鳥をさがす旅 2                   日向夕子

「わぁっ!!」
 一瞬にして崖を昇り、視界に緑が現れたと思ったら風から放り出された。あやうく背中から落ちていきそうなゼリスを、先に着地したカリオルがつかまえた。
「大丈夫か?」
「び…びっくりした…」
 前に台風にふきとばされた子供の物語を読んだ時は面白そうだと思ったものだが、今のはあまりにも短い間のことで何がなんだか分からなかった。ただあの浮遊感はなかなか面白かった…ような気がする。
 周りを見回してみると、やはり見知った森である。後ろにあるのが『精霊の谷間』だ。
「鳥たちいないなー」
 カリオルがきょろきょろと頭をめぐらせて言った。確かに探している鳥はいないようだ。目に付くのはもっぱら茶色の山鳥ばかりで、先程ほんの一時目をかすめていった白とは見間違えようもない。
「そうだね…どちらに行ったのかな」
 言いながらクレヴァーは手近な草を折った。ささやかな穂がついている。
 何をしているのかと見ていると、その穂がくるくると回ってから、ある方向にそよいだ。「あっちだって」
 穂の指し示す方向をクレヴァーが言う。見ていたゼリスは感動した。
「すごーい!クレヴァーさん!」
「いえいえそれ程でも…ところで山を下るようだけど、ゼリス、道は分かるかい?」
「ああそれなら、すぐそこに通ってます。あっちならぼくの村だ」
 村を通ってくれるなら家の者に鳥をさがす旅に出ることを伝えよう、とゼリスは思った。もっとも今日10になったばかりの自分を素直にそんな旅に出してくれるとは思えないので、最終的に逃げ出すことになるのかもしれないが。
 通い慣れた山道を4人で下りながら…といってもティティニアは実体もなく浮かんでついてきているわけだが…どうして鳥たちが『器ありし世界』に来てしまったかと言うことを話し合った。
「びっくりして上に飛んだら人間界だったんじゃないのか?」
 もっとも安直な答えを出したのがカリオルである。しかしそれにクレヴァーは笑って首をかしげた。
「さてね。私が思うに、あの鳥たちは一種伝えの天使のようなものだ」
「伝えの天使?」
「そう、天界に住む有翼種たちの中で、伝達を司る役職の者」
 天使というのは村の老婆の昔語りでよく聞く。天使長がひとりいて、あとは門の番人だとか戦士だとか祭司だとか、色々な役割があるのだそうだ。今はほとんど生き残っていないというが本当だろうか。
「もしそうなら、多分鳥たちは接触した者の強い意志を感じ取って、そこに向かってしまったんだろうな…だとしたら案外はやく見つかりそうだけど」
「?」
 ゼリス以下三名はクレヴァーの発言の意味が分からなかった。
「つまり鳥たちはサルフがどこそこに行って欲しいなーと思うのを感じ取って、命を授けに飛んでいくわけだから…たまたま落っこちてきたゼリスがある場所を念じてたらね、きっとそこに行っちゃうと思うな」
「え?ぼくが?」
「うん…あ、そろそろ人里だ。ティティニア、人が来たら隠れててね」
 精霊はほとんど人目にふれない。ティティニアが見つかると大騒ぎになるのは必至だ。
 家を出た朝からまったく変わりのない様子に何となく安心しながらゼリスたちが村に入ると、さっそく顔なじみの酪農をしている男が声をかけてきた。
「ゼリス。ゼリスじゃないか、どうしたんだ誕生日ほうりだして。家の者が探してたぞ、お祝いの者も来てたし」
「お祝い?」
「やっぱり知らなかったんだな、はやく帰ってやりな、びっくりするから」
「?…」
 何を言っているのだろう、とカリオルとクレヴァーを見上げると、なにやらクレヴァーには心当たりがありそうだった。微笑んでゼリスの背を押す。
「じゃあ早く君の家に行こう。誕生日ならお祝いもしなきゃいけないし」
「誕生日かー、何歳になったんだ?」
「え、10歳…」
 それにしても「お祝いの者」とは何だろうか。親戚だろうか?確か遠縁に大商人がいると聞いたこともあるが、その人がお祝いものでもくれたのだろうか…。
 家が近付くにつれ、ゼリスは困惑をきわめた。何しろ道行く人全てが「おめでとうゼリス」「あんなすごいお祝いしてもらってねぇ」と声をかけてくるのだ。いったいどんなお祝いなのだ?村中のものが自分の誕生日を知ってしまうほどすごいお祝いなのだろうか? そして、その実物を目の当たりにしてまた驚いた。
「屋根が…」
 屋根が白い。 
 正しくは白と桃色だった。探している鳥の色だ。鳥が一羽残らずゼリスの家の屋根にとまっているのだった。なるほどそれは美しくも不思議な光景で、何人かの野次馬がまだ家のそばをうろうろしていた。
「何これ」
「ゼリス!」
 呆気に取られていると、家の方から母親がやってきた。
「どこ行ってたの?誕生日の主役なのに」
「母さん。あの鳥どうしたの?」
「あれ、さっき突然飛んできて屋根にとまっちゃったのよね…。近所の人が驚いて、何かあったんですかって言うから、さあゼリスの誕生日なんですけどね、って言ったら皆『山の神様がおいわいしてくれたんだ』って。よかったわね」
「………」
 言葉もない。
 はっとしてクレヴァーの方を見上げると、肩が小刻みにゆれている。笑っていた。
「山の神様か…。そうやってあっさり納得してしまうなんて、この村の人達は皆いい人なんだね」
「クレヴァーさん…さっき言ってた、ぼくが念じた場所って、家のこと?」
「うん。だって落っこちて死ぬかもしれない時、普通家の人のことを考えるからね。それを感じ取って鳥がここに来てるかもしれないと思ったんだ」
「………」
 あっさり見つかってしまった。まさか家に来ているとは思わなかった。
「…母さん、こちらカリオルさんとクレヴァーさん。森で会ったんだ」
 とりあえず紹介する。二人を不審な目で見られるわけにはいかないので。
「あら…」
 母親のルルトは驚いているようだった。特にカリオルを見て瞠目する。それから、慌てて家の扉を開けた。
「まあ、ごめんなさい、お客様ね?どうぞお入りください」
「おじゃましま〜す!」
 ルルトが言うや否や、カリオルが喜々として足を踏み入れる。ゼリスも遠慮がちなクレヴァーを誘って中に入ると、テーブルにケーキがのっていた。
「こんな日まで山に行ってたの?もう少しで探しに行くところだったわ」
 ルルトはそう言うが、兄弟たちはゼリスが帰ってきても気付いたようではなかった。というのも窓から身をのりだして、降りてきた1・2羽の鳥とたわむれるのに夢中なのだ。
「どうしようか」
「ティティニアに頼めばいいんじゃないか?ベースのところに戻れって言ってもらえばいい」
「そっか…じゃあどこか人目につかないところで」
 ゼリスはぐるっと家の中を見まわしてから、二階の兄弟たちの寝室に連れていくことにした。皆鳥に夢中になっているからあそこなら誰もいない。
「母さん、ちょっと二階にいるね」
 お茶を入れている母親に一声かけてから、三人は階段を上がった。

 窓をいっぱいに開けると、心地よい風が吹き込んでくる。「ティティニア」と名を呼べば、もう彼女はゼリスの傍らにいた。
「ずいぶん早く見つかったのね」
 感心したような呆れたような声でティティニアが言う。その手には何か水色の玉があった。
「うん。あっさりでちょっと残念だなぁ…楽しみにしてたのに、もう終わっちゃって。ティティニア、鳥さんたちに頼んでくれる?精霊界に帰るよう」
「そうね、早速ね。ガーウィムズ様もこれで安心されるわ」
 そんな会話をしながら、ゼリスはやはりほんの少し寂しさを覚えた。
 しかしティティニアの言うとおり、精霊たちの、特にガーウィムズのことを考えると鳥やティティニアたちを引き留めるわけにもいかない。
「ティティニア、サルフから何か言づからなかったかい?」
 不意にクレヴァーが言う。問われてティティニアは当然のように頷いた。
「はい。これ、ゼリスにって。言霊」
 持っていた水色の玉をゼリスに渡す。突然のことに驚いてゼリスは恐る恐るその玉を受け取る。
「言霊…?」
「うん、精霊王様のメッセージが入ってるの。本当は言霊ってもっと違うものらしいんだけど、精霊たちの間では勝手にそれを言霊って呼んでるの!」
「精霊王様の…メッセージ?」
「鳥を見つけたらゼリスに渡してって言われてたの。ガーウィムズさんに秘密だって」
「??」
 いったい何のメッセージだろうか。
「これ、どうすれば聞けるの?」
「持って聞きたいって思うだけでいいよ」
 …聞きたい。戸惑いながらもゼリスは念じた。
 ぽう、と言霊が光ったような気がした。
『ゼリス、鳥を見つけたんだね、ありがとう。…でも実は鳥探しを精霊じゃなく君に頼んだのは、別のことを頼みたかったからなんだ。…ガーウィムズさんに知られると、また面倒なことに首をつっこんでと心配されそうだから内密に、ね』
 別なこと?
『…ゼリス、君、色々物語を呼んでいるようだけど、英雄や魔術師の冒険譚は好きかな?』
 もちろん大好きだ。
『もし好きなら…悪者にとじこめられた姫君を、救いにいってくれないか?』
「…は?」
 相手に届かないと分かっていても、思わず間抜けな声を出してしまった。悪者にとじこめられた姫君?今時そんなものがいるのだろうか。国同士の戦で人質になった王女とかならまだしも、このサルフィンの口調はまさしく物語に出てくる、魔女にさらわれ閉じ込められたお姫様のことのようだ。
『エターナルという小国の真ん中にある高い塔に、私の知っている姫が幽閉されているんだ。もう長いことになるらしい。自身で助けに行きたいが、あいにくと精霊王という職業はよほどのことがない限りこの世界を離れられない。私事では動けないんだ。君に頼むしかない。…引き受けてくれるだろうか』
 言っている内容は冗談かと思うほど突拍子がないのだが、口調は真剣そのものである。私事で精霊界を動けないと言う精霊王に、ゼリスは憧れだけでは語れない、世界の悲しさを教えられたように思った。
『もし無理だと思うなら、拒んでくれてかまわない。…行ってくれると言うなら、ぜひ四人と、それから私の鳥とでエターナルに行って欲しい。場所と詳しい事情はクレヴァーが知っている。カリオルもティティニアも寝耳に水とは思うけれど…ゼリスの力になってくれ』
 え、とクレヴァーを見やると、青年は重たい表情でゼリスの手の中の言霊を見ていた。ゼリスの視線に気付いて軽く頷く。
『ゼリス、君にしかできないことなんだ。…頼まれてくれ』
 そこで、すっと気配が消えた。これでメッセージが終わりか、と思ったら言霊の玉がふわりと空気に溶け込んで、無くなった。
「消えちゃった」
「役割をはたしたら、そうなるんだけど…」
 説明するティティニアの声にも戸惑う色がある。ゼリス、カリオル、ティティニアの三人はクレヴァーの方に無言で疑問を投げかけた。
「えーと…実はその囚われのお姫様のことをサルフに伝えたのは私なんですね…。…で…お姫様の名前はラマーシャ。白金髪に碧眼、年齢不詳、噂によるとなかなかの美少女らしい。エターナルと言うのは小国も小国、一つの都市くらいの大きさで、設立から間もなく、国家としての機能もほとんど果たしていない。その支柱をつとめる大塔に、お姫様は監禁されている」
「なんで?」
 単刀直入なのはカリオルの質問。
「なんでって?…うん、実はその少女は人間ではなくてね…」
「人間じゃない?」
「いや、人間なんだけれど、不思議な力を持っているんですね、それで…人々は少女を塔に押し込めて、…崇めている」
「崇めている?」
「自分達を救ってくれると思っているらしい」
「……」
 ゼリスはなんと言っていいか分からなかった。どうやら昔の物語とは少し毛色が違うらしいということが分かったばかりだ。
「なんだ!」
 呆れたように言ったのはやはりカリオルだった。
「国家じゃなくて宗教団体じゃないか、それ」
「…そう。そうだね」
 クレヴァーはげんなりした様子で「だから厄介なんだ」と呟いた。
「そこに助けに行けばいいんですか?鳥たちを連れて?でも鳥は精霊の命のもとを運ぶんでしょう?」
 自分達が連れていっては精霊が困るのではないかとゼリスは懸念したのだが、
「あ、それは大丈夫!」
 ティティニアが元気にうけおった。
「精霊王様は『私の鳥』って言ったでしょ?あれはあの鳥の中の、ただ一羽を指すのね。尻尾が青いのがそうなの」
「尻尾が青い…?」
 確か多くの鳥は尾が薄紅色だった。青い鳥などいただろうか?もし一羽しか青い尾の鳥がいないのだとすると、なるほどすぐには見つからないだろうが。
「そう、赤いのは先代精霊王様の鳥なの。青いのがサルフィン様の時代に生まれた鳥。まだサルフィン様の鳥は一羽しか生まれてないの。これから増えていくんだけど」
「ふーん…その一羽を連れていけばいいの?」
「ゼリス、行ってくれるの?」
 嬉しそうに訊くクレヴァーに答えようとした時、コンコンとノックの音がした。
「お茶が入りましたよ。こんなとこで立ち話してないで、下においでなさい」
 ルルトだった。慌ててゼリスが隣を見ると、もうティティニアは消えていた。
「少年、紅茶と緑茶どっちがいい?」
「紅茶!」
 ルルトの問いにカリオルが遠慮のかけらもなく答える。
「お嬢さんは?」
 との言葉に聞いたゼリスはぎょっとしたが、問われたクレヴァーはごく自然に
「お嬢さんではないんですが、紅茶をもらえますか」
 と微笑んだ。

 基盤に石を使った木造の家。食卓の窓は大きく、さわやかな空気にことかかない。きれいに片づけられて清潔感あふれる気持ちのいい部屋だ。花のかざってあるテーブルで、今はケーキを囲んだお茶の時間である。
 お茶を飲みながら、カリオルとクレヴァーはゼリスの兄弟たちに質問責めにあった。
「お兄さんどこから来たのー!」
「強いのー?」
「お姉さんどうしてそんなに綺麗なの?」
「ゼリスの友達なのー?」
 等々。クレヴァーが「私はお兄さんなんだ」発言をしたときは「えー!?」と一同が声をはりあげたので家が揺れたほどだ。
 しかもその揺れで屋根の上の鳥たちが飛び立っていった。
「あー!」
 慌てて窓辺にかけよるが、もう鳥たちは山の方へ飛んでいって、帰ってくる様子は見られなかった。ゼリスは去っていった方向が『精霊の谷間』の方だったので一安心したが、サルフィンの青い尾の鳥まで行ってしまったのでは?と危ぶんだ。眉をひそめていると耳元に風が吹き抜け、「大丈夫だよ」と声がする。ティティニアの声だった。
「…ティティニアが騒ぎに合わせて帰してくれたみたいだね」
 クレヴァーが小声で言った。そうとは知らない子どもたちは、「騒ぐから逃げちゃったんだよ」とルルトに馬鹿にされて落ち込んでいる。
「ねえ少年、あなた、カーオンの息子なの?」
 とルルトが唐突にカリオルに言ったのは、ケーキの半分が消え失せた頃だった。
「……え?…」
 不意をつかれて、カリオルは困った顔になる。ゼリスも初めて聞くこの名前に首を傾げた。
 助け船を出したのはクレヴァーだ。
「ルルトさん、カーオンを御存知なんですか?」
「え?うん。クレヴァー君、何、やっぱりそうなの?」
「…、まあ…」
 歯切れ悪くカリオルが肯定らしき返事をする。
「まー!やっぱりねー!私なんかもう30年くらいカーオンに会ってないのよ、行方不明になっちゃって!なんだ、ちゃんと生きて子供も作ってたのね。元気?カーオン」
「うん」
 今度は素直に頷く。
「カリオルって、カーオンのお兄さんの名前なのよ、知ってた?」
「うん」
「ご兄弟とお知り合いなんですか?」
「まあね。クレヴァー君は何?カリオル君の友達?まさか兄弟じゃないでしょう?あのカーオンにこんな美人の奥さんが来るとは思えないし…」
 カーオンという見も知らぬ人物のことで話が盛り上がっていて子どもたちには何がなんだか分からないのだが、クレヴァーは苦笑してルルトに答える。
「私、カーオンの古い友人です」
 これにルルトが吹き出した。
「古い友人って…君、何歳?」
 何しろクレヴァーはまだ10代にしか見えない。カーオンという人物はカリオルの親で、ルルトの言によると30歳は超えていなくてはならないのだから、これは至極当然の反応だった。
「ああ私…エルフなんです。それこそカーオンとは30年近くのつきあいです」
 一刹那の沈黙のあと、再び「えー!?」という叫びがあがった。
「おにーちゃんエルフなのー!?」
「握手して握手!」
「サインして!」
「美貌を保つ方法を教えて!」
 今度はルルトまでが混ざっている。ゼリスは少し家族が恥ずかしくなった。
 騒ぎに一段落ついてから、にこやかにクレヴァーはある計画を持ち出した。
「あの実は、今回カリオルと一緒にカリオルさんの…あ、カーオンのお兄さんの、カリオルにはおじさんにあたる方のカリオルさんですよ、そのカリオルさんの所に遊びに行こうとしててですね…たまたま道中ゼリス君に会ったんですが、ぜひ一緒に行きたいって言うんですよね…」
「誰が?」
「ゼリス君が」
 いたって平静なふりをなんとかしてみせたが、実はゼリスは口に含んだお茶を吹き出しかけた。
「ゼリスが?」
 ルルトが不審そうにゼリスを見るので、少年は勢い込んで首を縦にふった。ルルトの知り合いであるカーオンという人物の名を使ってゼリスを連れ出そうというのが、クレヴァーの魂胆であるらしかった。
「ぼく行きたい!」
 駄目でもともとだ。言うだけは言った方がいい。
 これで承諾してもらえなかったら夜中に抜け出そうと思いながらゼリスは頼んだ。
「いいよ」
 しかし予想に反して、ルルトはあっさりと許してくれた。
「え?」
「いいよ。いつ行くの?」
「…これからでも」
「じゃあちょっと待ってね、挨拶の手紙持たせるから」
 言って、手紙を書きにだろう、ルルトは奥にひっこんでいった。
「えー、ゼリスおでかけするのー?いいなー」
「ずるいーずるいー」
 兄弟たちの野次がとぶ。
「でもいいの?これからって。別に今すぐ行かなくてもいいんだよ?」
 クレヴァーが訊くが、それにはゼリスは「だめだよ」きっぱりと言い切った。
「精霊…いや、サルフィンさんに頼まれたんだ。遅くても2週間で帰ってこないとカリオルさんがなんか大変になるって」
 兄弟たちがいるところで「精霊王」の名を出すのははばかられる。ゼリスの説明にクレヴァーは納得したようだった。
「ああ」
「なんだー俺が理由かー」
 カリオルがふくれているが、サルフィンの言を否定はしなかった。
 いったいどんな大変なことになるのだろうか…。
 そこへルルトが手紙を持ってやってきた。カリオルに「カリオル喜ぶわよー、会ったこと無いでしょう?カーオンの話なんてもう何十年も聞いたことないもの」と言いながら。
「え、うん」
 またカリオルの答えが鈍る。どうもこの少年は親族の話が苦手のようだ、とゼリスは考えた。実際カリオルを戸惑わせる理由は他にあるのだが、もちろんゼリスにそれを知る由はない。
「お母さんどんな人?」
「…お母さん…?」
 眉間にしわを寄せて視線をさまよわせる。再び助け船を出すクレヴァー。
「金髪の、いっつも笑ってる人でしたよ」
「…過去形?」
「え」
 気まずく沈黙が降りた。

 ガタン、ガタン、ガタン…
 馬車の振動が大きく体をゆらす。屋根のないその荷馬車は、今はのっていないが枯れ草のにおいがした。日の沈みかけた頃の涼しい風が頬をくすぐる。
 この風の中にきっとティティニアもついてきているだろう。
「カリオルさん、お母さんどうしたんですか?」
 さきほど家を出てくる前にうやむやにされてしまった疑問を、遠慮を知らない10歳の少年はズバリ尋ねてみた。
 カリオルは家にいるときとは違って露骨にいやな顔をした。ルルトの前ではあれでも行儀良く振る舞っていたのだ。
「カリオルに母親はいないよ。カーオンっていうのもカリオルの本当の父親じゃないし、カリオルっていう人も本当の伯父じゃない」
「えッ…でもさっき」
「だって、ねぇ。そもそも普通の人間は『守護せし世界』で暮らしはしないよ」
「あ……」
 クレヴァーのいうことはもっともだ。ティティニアと較べて、カリオルは精霊とは見えないかもしれない。だが人間とも言えない。しかしどうしてさっきはあんな流暢な嘘を言ったのか。…理由は分かる。ゼリスを手際よく連れ出すためだ。ならば、
「じゃあカーオンていう人とは本当は知り合いじゃないんですか?」
 そこまで嘘ならクレヴァーは立派な詐欺師だ。
「いや、友人だよ?これから行くカリオルさんとも旧知の仲さ」
 ただ旧知過ぎて、まだ10代にしか見えないカリオルは、カリオル伯父と前にいつ会ったのか正直に言えなかったのだ。なにしろ20年よりは前なので。
 一行は乗せてもらった荷馬車で少し大きな隣の町まで行くと、その日はそこで宿をとった。

 その晩、夢を見た。
 周りを取り巻いているのは藍の闇。黄昏の色を何重にもしたような色合いがどこまでも続いているのだ。
 その闇の中で何かを見たような気がしてゼリスは目をこらした。
 視界の先で白いものが走っていく。
(鳥だ)
 白い鳥がどこかへ飛んでいく。ゼリスは何故だかそれを追わなくてはいけないような気がして足を踏み出した。
 藍色に呑み込まれて、鳥はやがて見えなくなった。
(どこに行ったんだろう…)
 右も左も分からない。ゼリスはとりあえず鳥を見失ったと思われるところに行ってみた。すると今度は何かが聞こえたような気がした。
 幽かな声だった。
 ふと横を見ると、そこに鳥がいるのだった。いや、鳥ではない。…少女だった。
 少女がひざを抱えて座っている。顔は見えなかった。
 ゼリスの耳に届くのは、歌か、それとも嗚咽だろうか…?
「君…だれ?」

 自分の声に目が覚めた。
「……」
 目を覚ます一瞬前、少女がこちらを見たような気がするのだが…。
 天井を見るとまだ暗かった。
 不思議な夢見のせいか、心の中が怖いような清涼感に充ちていた。すぐにはもう一度眠る気にもなれず、ゼリスは身を起こした。
 そこに人影を見てぎょっとする。
「…、…クレヴァーさん…」
 クレヴァーは窓の桟に体をもたれて、朝を今かと待つ空の、はるか遠くを見やっていた。 まるで太陽の光のようなその金髪が、この薄暗がりで存在感をひっそりと沈めている。新緑の碧眼には、なぜだろう、悲しみが宿っているように見える。
 ゆっくりとゼリスの方を向く。
「…あの子に会った?」
 不思議とその問いが先程の夢を指していることは分かった。ゼリスはほとんど無意識に頷いた。
「あの子は…昔の私に似ている…」
 どこかで鳥のさえずりが聞こえた。

続く