魔界貴族の憂鬱な日々          日向夕子

「そろそろあいつに、結婚相手をみつけてやってくれないかな」
 初秋の花々が妍を競う、見るもにぎやかな庭園。その庭園を楽しむがために造られた、大理石を基調とした露台である。
 平素は、一を聞いて十を知る賢明な白火だったが、これには聞き返さずにいられなかった。
「失礼。今なんと?」
「王子に。婚約者を探してほしい。お前が適任だと思ったので、任せるよ」
 なんとも唐突な、国王のこの言葉に、白金髪の青年は色めきたった。
「まさか陛下、退かれるおつもりでは!」
 沈着冷静が売りの臣下の、ここまでの慌てぶりに王は声をあげて笑った。黒々とした髪で太陽の熱をうける、まだ壮齢の国王である。
「まさか。私は、体と頭が動かなくなるまではこの位を退かないぞ。それに、許婚といってもすぐに式を挙げようというのではないのだ。そろそろあいつも年頃だし、相手を見つけておいて、双方その気にさせておくと、後々楽かな、とそれくらいのつもりでな」
「そうですか…失礼いたしました」
 浮かしかけた腰を椅子におろし、白火は先の国王の言葉を反芻した。
 結婚相手?
「陛下、しかし私が適任というのは? 私は未婚ですし、歳も殿下と変わりません。婚約者探しというなら、他にもふさわしい方々がいらっしゃるのでは…」
 それを聞いて、国王はにやりと笑ってみせたものだ。
「家柄云々については、お前なら年寄りに劣らず見定められるだろう? それに、王子に一番近しいのがお前だ。あれの好みも分かるだろう」
 王子は、自分に親切なものなら誰でも好む。その彼に嗜好というものがあるのかどうか、疑問に思いながら、白火は軽くうなずいた。
「それに。お前はいいのか? 自分以外のものが、あいつの結婚相手を決めてしまって」
「――」
 白火はまだ若年ながら、ゆくゆくは王の諮問機関である枢密院へ参加するだろうと噂される、出世頭である。今、目の前に座っている王が退位し、皇太子が戴冠するときには、きっと宰相まで上りつめていよう、とひそかな野望も持っている。
 ならば、将来の王妃になるものを、自分の都合にあわせて据えられるのは、願ったりなことだった。下手に敵対する家のものがその座を占めるのは避けなければならない。
「そうですね…引き受けさせていただきます」
「だろう? 兄嫁になるわけだしな」
 しみじみとした国王の口調に、白火はふたたび固まった。そういえばそうだった。とてもあれを兄とは思えないが…。
「まあ急がなくていい。実際、婚礼自体は私が退位する前後までにできればいいのだから、何年かかけて考えてくれていいぞ」
「はあ…」
「で、当のあれはどこにいるのかな?」
 まるで、庭のどこかに隠れているのかな、というように露台から庭園を見まわす。白火は声をひそめた。
「人間界にご遊学のようですよ」


 王の前を辞した白火は、その足で王宮の東棟にむかった。
 考えごとをしながら、ゆっくりとした足取りで進む。
(あいつに結婚相手とは…)
 白火も、同い年である異母兄の王子も、もういい年をした青年なので、結婚してもおかしくはない。だが不思議なことに、今まで一度も自分たちの配偶者について考えたことはなかった。
 自分については、と白火は考える。忙しすぎた。結婚しておかしくない歳とはいえまだ若いことにかわりはなく、別に妻をめとる理由もなかったから、公務のことしか考えていなかった。
 王子については…と、その理由をあげるのも馬鹿馬鹿しい、あの顔を思い浮かべる。
 しっとりとした、鴉の濡れ羽色の髪、濡れた黒曜石のような瞳。赤子のころから変わらぬような白く柔らかい肌に、それらの黒はよく映えた。
 王子は名を闇瞳というが、よくつけたものだと思う。
 その王子が、数日前に白火のところにやってきて、言ったものだ。
「人間界に行ってくるねー」

 その時、白火は自らの領地の治水についての報告書に目を通していたのだが、思わずその報告書を破りそうになった。
「駄目だって何度言ったら分かるんだ?」
 白火の執務室は、一階に設けてあるので、王子はいつも庭先から入ってくる。礼儀も何もあったものではない。
「ええー。だって行きたいんだもの…」
「仮にも王子たるものが、そう簡単に何度も城を空けていいと思ってるのか? しかも供の者もつけずに。皇太子の身に何かあったらどうするんだ」
「大丈夫だよ。ちゃんと横断歩道をわたるもの」
「横断歩道わたったって、信号が赤や黄色だったら轢かれて死ぬんだぞ!」
「知ってるよー。青がピコピコのときもわたっちゃだめなんだよ?」
「そのとおりだ! そして信号が青のときだって走ってくる車はあるんだからな!」
「ええー…じゃあ歩道橋わたるよ」
 白火はがっくりと肩をおとし、一度おちつくために深呼吸した。
 そこに、おずおずと闇瞳が交渉してくる。
「おみやげに、たまごボーロ買ってきてあげるから…」
「誰がいるか、そんなもの」
「えっ!?」
 闇瞳は、まるで人魚と人馬の混血でも見るかのような、信じられないといった顔で異母弟を見つめた。白火としては、非常に心外である。
「じゃあ、ラムネ…?」
「なんで俺が、駄菓子ごときで取り引きしなきゃならないんだ!」
 さすがに耐え切れず、執務机をドン!と両手でたたいてから、白火はしまった、と心中で呟いた。
「ラムネも嫌いなの…?」
 白い肌が紅潮し、常からうるんだように黒々とした双眸が、本当に涙で溺れそうになる。白火はあわてて立ち上がり、自らの袖で兄の目じりをぬぐってやった。
「闇瞳。泣くなよ」
「だって…」
 しゃくりあげるわけではないが、静かに流れる涙は止まりそうにない。白火は、内心で深いため息をつき、これで最後だ、と自分に言いきかせた。
「……生麩饅頭、買ってこいよ」
「…! 行っていいの?」
「ほら、餞別」
 白金髪の弟は、机から適当な金をとって兄にわたし、庭に追いやった。
 どうせ、みやげを買ってくると言っても、この王子はむこうの通貨など持っていないのだ。こうして白火が餞別をやらなければ。
「ありがとう、行ってくるね!」
「いいから、生麩がくさる前に帰ってこいよ!」
 そんな期限をもうけても無駄と分かっていつつも、生ものを要求せずにはいられなかった。遠ざかる兄の背に声をかけて、白火はふたたび執務机についた。一拍おいて、侍従が隣室から入ってくる。先ほど、王子が姿を現したとたん、何も見ないために退いたはずだが、会話を聞いていたとしか思えないタイミングである。
「で、治水の件だが…」
 何事もなかったように切りだした白火に、侍従はこちらも何も言わなかったが、執務の途中でこの青年が「どうせなら、俺に断らずに行ってくれれば…」と独りごちたときは、笑いをこらえるような奇妙な顔をした。


 そういう人柄の王子なのである。身分はともかく、本人を目の当たりにして「結婚」という言葉が出てくるはずもなかった。
 王子はあれから帰ってこない。連絡もない。少なくとも、生麩が自分の手に入ることはなさそうだ、と、ため息をついたところで、東棟につく。
 ここに、白火の母であり、国王の側室である炯の宮が住んでいる。白火も領地をもらって城下の屋敷に移り住むまでは、ここで暮らしていた。内装は深い青を主に使い、落ちついた雰囲気になっている。
 人をみつけて、母にとりつぎを頼むと、応接間のひとつに通された。
 母が来るのを待つ間、長いすの上で白火は、また考えごとにふけった。
(闇瞳に甘くしてしまうのはやっぱり…王妃様に似ているからか)
 王子が「どこかに遊びにいく」と、毎回わざわざ報告にくるのを止められたことはない。連戦連敗だった。
 その王子の母、王妃も息子と同じ黒い髪に黒い瞳、気質もよく似かよっていて、いつもたおやかに莞爾としている。白火は厳しい母親にしつけられたので、幼い頃、王妃は憧れの人だった。
 その王妃に似ているから、ついつい王子を取り逃がしているんだ、と白火は苦く目を細める。そこに炯の宮が来た。
「母上。ごぶさたしております」
「久しぶりですね、卿。聞くところによると、ますますご清栄とか。喜ばしいかぎりです」
 実に数ヶ月ぶりに言葉をかわす母は、まったく変わらず、毅然としつつも優美な身のこなしで挨拶をする。美しいは美しいが、王妃とはまったく雰囲気が違う。その聡明さは、国中に知れわたるほどで、白火も、この母に育てられなければ今の自分はなかったろうと思う。
「実はお願いがありまして。これから何度か、茶会を開いてほしいのですが」
 おかしな頼みに、炯の宮はすこし首をかしげる。
「茶会といいますと?」
「皇太子殿下の婚約者をお選びせよとの、陛下の命でして。家格などももちろんですが、お人柄もこの目で確かめたいと思います。そこで、一番効率的なのが、身分ふさわしい姫君たちを、母上の茶会に招いてもらうことかと思いまして」
 あちこちで開かれる夜会に片端から顔を出してもいいが、それでは効率が悪い。夜会に出るのなら、妙齢の婦人よりも有力な貴族と縁を結んでおきたいのが本音である。目当ての令嬢を見極めるには、人数の限られる茶会のほうがいい。
 聡明なる炯の宮は、得心してうなずいた。
「そういうことでしたら、よろこんで。都合のよい日取りや、ご招待したい方などが決まりましたら、知らせてください」
「よろしくお願いします。それから、茶会の主旨については、もちろん内密に願います」
将来の王妃を選んでいるのだなどと広まったら、大事になってしまう。
「承りました」
 母親の協力に満足して、謝礼を述べて退室しようとした白火を、炯の宮がひきとめた。何か確認事項があったかな、と白火は足を止める。
「卿、もしお急ぎでなければ、お茶でも飲んでいってください」
「……」
 自分の態度が終始において事務的であったことを、ひそかに恥じ入った白火だった。この女性は、聡明であり冷静である人だが、情もまた深いのだった。だからこそ、なお彼は母親を尊敬している。
「これは失礼を…。よろこんでいただきます」
 極上の紅茶にたわいもない話をはずませながら、この人の子に生まれてよかったな、と白火は思った。妾腹の身で、王位に縁がないことを不満とすることもない。
 さて、そしてこの日から、兄嫁選びがはじまったわけである。


 茶会を数回開くと、さすがに目的は秘められたままだが、ささやかな話題にはなったようだ。
 白火のところにも、わざわざ幼なじみがやってきて、「卿が花嫁を探しているらしいという噂がありますが、本当ですか」と報告する。何も言わずに笑って追い返したが、なるほど白火のような若輩ものが王子の許婚を世話しているなどとは、誰も思わないらしい。都合のよいことだった。
 暇をぬって茶会に出席し、もちろん他の経路からも令嬢たちの評判を探ってみたが、これはと思う人はなかなかいなかった。ほとんどは無難な印象をうけるだけだ。
 ただ、その中でひとりだけ気になる女性がいた。
「淡の卿が二の姫、撫子姫か…」
 家柄は申し分ない。父親の淡の卿も忠義のあつい臣下であり、白火とも友好関係である。そして姫の器量についても申し分ないようだ。
 なにより、その人柄が白火の目をひいた。
 何度めかの茶会で、白火ははじめて撫子に会った。ごく淡い金髪がふわりと肩にかかる姫の姿に、白火はなにか懐かしさを感じた。美しい宮廷の花々の中にあって、これといって人目をひく容貌ではないのだが、以前にどこかで見たことがあったのかもしれない。そう思って、気にしなかった。
 他の令嬢たちが上品に会話をかわす中で、撫子姫は終始ひかえめだった。けして口数が少ないのではない。語り口がおだやかなのだ。
社交界の醜聞にはうといようで、そうした話題が非常に遠まわしな表現で話されると、にこにこ笑ってあいづちをうっていた。そのうち、ふと何かに気をとられたようである。
「どうしましたか」
女の噂話には辟易だった白火が尋ねると、撫子は花壇を舞う蝶をさして「あの子を見ておりました」と言う。
「かわいい蝶々。こちらに来てくれないかしら」
 そして何をするかと思えば、自分の髪飾りの造花を手にとって、香水をふりかける。それで蝶を誘おうというものらしい。
「撫子姫、それでは蝶は来ないと思いますよ」
「そうなんですか?」
 姫は、こちらが驚くほどがっかりしてしまった。稚い性格のようだ、と、まずは否定的に白火は評価した。
 それから、話は皇太子のことに移っていった。遊学とは名ばかり、単身で出奔したも同然の王子の話題に、姫君たちは興味津々である。
「殿下はどちらにいらしたのか、白火さまはご存知ですの?」
「いえ、人間界に遊学にいらっしゃったということしか。なにしろ自由なご気性の方ですから」
 女性たちは、くすくすと少々意地悪そうに笑う。
「殿下は人間界がお好きでいらっしゃるんだそうですね。白火さまも、それであちらの事情にお詳しくなったと聞きましたわ」
「ほんとうに、殿下は白火さまと仲がよろしいですわよね」
 ふりまわされていることの揶揄か、と白火が内心でため息をついたとき、撫子がかるく手をうちあわせた。
「殿下は人間界にいらしてるんですね。私もいつか、人間界に行ってみたいです」
 意外な言葉に、白火が驚いて彼女を見ると、その目はきらきらと輝いて、嘘ではないことが分かる。
「殿下がうらやましいですわ」
そこではっと気づいた。幼い娘だと思っていたが、これは闇瞳に似合いである。あの王子と撫子姫を並べれば、人形のような新郎新婦ができあがるだろう。そして、それほど無邪気な王と王妃なら、操ることも容易きわまりない。
そういうわけで、今のところ候補にあがっているのは撫子姫である。しかし、何かがひっかかって決断しかねていた。
「どうしたものかな…」
 身上書を片手に、王宮の庭園にかまえられた東屋でひっそりと悩む。何が気になるのかは自分でもよく分からなかった。
秋はもう旅立ちの仕度をして、庭園に別れを告げだしている。もうすぐ雪も降りだす季節だから、こんなところには誰も来ないだろうと思ったが、意外にも白火の背後から声がかかった。
「撫子姫か。あなたには似合いだと思いますが」
 驚いてふりむくと、いつだかからかいにきた幼なじみだ。
「私に? まさか。殿下の話ですよ」
 言ってからあわてて口を閉じたが、もう遅い。幼なじみは、ほうと目をみはって東屋の中に落ちついた。
「殿下の縁談だったのですか。なるほど。たしかに殿下と撫子姫を並べたなら、一枚の絵のようになりますね」
「それは、そうですが…」
 白火が乗り気でないのを見てとったらしい。幼なじみは片眉を上げて、面白そうな表情になった。
「物足りない?」
「そう…ですね。姫は申し分ないが、殿下はあのとおりの方ですから、やはり陰に日向に、殿下を支えてくださる方でないと」
 自分で言葉にしてから、なるほどそれが理由だったのか、と思った。あのふたりを組み合わせるなら、たしかに実権を我がものにするのはたやすいだろう。しかし子どもをふたり並べておくだけ、というのは、さすがに不安にならずにいられない。
「なるほど。さすがに殿下の正妻選びには、白火さまも慎重ですね」
 それはそうだ、と言いかけ、秋草の名をもつ友人をまじまじと見つめた。
「竜胆姫…」
「はい?」
 幼なじみが、何事かと首をかしげる。
その名のとおり青紫の美しい瞳と青がかった黒髪の友人は、におやかというよりは凛々しい。気性も外見を裏切らず、それは今も白火の親しい友人であるところが、なによりの証左だった。
白火は天啓をうけたかのように感じた。
「そうだ、あなたならまさに適役です。家格は問題ないし、才も豊かで名もよく知られている。その明達と果敢さで、殿下をよく補佐してくれるでしょう。それに武術の腕も相当だ。これ以上の皇太子妃は望めませんね」
 けして傀儡にしやすい女性ではない。撫子とは正反対の人柄と言えるだろう。しかし、白火と幼なじみであることが、すべての解決になるはずだ。
なぜ今まで気づかなかったかと喜ぶ白火に、竜胆は苦笑してみせる。
「そして白火さまの意にもよく通じていると? 武術の腕といいますが、あなたと同じ剣の師についていたのは、子供の時分ですよ」
「当時、私よりよほどの使い手だったではありませんか。そして悪名だかきいたずらっ子でしたね。私もよくこの悪友に捕まったものです」
 からかうように言った後、少し改まった口調になる。
「とは言っても、王子の身をお守りせよとは言いません。有事の際には、自衛に徹して、そして王子の子を無事に産んでくれればいい」
 気の早い、と言われるかと思ったが、竜胆は不思議なことにくすりと笑った。意地悪そうにだ。
「これは。心にもないことをおっしゃる」
 面には出さずに、白火は戸惑った。この姫は、何を言い出すのだろう。
「心にもない? 縁談の話なら、本気ですが」
 もちろんまだ検討はしなくてはいけないが、白火はかなり乗り気になっていた。だが、姫はゆるゆると首をふる。
「いいえ、王子をお守りしなくてもよい、というところです。本当なら、命に代えてもお守りしろと言いたいところでしょう」
「それは、殿下をないがしろにする気はありませんが」
「大事な兄上様ですからね。白火さまはお兄さま想いだ」
「はあ?」
 どうにも聞き捨てならないことを言われた。妙に気にさわって、周りに人がいないことを幸い、公人としてのふるまいを捨てて、憤然と反論した。
「ちょっと待て。誰が大事な兄上だ。あんな奴、皇太子でなかったら、ただの白痴だ。血統さえ守られれば、どうしてあれの安全なんか心配するか」
「卿は闇瞳さまのことになると、いつもの如才なさがなくなるね」
 竜胆はますます楽しげである。こちらも口調をいくらか軽くする。
「白火さまの、闇瞳さまへの甘やかしぶりは、国中で知らぬものはないほどなのに。本人ばかりは自覚がないらしい」
「甘やかしてはいるが…子供の相手が苦手だからだ」
 白火は苦々しげに、心の底から言った。少なくとも自分ではそのつもりだ。それに、王妃様に似ているから、つい。けして兄として慕っているわけではない。
「人間界にお忍びする殿下を、毎回送り出しているし」
「泣かれたらうっとうしいからだ」
「そのわりに、いつも人間界の通貨を用意しているようだし」
「たまたま持っているところに、闇瞳が来るだけだ」
「執務室も、階上にすればいいところを、闇瞳さまが来やすいように一階にしつらえているし」
「それは…気晴らしに俺も庭に出ることがあるからだ」
 それにしても、そんな噂話が漏れているとは、屋敷の人間も信用できたものではないな、と白火は歯がみした。
「花嫁選びまでうけおって。他人が選んだ兄嫁では満足いかないのだろう」
「当人の前で言いたくないが、将来の王妃にはそれだけの価値があるからな。闇瞳だって同様だ。手なずけておいて損はない」
 何をそんなに甘い感情を期待しているのか知らないが、まったくの誤解だと、白火はどんどん竜胆のあげる根拠を切り捨てていく。
 しかし竜胆もめげることを知らない。さらに嬉しそうな様子で、目を細くしてわざと視線をそらした。冬枯れた庭園を涼やかに見やる。
「それにましても、闇瞳さまが即位された暁には、何をおいても自分の手で補佐しなければ…という理由で宰相の地位を野望する熱意は、脱帽というしかない」
「何だっ…て?」
 自分がいつか宰相にまでなってやると思っているのが、噂になっているのはありえることとして。その理由は何なのか。
「誰がっ…闇瞳のために宰相になるって!?」
誤解にしてもあまりにもひどい。激した白火に、竜胆は声をあげて笑いながら立ち上がり、東屋を出ていった。
「知らぬは本人ばかりなり」
「……!」
 まさか、国中の人間がそう思っているのだろうか。
 白火が、異母兄の闇瞳にひとかたならぬ愛情をもって、いたく大切に扱っていると? かいがいしく世話をやいて、即位後の面倒もみるために宰相を志していると? そんなふうに王子と自分を見てほほえましく思っているのだったら、
「闇瞳に甘いのは、俺じゃなくて国民すべてだ!」
「いやいや、白火さまには負けるな。あ、撫子姫は本当に白火さまにお似合いだと思いますよ。王妃さまや闇瞳さまに似ていらっしゃるもの。殿下にあげてしまうのは、もったいないんですよね?」
 ますます謎な捨てゼリフをおいて、幼なじみは去っていった。
「…何だっていうんだ。言いがかりもほどほどにしろ!」
 白火は、怒りにまかせて撫子姫の身上書を握りつぶしていた。


 闇瞳から便りがあったのは、もう年もそろそろ暮れを迎える頃だった。白いフクロウが手紙を持ってきたのだが、そのフクロウは縫ぐるみだった。闇瞳のかけた術で動いているのだろう、そういうことばかりは得意な兄だ。
 遅すぎる手紙に舌をうちつつ、白火はことさらゆっくりと便箋をひらいた。便りを待っていたようなそぶりを、たとえ人がひとりもいない場所でも、したくはなかった。
 現在の落ちつき先と、生麩をもう食べてしまったことへの謝罪。
 まだ帰りそうにない様子を行間に見て、白火はため息をつく。
 闇瞳の居場所など、もとから知っていた。ひとりで勝手に出て行ってしまう闇瞳だったが、それを知って白火が護衛をつけないわけがない。闇瞳が人間界にいくたびに、護衛が陰から見守り、定期報告をするようにしている。
「そういえば、一度もあいつに訊かないまま、婚約者を決めてしまったな」
 許婚が内定したことを、知らせてやるべきだろう。あれから国王や竜胆姫の父親にも打診をして、ほぼ決まりになっていた。
名に冠する慎ましやかな秋の花とは、似ても似つかない花嫁だが。最近、竜胆は撫子をともなって白火の屋敷をなにかと訪ねてくるのだが、多忙ななかでも未来の王妃と思えば、追い返せない。
婚約者のことくらいは、闇瞳のところに直接行って知らせたほうがいいだろうか?
 そこまで考えて、白火はあわてて首をふった。そんなことをしたら、やはり自分は王子に甘いと思われるのは必至だ。まるで、なかなか帰還しない闇瞳を心配したかのようではないか。
「―誰があんな馬鹿を心配するか!」
 所用があってそのとき白火のところにやってきた侍従は、主人の様子から、どうやら皇太子から手紙でも来たらしい、とこっそり微笑んだ。
 なにしろこの主人が声を荒げるのは、いつでも皇太子がらみなのである。


                              了    



前に書いた「やみめ」と「しらほ」の兄弟ですな。ストーリーもなにもなく。
   白火、小さい頃より余裕なくなってるな。苦労してきたのか。