鳥をさがす旅 4                   日向夕子

 夕食の準備らしい匂いがしてきてもカリオルが帰ってこないので、クレヴァーはティティニアに探しに行ってもらった。そういうわけで、「後でおいかける」と豪語したわりに道に迷っていたカリオルは、精霊の迎えでようやくカリオル・ティージアの屋敷に着くことができた。
「馬鹿だね、場所が分からないのに自分から離れていくなんて」
 クレヴァーがおかしそうに笑うので、カリオルは、歩き回って薄汚れてしまった水色の外套を脱ぎながらむくれてみせた。
気前のいいカリオル伯父は、三人に一部屋ずつ客室を与えてくれた。カリオルの部屋はクレヴァーの隣で、一番東の部屋である。
「いいじゃないか、夕飯にまにあったんだし」
「そうだね。で、いくら稼いだの?」
 くしゃくしゃと丸められて放り出されたマントを、クレヴァーがクロゼットに持っていきながら尋ねる。それを聞いて思い出したように、カリオルは金の入った袋を投げてよこした。
 それを開いて、クレヴァーは「わぁすごい。本当に勝ったんだ」と驚嘆する。
「俺はその辺の奴には負けないぞ」
 カリオルがむきになって言うので、クレヴァーは「そうだね」と、優しく笑ってみせた。
 この少年が、見た目によらず強いのは、彼を知る誰しもが認めるところである。クレヴァー自身がゼリスに言ったように、カリオルの剣術は現精霊王譲りだ。
「じゃあこのお金は、私がもらっておくね。どうせ君は使うこともないだろうし」
 ついでに、うまくしたら人買いたちの馬もカリオルさんに買い取ってもらおう、と言うクレヴァーを見て、特に異存はないけれど、とカリオルは口をゆがめた。
「なんかクレヴァー、さっきから思ったけど、がめつくなってないか?」
「え、普通でしょう。私は君のように特技もないからね、一人で旅をするのだったらこれくらいは」
「特技、あるじゃないか、魔法」
 その言葉に、クレヴァーはあいまいな表情で肩をすくめる。
 たしかに占術や魔術はクレヴァーの得意とするところだったが、簡単な頼まれごとならともかく、魔術を頼っての大きな依頼は、彼の性分にあわなかった。
 今まで、幾人かの資産家が、専属の魔術師にならないか、と言ってきたが、縛られるのは御免だったので、もちろんすべて丁重に断ってきた。
「まーいいや。それより俺、さっき知ってる奴見たんだけど」
「知ってる人? 誰?」
 疲れたらしいカリオルは、寝台に横になって足をばたばたさせながら、う〜んと思い出す。
「それが、誰だったかは思い出せないんだけど、どっかで見たことがある奴」
 クレヴァーは首をかしげた。
 カリオルはいつも精霊王の側にいるので、サルフィンがその位を先代からついで精霊界を動かなくなってからは、カリオルもほとんどそこを出ていない。ということは、その人物はサルフィンが精霊王になる前に見た人か、あるいはそれ以後に精霊界に訪れた人だろう。
 後者の可能性は、前者よりは少ない。精霊界を訪れる者は限られている。
 しかしサルフィンが精霊王になる前といったら、そうとう昔である。カリオルの記憶力には期待できない。
「どんな人?」
「えっと、人間じゃなかった。長い金髪で、なんかぽやっとした顔で、あ、俺のこと見てびっくりしてた」
 ぽやっとした顔ってどんな顔だろう…とクレヴァーは思ったが、あえて口には出さずにおいた。
「金髪ねぇ…そう言われても、そんな人はいくらでもいるよね。私だってそうだ。ま、別に思い出せないならいいか。あいさつしなきゃいけないこともないでしょう」
「だよな。向こうから何か言ってきたわけじゃないし」
 そこに、ゼリスが「夕飯だそうですよー」と呼びに来たので、カリオルは勢いよく飛び上がって寝台から下りた。
「わーい飯だー!」
 ゼリスとカリオルに続いて静かに部屋を出たクレヴァーは、扉を閉めながら、その美しい眉を少しだけよせた。
「長い金髪か…。もしかして」

 食堂では、ゆったりと大きいが互いの顔がよく見えるくらいの食卓の上に、おいしそうな料理が湯気をたてて待っていた。
 待っていたのは人間も同じようで、家主のカリオル・ティージアはもう席に座っていた。
「お待たせしました」
 謝りながら三人が食堂に入ると、カリオル・ティージアは笑顔で迎えてくれたが、一瞬にしてその表情は豹変し、椅子を倒さんばかりの勢いで立ち上がった。
「カ…!!」
 ゼリスは度肝をぬかれた。いったいあの優しそうなカリオル伯父が、何をそんなにうろたえているのだろうと。カ?とは何だろう。
「カーオン!」
 カリオル・ティージアはそう一声叫ぶと、かろうじて倒れずにいた椅子を今度こそ蹴倒して、テーブルの向こうから疾走してくると、ゼリスの横にいた人物を抱きしめた。
 隣にいた人物とは、まだカリオル伯父とは顔合わせしていなかった、少年のほうのカリオルである。
「カーオンじゃないかー!こんなに小さくなって!どうしたんだい!? なんってかわいいんだ!また会えるなんて思わなかったよ夢のようだー神さまありがとうー」
 我を忘れて叫びだしたカリオル伯父に、三人は驚きのあまり呆然と立ち尽くした。
 特に驚いたのはカリオルだろう。いきなり抱きしめられて叫ばれて、しかもそれが容赦ない。顔がカリオル・ティージアの胸のあたりにあるので、窒息しそうになった。
「カ…カリオルさん、あの…彼が苦しんでいるようですけれど…」
「あっ本当だ。ごめん!すまない!」
 クレヴァーが恐る恐る発した言葉をうけて、ようやく家主は手をはなした。
 解放されたカリオルは、床に膝をつきそうになりながら、肩で息をしている。
「それから、この子は残念ながらカーオンじゃありません」
「えぇ!?」
 派手な身振りで、カリオル・ティージアはその強烈な驚きを表現した。ゼリスは、いい年をした大人が、こうまで驚くのをはじめて見た。
「あなたの弟のカーオンだったら、こんなに縮んでいるはずがないじゃないですか」
 クレヴァーが子供に言いきかせるように、ゆっくりと話す。
 カリオル・ティージアは改めてカリオルの顔を眺めて、納得したのか大きなため息をつくと、うすく苦笑した。
「そうだね…カーオンのはずがないな。あんまり似ているから、思わずとち狂ってしまったよ。君はもしかして…昔クレヴァー君たちと一緒に来た、チビ君かい?」
 カリオルはまだ少し警戒している顔で、こくんと頷いた。
 それにクレヴァーが補足説明をした。
「今は、カリオルと呼ばれています。あなたの名をとって」
 その一言が、カリオル・ティージアにどんな影響を与えたのかは、分からない。
 彼は、大きくゆっくりと目を見開くと、「そうか…」とほとんど息にまじえて呟いた。そしてもう一度、今度は大切なものをいとおしむようにそっと、カリオルを抱きしめた。
今度は息ができたので、カリオルは逃げずにされるままになっていた。
「よく来てくれたね」
 もう二度と会うことのできない、弟の面影を持った少年―。

 それから落ち着いて四人で夕食をとった。屋敷にはまだ人がいるのだが、この食卓には全員は座れないので、彼らは今日のところは別の部屋で食事をしてくれているのだそうだ。
やわらかいパンに、貝のスープ、色とりどりの野菜のサラダ、牛と芋の煮物。どれもおいしかった。ゼリスとカリオルは、しばらく黙って食事に専念した。
「本当はもう一つテーブルを運んで、みんなで食べられればよかったんだけどね。近くにちょうどいいテーブルがなかったものだから。明日はなんとかしよう」
 しかし、使用人たちにさきほどのカリオル・ティージアの姿を見られたら、信用問題ではないだろうか、とクレヴァーはこっそり思った。
「すみません、私たちが突然来てしまったせいで」
「いやいや、いつでも大歓迎だよ。これからも、近くに寄ったらぜひ来てくれ。今回は、どこかに行く途中なのかい?」
 カリオル・ティージアにはまだ、エターナルのことは話していない。頼むのなら今だろう。
「ええ、実はカリオルさんにお願いがあってきたんです…」

 ゼリスたちがそうして晩餐の席についている頃、精霊界でサルフィンはバルコニーに身をもたれ、ぼんやりと遠くを眺めていた。
 白い鳥が何羽か、そんな精霊王の周りを飛びかう。その鳥たちの尾は桃色である。
「クレヴァーたち…うまくやってくれてるだろうか」
 ぽつりと口にした時、開け放したままの扉の外で、ガーウィムズが声をかけてきた。
「精霊王様? どうかしましたか」
「あ、ガーウィムズさん。どうぞ」
 ガーウィムズは、軽く頭を下げてから精霊王の部屋に入ってくる。
「別にどうということはないけれどね。この世界の景色は綺麗だから、よく見入ってしまうよ」
 特にこのバルコニーからだと、夕暮れの景色がいいんだよ、と言いながら、サルフィンはガーウィムズが先程からずっと自分を見つめていることに気づいた。
「何か?」
「…カリオルさんが、帰ってきませんね」
「ああ、うん。きっと久しぶりに外に出たから、はしゃいで遊んでるんじゃないかな? 鳥は帰ってきたことだし、クレヴァーもいることだし、大事はないと思うよ」
 混じりけのない笑顔でそう言われて、ガーウィムズはふーっとため息をついた。
「…どうかした?」
「サルフィン様。サルフィン様は…先の精霊王様から見て、ずいぶんわきまえていらっしゃるし、不条理なことを仰ったりもしません」
「すごい。ガーウィムズさんが先代の愚痴言ってるの、はじめて聞いたかもしれない」
「これは愚痴ではなくて、真実です」
 尚すごい。
「私事で周囲を騒がせたくないと思っているのでしょうが…。そんなに隠し事をされなくてもよいのではないですか」
「え、何のことですか」
 そらとぼけてみたが、もう無駄な足掻きだろう。
「サルフィン様、精霊はどこにでもいるのですよ。ティティニアが、他の三方とまだ同行しているということを、報告してくれた者がいるのです」
 しかもそれは精霊王の命のようだった、と。
「そうか。うん、隠していてごめんなさい」
「いえ。謝っていただくことはありませんが」
 実際、鳥も戻ってきたことだし、カリオルやティティニアがこの世界を離れていたからといって、精霊界の存続に問題があるわけではない。
 それでもガーウィムズに隠していたのは、気をつかわせまいとしたからか。彼にはかえってそれが残念だった。
「実は、…レーマシカのこと、覚えているかな?」
「レーマシカさんですか? ええ、もちろん。カリオルさんたちを遣わせたのは、彼女に関係することなんですか?」
「そう」
「ますます水臭いですね。レーマシカさんなら、しばらく『守護せし世界』で修行をされていたんですから、私とて知り合いですよ」
 そうだったね、と精霊王はもう一度謝った。
「それで、彼女の娘が…」

「それで、そのラマーシャという女の子に会いたいんですけれど、エターナルは排他的ですから。カリオルさんならエターナルとも取り引きしていると思って、頼りに来たんです」
 クレヴァーの説明に、カリオル・ティージアはあっさりと頷いた。
「ああ、あそこへの物資は、ほとんどうちが一手にひきうけているよ」
「本当ですか?」
 クレヴァーが顔を輝かせ、カリオルとゼリスはふたりでガッツポーズをとった。
「うん。明後日にもまた、食料や日用品を届けることになっているよ。じゃあその時に、ついでに君たちも忍び込ませればいいのかな?」
「はい、お願いします」
 詳しい事情はろくに聞かず、カリオル・ティージアは承諾してくれた。
 それから、彼はエターナルの中にまで行ったことがあるというので、様子を聞いてみることにした。
「中の様子といってもね。ほとんどは、普通の住宅地のままだったよ。もともと一つの都市だったからね。周りに城壁のようなものができて、侵入を阻んでいるが…」
「そう、その城壁が高くて、容易には入ることができないんですよ。出ることも難しいでしょうしね」
「そうだね」
 厳重な石の壁は、どちらの意味あいが強いのだろう。侵入させないためか、逃亡させないためか。
「それから、町の中心には統治者の屋敷と、塔がある」
 クレヴァーが苦い表情で頷く。その塔は見たことがある。高い城壁のむこうの、さらに高い塔だった。
 それはさながら、地上から離して逃がさないようにするような高さ。もしくは天に逃れようとするような高さ。そこに、ラマーシャはいる。
「あの町を治めているのは、まだ若い女の子だよ。私と商談をしたのもその子だった。名前はハティア」
 ゼリスはその名を頭にたたきこんだ。
 エターナルの支配者というのなら、そのハティアがラマーシャを閉じ込めているのだろう。だがそれがまだ若い女だというのには驚いた。昔からお姫様を閉じ込めるのは、腰のまがった魔女か、男ならば目に隈のある魔法使いと決まっているのだが。
 ハティアは中央の有力な貴族の娘だという。
「でもまぁ、貴族にありがちなんだけど、あまり血縁に恵まれていないらしくてね。孤独が高じてあんな風に街を作り変えたのかもしれないし、もしくは子供が積み木遊びでもするような感覚なのかもしれないね」
 金に飽かせた、単なる遊戯なのか。
 そのように、奇妙な趣味や思想にのめりこむ人間も、富裕な者、高い地位の者には多い。
「塔には天使がいるんだって。その天使を崇拝することこそが、至上の幸せらしいよ、あそこの皆さんは」
 ゼリスとカリオルは顔を見合わせた。天使とはどうやらラマーシャのことだろう。
 ゼリスは耳元で「天使だって…」という少女の呟きを聞いた。ティティニアのようだ。
 お姫様やら、宗教団体やら、天使やら。なんだか話がどんどんずれていくなぁ、とゼリスは首をかしげた。
 なんにせよ出発は明後日だ。エターナルの話はそこで終わりとなった。
「あの、ところでカリオル君…」
 カリオル・ティージアは、少年カリオルの名を呼ぶのが、少し気恥ずかしそうだ。自分と同じ名前なのだから、仕方ないのだろう。
「うん?」
「君は今、精霊界にいるんだよね?…精霊王は元気?」
「…うん。いっつもゴロゴロしてる」
 いっつもゴロゴロしているのか、とゼリスは少し驚いた。あの精霊王が。
 さきほどと同じように、背後でかすかに吹き出す声が聞こえた。
フォローするように、クレヴァーが口を開いた。
「あー、いえ、私もこの間会ってきたんですが、変わりありませんでしたね。暇だから今度昔の道中記でも書こうかと言っていましたよ」
「それはいいな! できあがったら私も読みたいと伝えておいてくれ。今度行ったら、一冊写しを作ってもらって、届けてくれないか。出版しても売れそうだ」
「出版業にも手を出す気なんですか?」
 いくぶん呆れたようにクレヴァー。カリオル伯父は「冗談だけどね」と笑ってから、
「いや、でもスポンサーにくらいはなってもいいな。冒険譚というのは夢があっていいからね」
 それにはゼリスも同感だ。ゼリスは小さい頃から、昔の賢者の話や、異世界の話を読んで育ったのだから。サルフィンが昔の旅の記録を書いているというのなら、ぜひ読んでみたい。本当の冒険物語だ。
「伝えておきますよ」
 その後は、クレヴァーの昔の旅仲間についての話に移っていった。
「皆、それぞれにうまくやっているようです。たびたび会いに行きますから。私はどうも、一つ所に落ち着くことができない性質のようでして、ふらふらしてばかりです」
「お嫁さんでももらったらいいんじゃないか? なーんて、いまだに独り身の私が言えることでもないがね」
 と言うが、見た目こそクレヴァーはまだ若者だが、実年齢でいくならカリオル・ティージアよりかなり上である。
「カリオルさん、まだお独りなんですか」
「うん。仕事にかまけていてね。ルルトのところには、子供がたくさんいるんだったかな? いいね、一人養子にもらおうかな。親からもらったはいいが、このままではこの家を継ぐ者がいないからね」
 カリオル・ティージアの弟のカーオンという人はどうなったのだろう、とゼリスはぼんやり考えたが、その名を知る者は誰もがそれを言わないようにしているようなので、死んでしまったのかもしれない。ルルトも言っていたではないか、30年も会っていないと。
そこで、浮かんだ疑問とは別のことを言うことにした。
「好きなのをもらっていっていいですよ。七人います。全部うるさいけど」
 10歳のゼリスの一言に、食事の席が沸いた。

 次の日は一日、休養ということになった。翌日にならないとカリオル伯父の扱う荷物が運び出されないからである。
 精霊界を出て、三日目だった。
 休養といっても移動をしないだけで、ゼリスたちは実に活動的だった。
 まず朝からカリオル・ティージアの家の家事手伝いをし、明日に送られることになる荷物の搬入にも手を貸す。
 「もういいよ」とカリオル伯父が言ってくれてからは、ゼリスとカリオルとは街に繰り出した。前日に、馬車の中から見たからくり時計が動いているのを見たかったのである。
「あっ、あった」
 からくり時計は石畳の広場の北側にあった。今はからくりの窓は閉じられている。
どうやらまだ動くまでに時間があるようだったので、近くの人間に得等席を教えてもらって、早くから占領しておくことにした。
「次は1時の鐘だから、悪魔にとりつかれたシェルグ・スレウズが、倒されるシーンをやるんだよ。時間によって、人形が違うんだ」
「へぇぇ…」
 特等席は、道の端に置いてある木製の台である。週に一度、ここで市が立てられる時に使われるらしい。今は一つ二つの小さな店が出ているだけで、そんな時はこうして、からくり時計見物の席となるわけだ。
 シェルグ・スレウズの話は、ゼリスも知っていた。おそらくほとんどの子供が知っているだろう。有名な伝説だった。
 大昔、占術の家系として名高いスレウズ家に、優秀な若者が現れた。それがシェルグだが、彼は不和を好み、悪魔と契約してこの世に災いをもたらそうとした。そこで、スレウズ家が全勢力をもって、シェルグ・スレウズを封印したのだそうだ。
 そのスレウズ家は今でも健在で、王家の信頼も厚い。
 これから見るからくり人形が、その伝説をかたどったものだというので、ますます楽しくなってゼリスは今か今かと待っていた。そこに、
「なー、悪魔ってなんだっけ?」
 カリオルが、実に間抜けな質問をしてきた。
「悪魔が何って…カリオルさん、知らないんですか?」
「うーん」
「えーと、悪い奴ですよ。魔界…『暗き世界』に住んでいるんです」
「ああ、月下の民のことか?」
「え? 月下の?」
 カリオルの不思議なこたえに、ゼリスが首をかしげたその時、ちょうど1時になった。鐘が鳴った。
「あ!」
 巨大な時計の下にある、飾り窓が開き、奥から人影が見えてきた。人形だ。
「うわぁ〜」
 首をつるのでは、というくらい大きく仰ぎ、ゼリスはそのからくり人形を堪能した。
漆黒の魔術師がスレウズ一族に攻撃され退いていき、一族の勝利を讃えて、飾り窓が閉じる。そこまで息をつめて見ていたゼリスは、はーっと満足のため息をついた。
 このからくり時計は、一日に4度、それぞれ違った人形芝居を見せてくれるのだそうだが、次のからくりが動くまで待っているのは、あまりに時間が開きすぎるので、今日は諦めることにした。
「面白かったですね!」
「そうだな」
 二人は特等席から飛び下りて、さらに町を見て回ることにした。
 地面に着地した時、ゼリスは何か違和感を感じて、ふと隣を見やる。
「どうした?」
 隣には、さきほどと変わらないカリオルの顔がある。しかし、気のせいか、その背丈が会った頃より低くなっているように見える。
(まさかね)
 人がそんなに簡単に縮むわけがないではないか。自分の思い違いだろう、とゼリスはかるく頭をふった。
「いえ、何でもないです」
 二人が大通りを歩いていると、すれ違う何人かがカリオルに声をかけてきた。
 昨日の5人勝ち抜きを見ていた野次馬たちが、カリオルの顔を覚えていて、「昨日はすごかったな」「次は手加減してやれよ」と褒め言葉をくれるのだ。
カリオルはそれらに適当に笑って応えていた。終った勝負に興味がないらしい。
「カリオルさん、すごいんですねー…」
 あらためて賞賛の目で見つめると、カリオルはかえって不満そうに、自分の両腕を前にのばして口をとがらせた。
「もっと手足が長かったらなー。そしたらもっとできるんだけどなー」
「あっ、それ僕も思います。早く大きくなって大人の男になりたいなーって」
「うーん」
 ちょっと違う、というように、カリオルは首をひねる。
「俺、成長はしないんだ。あの大きさに決められてて、あれ以上大きくしてくれないんだよ、どんなに頼んでも」
「…?」
 少々ゼリスの理解がおよばない。成長を止められている?大きさが決められている?
 しかも、「これ以上」ではなく「あれ以上」というのは何なのだろうか。
 ゼリスは少しの間、カリオルの言葉を理解しようと黙って考えたが、ほんの二秒ほどで諦めることにした。精霊界には精霊界にしか分からないことがあるのだろう。
 とりあえず、言われたそのままを受け止めることにする。
「頼むって、精霊王様に? 何で大きくしてくれないんでしょう」
「なんか、俺が暴れるからだって。体が大きいと、それだけ被害も大きくなるからって」
「…暴れるんですか?」
「別に。ちょっと木の上歩いたりするだけだぞ。大きくなくたって駄目って言うくせに、大きかったら枝が折れるに決まってるから、尚駄目だって言うんだ」
 言いながらカリオルは、通りがかった道の中央にある小さな噴水の彫刻によじのぼっている。精霊界でもいつもこんなふうなのだろう。
 それはカリオルの行動を止めるほうに正当性がある、とゼリスは思いながらも、カリオルが「ひどいよな?」と言うので、あいまいに頷いておいた。
 ゼリスもカリオルの後につづいて、靴を脱ぎ、噴水の池に入っていった。裸足の足に冷水が心地よい。
「カリオルさん、僕に剣の使い方教えてください」
「あーいいぞ。旅から帰ったら、精霊界にちょくちょく遊びに来たらいい。そうしたらいくらでも相手できるぞ!」
「本当ですか?やった!」
 濡れる石の彫刻はゼリスを容易にのぼらせてはくれない。だがカリオルはたやすくのぼりきって、上からゼリスに向かって水を浴びせてきた。
「わっ!」
 頭から水をかぶって、手足どころか全身ずぶぬれになる。
 カリオルは楽しそうに声をあげて笑い、「これくらい避けられなかったら、剣は使いこなせないぞ」と意地悪く言う。
 ゼリスが反撃しようとしたところ、それより早く、突風が噴水の水を煽ってカリオルを襲った。
「わわわっ」
 顔面に水の膜をかぶったカリオルは、バランスをくずして彫刻の上から転げ落ちた。
 ささやかながら、水柱がたった。彫刻が大きなものだったら、ただではすまなかったろう。
「カリオルさん、大丈夫ですか?」
 何があったのか、と驚いて覗き込むゼリスは無視して、カリオルは虚空に向かってこぶしを振りあげた。
「何するんだ、ティティニア!」
「そっちこそ。往来の噴水でいたずらなんかして。精霊王様に怒られるよ」
 ゼリスの仇をとってくれたのはティティニアらしい。カリオルは反撃したいようだが、ティティニアは声だけで姿を現さないし、精霊はほとんど実体を持たないので、水をかけてもこたえない。
 おかげで、ゼリスとカリオルは二人とも全身がずぶ濡れだ。ゼリスがぷっと吹き出すと、周りから、姿なき声がくすくすと笑った。
 ティティニアだろうと思ったが、どうやら一人ではない。
「何? この笑い声…」
 ゼリスが首をかしげると、カリオルは顔をしかめた。
「水の精霊だな。よくも笑ってくれる」
 その言葉にはっとする。ここは水場なので、水の属性をもつ精霊がいたのだった。
 だが普段、人間は精霊の存在など意識しない。どこにでもいる、と言われていても。ゼリスも、精霊界に紛れ込んで精霊王と知り合いになったとはいえ、自分が住む世界にもこうして普通に精霊がいることは、今はじめて感じられた。
「精霊かぁ…」
 なんだか嬉しくなった。同じ世界に住む、精霊の声が聞けたのだ。
「カリオルさん、伯父さんの家まで競走しましょう!」
 言うなりゼリスは走り出した。背後に、驚きと不平を叫ぶカリオルの声。

 カリオル・ティージアの屋敷に着くと、ずぶ濡れの格好で帰ってきた二人はクレヴァーに心の底から呆れられた。
 出発は翌朝である。

続く