感を覚えたような気がしたが、ゼリスはそれは無視して、心に浮かんだことを聞いてみた。
「…いつも、外から鍵を?」
 非難する口調にならないよう、精一杯気をつけた。しかし、ラマーシャはこの街の救い主で、ゼリスは今は信者ということになっている。これくらいは言ってもおかしくないはずだ。
「いいえ」
 しかし、ハティアの答えは予想とは違っていた。
「ラマーシャが中からかけるの。私は自由に入っていいことになっているけど」
「え……?」
「ほら、狂信者なんかがやってきたら、危ないでしょう?」
「…はあ…」
 ラマーシャは、ここでいったいどんな暮らしをしているのだろう。
 ハティアにつづいて入った小部屋に、ラマーシャの姿はなかった。奥の続き部屋にいるようだった。領主の少女は遠慮なくそちらに進む。一度ふりかえって、ゼリスに念をおすように、唇の前に人さし指を立てた。
「ラマーシャ」
 扉代わりのうす布を上げて、ハティアは囚われの少女に声をかけた。その影から、ゼリスもそっとのぞきこむ。
 物の少ない部屋だった。
 かわいらしい細工の、小さなテーブルといすが片隅にあり、他はささやかな整理棚がひとつあるだけだった。寝室は別にあるらしかったが、狭くはない部屋がこれだけ簡素だと、寒々しくさえある。
 大きくつくられた窓辺に、少女がたたずんでいる。
(…鳥……)
 彼女を見た瞬間、ゼリスは直感的にそう思った。
 白い鳥が、そこにとまっているように見えたのだ。
 まばたきをすると、それが錯覚だったことが分かる。窓辺にいるのは、白い服を着た人間の少女だ。
 うすい金髪は肩をこすほどだ。四肢は細く、たよりなげだった。
 青い目が、ゼリスの姿をとらえた。絶世の美女というわけではないが、憂いをふくんだその表情は、どこか人をひきつけるものがあった。
 まだ寒い季節ではないというのに、毛皮の肩掛けをかけている。
(違う…毛皮じゃなくて、羽毛…? いや……)
 肩掛けではなかった。
 ラマーシャの右の背からは、白い翼が生えていた。

『塔には天使がいるんだって』
 カリオル・ティージアが、言っていたではないか。

「カーオン…!」
 青い目が、驚きに見開かれた。
 ゼリスは、自分の後ろを見やった。誰か他にいるのかと思ったのだ。だが当然、ここには自分とハティアしかいない。
「カーオン!来てくれたの!」
 呆気にとられるゼリスに、ラマーシャは感極まった様子で抱きついてきた。ハティアも突然のことに棒立ちになっている。
(えーっ、どういうこと? なになに?)
 おかしい。カーオンというのは、道中たびたび名前が出てきた、あの「カーオン」なのだろうか。だがルルトもカリオル・ティージアも、カリオルこそがカーオンにそっくりだと言っていたのに。
 そういえば、ラマーシャのこの反応は、カリオル伯父にそっくりだ。
「あら…でも、ずいぶん……」
 ゼリスからすこし身をはなし、首をかしげる。
「小さくなっちゃって…」
 こんなところまで、カリオルと同じことを言う。
「ぼく、カーオンて人じゃありません。ゼリスっていいます」
 ハティアとの約束をやぶって、ゼリスは困り顔で自己紹介した。この際は仕方がないだろう。
 それを聞いたラマーシャは、ふっと表情をかげらせたが、まだ失望というほどではなかった。怪訝そうに訊ねる。
「どうしてここに?」
「私が連れてきたの。あなたを一目見たいっていうから」
 ハティアが説明した。この部屋にイレギュラーな人間がやってくるのは、本当に珍しいことなのだろう。
「知り合い?」
 今度はハティアが訊く。単なる信者だと思ったから、ここまで入ることを許したのだ。不審な点があれば、警戒するのが当然だろう。
「いえ…でも、カーオンによく似てる。カーオンが子供の頃って、きっとこんなだったに違いないわ」
 困り果てたゼリスの耳だけに、そっと風が囁く。
「そういえばゼリス、黒髪だし黒い目だし、カリオルさんにちょっと似てるかも。きっとカーオンって人にも似てるんだわ」
「ああ…」
 カーオンという人物を若くしたのがカリオルで、さらに幼くしたのがゼリス、というわけだろうか。
 それにしてもラマーシャのこの反応は。鳥をゼリスに託すことに精霊王がこだわったのは、この結果を見越してのことだったとしか思えない。
 いくらなんでも、若返ってやってきたという発想は、ふつうは出ないような気がするが、カリオル・ティージアもラマーシャも、よほどその人物に会いたかったのだろうか。
「あの…あの…ぼく…」
 ゼリスは、ラマーシャのむこうの窓をちらっと見てから、鞄に手を入れた。
 とにかく目的を果たさなくては。あの鳥を渡そう。そんな怪しいことをしたら、ハティアがどれだけ怒るかも分からないが、最悪の場合、あの窓から身を投げれば、ティティニアがどうにかしてくれるのだから。
「これを、届けにきたんです。ラマーシャさん」
 荷物の中でもしっかりと生きていた、精霊王の白い鳥を出してやろうとした。
「精霊王から、あなたに」
「精霊王…?」
 疑わしげな呟きとともに、ほのかなぬくもりを鞄の中から出そうとしたゼリスの手を、ハティアがさしとめた。
「待ちなさい。あなたは何? 人間じゃないの?」
 今までとはうって変わった、その冷たい声に、ゼリスはぎくりとする。
「人間じゃない…?」
 ラマーシャも、半信半疑の面持ちで、ふらりとゼリスから離れる。
「違います。ぼく、人間です」
「だとしても、エターナルの人間じゃないでしょう。本当は、あなたのような子供は、信者でなければ、この国の中に入ることさえできないのに。どうやって私の部屋までたどりついたっていうの」
 ハティアの視線はもうすでに、領地をおびやかす侵入者を見るものに変わっていた。ゼリスは怯えるあまりに、挙動不審になり、かえって疑心をあおってしまう。
「いや、それは、つまり…」
 どう説明したものか、と迷ったとき、ラマーシャが小さく悲鳴のような声をあげた。
「悪魔の臭いがする…」
「え?」
 何の臭いだって?と鼻を動かしてみたが、なにも異臭はしなかった。
 しかし、実際にラマーシャは青ざめ、ゼリスを凝視したまま後じさった。
「え、ぼく? ぼくは悪魔なんかじゃないですよ!人間です!」
 どうしてこんなことに。ゼリスは泣きそうになった。
 自分は幽閉されるお姫様を、あるいは天使を、助けに来たはずだったのに、当の本人に悪魔呼ばわりされるとは、あんまりではないか。
「だって、悪魔の臭いがするわ。残り香だわ。あなた、悪魔と一緒にいたでしょう!」
「えっ…?」
 ゼリスは困惑した。悪魔と一緒にいたことなど、ない。
 ずっと一緒に旅をしてきたのは、エルフのクレヴァーと、精霊界のカリオルだ。
 弁明しようと、一歩前に出たゼリスの両腕を、ハティアがねじりあげた。
「いたっ!」
「ラマーシャに近づかないで。君の話は、あとで私がゆっくりと聞くわ」
 なにか布のようなもので、後ろ手に両腕をしばられる。
「ティティニア…」
「ゼリスを放して!」
 ゼリスの求めに、ティティニアが姿を現して、突風でハティアを押しのける。
 唐突に現れることで動揺させるつもりもあったのだろう。それは効を奏して、ハティアはよろめいてゼリスから離れた。
 しかし、あきらかに人外の者の出現は、もうひとりの少女の逆鱗にふれた。
「出ていって!」
 ラマーシャの叫びが、奇妙な圧力を生んだ。ティティニアの半透明な姿が、その力に押されて室外に飛ばされる。
「ティティニア!」
「みんな出ていって!私に近づかないで!」
 かんしゃくをおこしたように、ラマーシャは叫び続ける。ティティニアを追い出した圧力は、ゼリスとハティアには影響しなかったが、片翼の少女の剣幕はすさまじかった。
「ラマーシャ、落ちついて…。大丈夫よ、この子もすぐに連れて行くから。ちょっと待っててね、すぐに戻ってくる」
 ハティアは姉のようにラマーシャをなだめると、ゼリスの縛られた手をとって、乱暴に部屋から連れ出した。ふたりが出たとたん、部屋の中から鍵をかける音と、かんぬきを下ろす音が聞こえた。
 扉のすきまから、少女の鳴き声がもれている。
「ラマーシャ…」
 ハティアは一瞬だけ、扉のむこうの少女を案じる表情をしたが、すぐにゼリスを睨めつけた。
「君はこっち。ラマーシャを落ち着かせてから、話を聞かせてもらうから」
 ゼリスは青ざめた。
 頼みの綱のティティニアはどこかに吹き飛ばされた。ラマーシャには悪人のように拒絶され、この国の統治者であるハティアに捕らえられた。
(本当に、なんでこんなことに…? 女難。こういうの、女難っていうんだ!)
 お父さん、本当の勇気を得られるのは、まだまだ先のことみたい…。ゼリスはうつむいて、ハティアにひきずられていった。

続く