鳥をさがす旅 5 日向夕子
荷を積んだ馬車は三台あり、その内の一つに三人が乗り込んだのは、まだ朝の涼気がわずかに残る頃だった。
「どうもお世話になりました、カリオルさん。今度寄った時はお礼をさせてください」
「いやいや、私も久しぶりに会えて嬉しかったよ、ゼリス君、今度は兄弟皆で遊びにおいで。お母さんによろしく」
「はい。どうもありがとうございました」
馬車の上から、見送りに出てくれたカリオル・ティージアに別れの挨拶をする。
ゼリスは、カリオルからルルトにと、挨拶の返事の手紙を預かっていた。本当に兄弟たちとまたここを訪れることもあるかもしれない。
「元気で。また来るよ」
少年カリオルは、いかにも彼らしいあいさつをする。カリオル伯父は嬉しそうだ。
「精霊王によろしく。道中記の件もね」
「伝えておきましょう」
そして馬車は出発した。
手をふるカリオル・ティージアが見えなくなって、揺れる荷台の中で腰を落ち着かせたとき、空中に桃色の髪の少女が現れた。頭の上に、白い鳥をのせている。
「ティティニア。おはよう」
「おはよう」
「ティティニア、昨日はカリオルをいじめてやったんだって?」
笑いをこらえて問うクレヴァーに、ティティニアはニヤリと口のはしをあげる。
「カリオルさんて、本当にやんちゃなんだから。ガーウィムズさんも、日頃さぞかし苦労しているんでしょうね」
「まったくだね」
散々に言われているカリオルはしかし、涼しい顔で肩をすくめている。
「ところで、私クレヴァーさんに聞きたいんだけど…」
ティティニアは、頭の上の鳥に手をやって、胸に抱きながら首をかしげた。
「何?」
「このあいだ、カリオル伯父さんとの食事のときに、ラマーシャって人の話をしていたでしょう? えーと、レーマシカとか言う人の娘っていう」
「うん」
馬車はガタゴトと細かく揺れ、外の景色はゆっくり変わっていった。
市場の台、からくり時計、噴水…そんなものが遠ざかっていく。
「精霊王様の昔のご友人の娘、だからその子を助けるのね? 何か、作戦みたいのはあるんですか?」
問われたクレヴァーは不思議な微笑みをうかべて、おだやかに首を横に振る。
「作戦は特にないね。あえて言うなら、ゼリスがラマーシャに会えたなら、それでいい」
その一言に、ゼリスは唖然としてクレヴァーのほうに振り返った。
「はい?」
「だから、君がこのサルフの鳥を連れて、ラマーシャに会いにいければ、それでいいよ」
「ああ、鳥に会わせればいいんですね?」
いくらなんでも、とらわれの姫君を助ける作戦として、ゼリスがその少女に会えるだけで解決、などということがあるはずがない。精霊王の鳥を彼女に会わせることが目的だというなら、納得もいくが。
「いや、鳥を連れて行くだけなら簡単だ。ティティニアに頼めばいいだけなんだから」
「ああ、そうか…」
「サルフはきっと、君に鳥を連れて行ってほしかったんだよ、ゼリス」
頭が混乱してきた。
「…何でですか?」
「さあねぇ…」
隠し事をもった笑いでクレヴァーは返事をごまかした。
ゼリスはカリオルの方に目をやったが、こちらも首をかしげているから、詳しいことは知らないのだろう。ティティニアも同様だ。
ゼリスは判然としない気分だったが、クレヴァーはどうやらそれ以上は言う気がないらしかった。
エターナルをとりかこむ外壁は、高く灰色で、鳥たちの休み場になっていた。
カリオル伯父のところの御者が、門番に通行証を見せ、馬車は町の中へと進んでいった。
外から見つからないようにと気をつけて、町の様子をうかがっていると、馬車は大通りはすぐに曲がり、やがて倉庫がいくつか並ぶ区画にとまった。
先に聞いてあった話では、ここでエターナル側の受取人と、荷の確認をし、搬入を手伝ってから、明日には馬車はもと来た道を帰るのだった。
このあたりは人目も少ないから、荷の受取人を呼んでくる前に、馬車から降りていろと、御者には言われてある。馬が静かに脚をとめたとき、ゼリスたちは人がいないことを確認して、荷台から飛び出した。
「さあ、とりあえず夜までにはここに帰ってくることにして、町の中を見てみよう」
とのクレヴァーの言葉に、ゼリスは複雑な面持ちではい、と頷いた。
はじめての町で期待もあるが、不安も大きい。自分はここで、何ができるのだろう?
何が望まれているのだろう?
「あれ…」
町の中を見て回っている時、クレヴァーが小さく呟いて、足を止めた。
「クレヴァー?」
どうかしたのか、と他の者が尋ねると、「何でもない」と彼は頭をふったが、ややあって「ちょっと、見てきたいものがあるから、適当に回って、先に馬車に戻っていてくれる?」と言って、返事もろくに聞かずに一人で行ってしまった。
「どうしたんだ、あれ」
残されたゼリスやカリオルは、きょとんとしてその後ろ姿を見送った。
クレヴァーはけして険しい顔をしていたわけではないので、何か不穏なことを発見したのではなさそうだ。むしろ、思わぬところで知人を見つけたくらいの感じだった。
「まぁいいか、言われた通りに、適当に見て帰ろう」
「そうですね」
ゼリスが頷いて、二人は大きな通りをそのまま歩いていった。
特に活気がある町ではない。信仰のための町というからそんなものなのかもしれない。
清掃がゆきとどいていて、町並みはきれいである。天使を求めてやってきた人間たちはただ祈るばかりの生活をしているのかと思ったが、いかにも昔ながらの店を開いている者もいる。おそらく、もともとここに住んで店を持っていた人々だろう。
しばらく歩くと、自然と町の中心である塔に近づいてきた。
ゼリスは、どうせなら間近であの塔を見てみたいと考えた。なにしろ、目的の少女ラマーシャは、その塔に監禁されているのだから。
「塔のほうも見てみましょうよ」
当然同意を得られると思って言った言葉はしかし、いつになく真剣なカリオルの声で否認された。
「だめだ。行けない」
「え? なんでですか?見つかるとまずいから?」
だが、これまで町中を歩いても、特に自分たちに注目する人はなかった。住人のふりをしてしまえば、咎められることはないのではないか。
「そうじゃないけど…行けない。近づくと、嫌な感じがする」
それは、悪い予感などの類だろうか。ゼリスにはそんな不快感は感じられない。
ためしに、近くにいるはずの風の精霊に声をかけてみた。
「ティティニア? 何か嫌な感じする?」
「ううん、しない。カリオルさん、具合が悪いの?」
言われてみればカリオルは、ただ不快感がするというようではなく、むしろ痛みをこらえているような表情だ。
「大丈夫ですか?どうしたんです?」
心配して尋ねても、カリオルは首をふって「何でもない」と言うだけだった。だが、そのまま前に進もうとはせず、今来た道を戻りだした。
「カリオルさん?」
足早に馬車への道をたどるカリオルに追いついて、ゼリスは不安げにその顔を覗き込む。
いつもどおりのカリオルの顔だった。苦しそうでもない。
「いったい何なの?」
ティティニアも、姿を現さないながらも、不審そうに訊いてくる。
「さぁ」
当のカリオルは、二人の心配をまったく意に介していないようで、平然としている。
「さぁって…具合が悪かったんじゃないんですか?」
「別に。ただ、嫌な感じがしただけだ。あの塔に近づくと…」
言いながらカリオルは、立ち止まって振り向いた。もう遠くになって、建物の間からその頭頂部を覗かせるだけの高い塔。
「『近づくな』って言われてるみたいに、嫌な感じがしたんだ」
「『近づくな』…?」
カリオルにならってゼリスは塔を仰いだ。ついで隣の少年にもう一度目をやって、以前と同じ違和感を、今度ははっきりと感じた。
「あの…カリオルさん」
「ん?」
カリオルは、もう歩き出している。もう町を見るのもやめて、馬車に直帰する気らしい。
「なんか…縮んでませんか?」
初対面の時、カリオルは確かにゼリスより年長に見え、背も高かった。
だが今は…肩を並べて立ってみると歴然としているが、明らかに二人の視線はほとんど同じ高さにある。
よく見ると、顔の作りも前よりは幾分丸く、幼くなっているように見える。
だが、ゼリスが勇気をふるって発した質問に、カリオルは気がなさげに「あー」と返してきた。歩を止めることもせずに、軽く言う。
「うん、縮んじゃうんだよ、ベースの近く離れると」
「ええ!?」
ゼリスたちと離れてからクレヴァーは、さきほど見つけた人物を追って、きょろきょろと周りを見回しながら通りを進んでいた。
しかし、どうやら見失ってしまったようだった。クレヴァーは軽くため息をついて、手荷物の中から小さな丸い石を出した。きれいな球形なので、よく転がる。
その石に口を近づけて何事か囁くと、掌から地面にすべらせる。
石は当然転がっていった。地面の微妙な凹凸にしたがって、あるいは障害物にぶつかって右や左に動いていき、なんら不自然な動きを見せず。
クレヴァーはその石についていった。
やがて、石はある飲食店の前で止まった。
「ここか」
クレヴァーはかがんで石を拾い上げ、もう一度荷物の中にしまうと、迷わずその店に入っていった。
カラン、と扉の鐘がなる。
さして広くない店内を見回すと、はたして一つのテーブルに、彼の探し人はいた。
まっすぐの、長い金髪。金というよりは真珠のような光沢をもった不思議な色合いである。だが、その見事な髪を、彼は今はうなじで一つに編んで、しかも外套の中に隠している。
服装は質素であるが、清潔感のあるものをまとっている。極力目だたないような色を選んだのだろうとうかがえた。
年は20代の後半か、30ほどだろうか。だが容貌はともかく、その雰囲気は、とてもその年の男の持つようなものではない。もっとおっとりとして、苦労を知らない、人のよさそうな―幼いと言ってもいいような雰囲気だ。おそらくそれを、カリオルは「ぽやっとした」と形容したのだろう。
クレヴァーがそのテーブルに近づくと、一人で紅茶を飲んでいた男は気がついて、笑顔で会釈してきた。
「お久しぶりです」
「ええ、本当に…。珍しいところでお会いしますね、リヴィンさん」
ご一緒しても?とクレヴァーが尋ねると、もちろん、と屈託なく返される。
「先日、他のところで別の懐かしいお顔を見ましたけれど、もしかして一緒にこちらまで来ているんですか?」
リヴィンという男が、飲み物を注文しおわったクレヴァーに尋ねる。
「ええ、やっぱりあの時カリオルが見たのは、あなただったんですね。驚いたでしょう、あの子を見て」
「はい、まぁ。あの子は、精霊王殿の…?」
「コピーですね。精霊の属性は持っていませんが。いつもは精霊界にいるんです」
「ああ、やはり。精霊王殿にそっくりなので、まさかご本人かと思ってしまいました。…カリオルさんというんですね。昔、もっと小さかった頃に、見かけた覚えがあります」
「そうですね。『暗き世界』ででしたか? あの時は、あなた方全員が一同に会していたので、カリオルは先日あなたを見かけた時、あなたが誰だったか、はっきりは思い出せなかったようです」
『暗き世界』―人間界の通称では「魔界」である。天には月しかない、暗い世界。そこに住むものは悪魔と呼ばれ、忌み嫌われる。
普通の人間ならば忌避するその名を聞いても、しかしリヴィンは何ら動じる様子を見せなかった。懐かしげに微笑んでいる。
「それは、無理もないでしょうね。そうですか、あの時の子が、あんなに大きくなって…」
実際、リヴィンがカリオルを見たのは何十年か前のことなので、普通に考えたなら今のカリオルの育ちようでは到底足りないはずなのだが、この男にとってはそうではないらしい。
「まぁあの子は擬似生命体なので、サルフィン…基礎である精霊王の近くにいないと、あの姿を保っていられないんですけどね」
言って、クレヴァーは運ばれてきた紅茶を一口飲んだ。世間話はこのあたりで終らせようと思った。
「ところで…」
「あ、ラマーシャさんのことですか?」
あっさりと、自分の持ち出そうとしていた話題を上げられて、クレヴァーはいささか拍子抜けした。
もちろん、この人物とこの場で出会って、話すことといったら、彼女のことしかないのだ。だがそれにしても、リヴィンの口調はさらりとしすぎていた。
「リヴィンさん、その名を軽々しく呼ぶのは、この町ではやめたほうがいいですよ、きっと。なにしろ彼女は、ここでは信仰の対象なんですから」
分かっているのかいないのか、リヴィンは「そうですね」と穏やかに笑っているだけだ。
この男は、一見して人間のようだが、カリオルの見抜いたとおりに、人外のものだ。クレヴァーよりも年長者であるし、その立場にしても、風来坊のクレヴァーには比ぶべくもないはずだ。
それなのに、とてもそうは見えない振舞いようだった。いつでも、不幸なことなど何もないような顔でにこにこと微笑んでいる。いいところのお嬢さんというのが、彼には一番ふさわしいだろう―否、彼らには。
そう、彼らは個人差こそあれ、一様にこのようにおっとりとして、穏やかに敬語で話し、人に何かを強いたり、まして人を憎んだりということがない。
(そう…強いることがない…)
それも時には問題だ、とクレヴァーは思った。
「リヴィンさん、彼女を迎えに来たのですか?」
「ええ、どうしようかと思って…様子を見に来たものの、ちょっと、あの塔が厄介で」
「…そうですね」
二人は同時に、窓の外に見える塔に視線をやった。
「リヴィンさん、あなた方は、『仲間』を見つけた時、その『仲間』があなた方の一族に加わるか否かは、その当人の意志に任せてきましたね」
「ええ」
「でも…彼らはほんの幼子です。本人の意志を尊重することが、必ず幸福につながるとは、限らない…」
リヴィンは、長いまつげをふせて、淋しそうにため息をついた。クレヴァーの言葉を肯定しているようだ。
「…ちょっと、悲しいですね。こうまで拒絶されると」
「あなた同様、私も拒絶されていますよ。いや、むしろ…」
クレヴァーは一度言葉を区切って、紅茶を口に運んだ。指が微かに震える。
この町に入ってから、常に感じる圧迫感。不快感といってもいい。
「―私のほうが、強く拒絶されている…」
「オレは親がない偽者の生き物だから、一人で生きていくことができないんだよ」
カリオルは、至極当然のことだと言わんばかりに、説明をしてくれた。
来た時とは別の道を通って、ゆっくり馬車のところまで帰ることにした。考えてみれば、すぐに戻っても、荷を確認している最中に行っては、ゼリスたちも御者も困るだけだ。
「と言うより、偽者だから、本当はこんなに長く生きることだって、できなかったんだってさ。それを、クレヴァーの父親だったか誰かが、魔術で、生きていられるようにしたんだ」
「クレヴァーさんのお父さんが…?」
息子があれほど自然に魔術を使いこなすのだから、その父も有能な魔術使いだったのかもしれない。ゼリスは、クレヴァーが穂草で鳥の居所を探し出したときのことを、思い出した。
「うん。生命力がけっこうある『守護せし世界』にいて、しかもベースの近くにいて同じ空気吸っていられたら、生きていられるように…。詳しいことはよく分からないけど」
魔術には色々難しい決まり事があるらしくて、とカリオルは顔をしかめる。
青がかった灰色の石畳の上を、ふたりの少年の足音が続いていく。
「で、ベースの側から離れると、時間がたつほど身体が縮んでいって、そのうち溶けてなくなっちゃうんだって。だから、『守護せし世界』を離れちゃいけないんだ」
「ええ!? 溶けてなくなるって、大変じゃないですか!?」
「いや、まだ大丈夫だと思うけど。だからベースが言ったんだろ、早く帰って来いって」
そういう意味だったのか。
そういえば、精霊王に「長くても二週間以内に帰ってきてほしい」と頼まれた話をしたとき、カリオルは「オレのせいか」と嫌な顔をしていた。精霊王は、カリオルが死んでしまわないように、あんな頼みをしたのだ。
ティティニアも、そのことは知らなかったようだ。驚いたような吐息が聞こえた。
「そうだったの。精霊王様も苦労性だわ」
「なんだよ、オレは苦労なんかかけてないぞ」
明らかに嘘だが、もしかするとカリオルはそう信じているのかもしれなかった。
「溶けちゃう前に帰ればいいってことだろ。縮んでも、戻れば直るって言うし。だから、さっさと用事を片付けて…」
カリオルが言いかけたとき、何かの大きな音が三人の耳を打った。
ー…ン… ゴー…ン…
「鐘だ…」
塔のほうから、鐘のなる音が町中に響いているのだった。
何の鐘だろう、とゼリスが塔を見ながら思っていると、辺りの家から、ぞくぞくと人が出てきた。
「うわ…何だ?」
三人が当惑していると、人々は一様に塔のほうを向き、胸の前で手をくんで、何かを待つようにした。口の中で祈りの言葉を唱えている者もある。
まるで、空に天使を待ち望んでいるような姿だった。
怪しまれないように、ゼリスとカリオルも、同じようなポーズをとって、塔のほうに目をこらした。何かがあるのだろうか?
やがて、人々の間から、かすかな喜びの声があがった。
なお目をこらして見ると、塔の頂上に、何か明るい色のものがひらめいているのが分かった。あれは、白い服を着た少女だろうか?
「ラマーシャ様…」
「ラマーシャ様」
口々に祈りの声をあげ、信者たちはラマーシャをすがるように見上げる。
「どうか我々を高みへ、至高の地へ…」
「悪しきもののない、純粋な国に…」
人々の呟きが気にくわないのか、それとも塔に遠く見えるラマーシャの姿にか、カリオルは眉をひそめて、嫌そうにため息をつく。
それほど長い時間ではなかった。
ラマーシャはふたたび、塔の中へ姿を消した。
信者たちは深々と頭を下げ、家の中に入っていった。
いくらかのものは満足そうに。だが、ゼリスはたしかに、失望したような嘆息も聞いた。
「ラマーシャ様、なぜ未だ我らを導いて下さろうとしないのか…」
同じ鐘を、クレヴァーたちも聞いていた。
二人が入っていた店のものは、外に出ることはなく、窓辺で塔を仰いで祈っていた。
二人もそれに倣うふりをする。悲しそうな表情は、どちらも同じだった。
「…あなたは、彼女をどうするつもりで、こちらに?」
リヴィンがクレヴァーに尋ねる。
「『暗き世界』に連れて行くつもりでしたか?」
「悪魔のところへ…?」
クレヴァーは、驚いたように苦笑して、ゆっくりと首を振った。
「魔界になど連れて行ったら、あの子は自殺してしまいますよ…」
また会いましょう、と言ったときのクレヴァーの笑顔は、どこか自虐的だった。
夜になって四人は、空の馬車の中で、円座をくんだ。
「あ、さっき懐かしい人に会ったよ。カリオルがこのあいだ見たって人に」
「ああ、誰だった?」
クレヴァーの言葉に、カリオルはそれほど興味もなさそうにして尋ねてみる。
「名前言って分かるかな…リヴィンさん」
「知らない」
「ああそう。じゃあいいや」
もともと期待していなかったらしい。この話はここまで、という仕草をしてみせた。
「それにしても、塔に近づけそうにないね」
「だな」
二人の言葉に、ゼリスとティティニアは首をかしげた。
それは、カリオルが塔に近づくと不快感を感じたことか、と尋ねると、クレヴァーは神妙に頷いた。
「うん、人間のゼリスと、精霊のティティニアは感じないだろうけれど…あの塔の主人は、人外の者を、特に邪悪な者を近づけたくないんだ。それで、近づこうとすると、「来るな」と拒まれる。この街全体に、そんな空気がただよっているんだけど…」
「人外って、でも、私は大丈夫ですよ」
ティティニアが不思議そうに自分を指さす。
「精霊は例外。命育つところ、どこにでも精霊はいるからね。空気と同じようなものだ、拒むことはできないし、そんなことをしたら、地が荒れる」
「ああ、なるほど…そうですね」
ティティニアは深く納得がいったようだ。ゼリスもなんとなく合点がいく。
「特に私やカリオルは、いたく嫌われている部類だから、絶対に中に入ることはできない。塔に侵入する時は、近くで手助けはできないと思っておいて。ゼリスとティティニアだけでやってもらうことになる」
「えっ…」
二人は顔を見あわせた。
お互い、いきなりそんなことを言われても、という顔だった。ティティニアは空を飛べるし、自在に姿を消したり現したりできるのだから、まだいい。生身の子供であるゼリスは、もし捕まったら逃げようがない…。
「まあまあ。大丈夫だよそんな、怖い目にはあわないよ」
「多分」
ゼリスの不安を取り除こうとするクレヴァーの言葉に、すぐさま余計な一言をつけくわえるので、カリオルはクレヴァーに叩かれた。
「オレに喧嘩で勝てると思ってるのか?」
カリオルは叩かれてかえって嬉しそうに、クレヴァーにくってかかったが、このエルフが人さし指で軽く額をついただけで、少年は金縛りにあってしまった。
「…で、どこまで話したっけ」
カリオルは凍らせたままにしておくつもりらしい。クレヴァーがゼリスのほうに向きなおる。
「ああそうだ、城の中に侵入する時ね。多分、見つかっても、子供だし、人間だってことは分かるはずだから、酷い目にはあわないはず。それにティティニアが助けてあげれば、窓から飛び下りたって、なんとかなるよね?」
「風でうけとめるくらいのことは、できますけど」
そこに矢を射かけられたら、お終いだよな、とゼリスは、床の木目を眺めながら、口に出さずに思った。
「とりあえず帰ってくる時のことは、そんなに悩まなくていいよ。サルフィンの鳥を渡して、あとはその場の成り行きにまかせればいい。ラマーシャを救い出せなかったとしても…」
クレヴァーは、そこで一度言葉を切り、視線を落とした。
「…それはそれで、また何か考えればいいことだ」
だが、もしそれほどに事態が悪くなっていたなら、誰が彼女を救えるだろうか。
「問題は、塔に入ることと、ラマーシャの部屋を見つけることだ。ティティニア、調べてきてくれるかな…?」
憤然として無言で訴えかけるカリオルの横で、計画はたてられていった。
その晩、馬車の固い木の床上で寝ながら、またゼリスは不思議な夢を見た。
『もう、行かなくちゃならないわ』
誰かが、自分のことを眺めていた。近くで覗き込んできているわりに、はっきりとは顔が見えないのだが、とても懐かしい人だ。何故だかゼリスは、ルルトのことを思い出した。
『この子をよろしくね』
この子というのは、自分のことだな、とゼリスは思った。
誰に言っているのだろう。
と、見覚えのある青い髪が目に入ってきた。
(あ、精霊王様だ)
サルフィンだった。今より少し、髪が短い。こちらは顔がよく見えて、うかない表情をしていることまで分かった。
風景はぼやけている。ここは『守護せし世界』なのだろうか。
『よろしくと言われても。俺はそうそう精霊界を離れられない』
サルフィンの話し方は、ゼリスの知るものよりも、ずっとぶっきらぼうだった。
『母親が、子供を放って行ってしまうなんてなぁ…』
とは言うがしかし、その言葉に非難する色はなかった。サルフィンと話している女性も、悪びれる様子はない。
『仕方ないわ』
どうやら、この顔のよく見えない女性は、夢の中では自分の母親らしい。だからルルトを思い出すのだろう。
『それが私の家の宿命みたいなものだから。私も、母親の顔を知らずに育ったし。ま、育ててくれとは言わないわ。実家に預けていく』
『当然だ。俺に子育てができるわけない』
女性が、ふっと微笑んだのが、何となく雰囲気で分かった。
『この子が淋しい思いをしてたら、慰めてやってほしいのよ』
『………』
『悲しいことがあったら、優しくしてあげて。それだけ、よろしく』
サルフィンは、何ともいえない、柔らかな表情をした。
『分かった。約束する』
約束する。
それは、彼にとって言うほど易しいことではない。ふたりの間の空気から、それは読みとれた。そして、これがふたりの長い別れとなることも。
『じゃあね―』
ふたりは互いの名を呼んで、別れのあいさつをした。
しかし、その声が妙に遠くなって、ゼリスは名前を聞き取れず…。
明るい、鳥のさえずりが聞こえた。朝だった。
「…………」
ゼリスは、自分が木の床の上にいることを認識した。目が覚めたのだ。
意識がはっきりするにつれて、今しがたの夢の世界が、頭の奥に遠ざかっていく。
(今の夢、覚えてる?)
ゼリスは自問自答した。覚えている。だが、あえて思い出さないほうがいいだろう。理由は分からないが、そんな気がした。
今日は、塔に忍び込む日だ。
続く
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