大庭学園誘拐事件 <4>               日向 夕子


 大庭学園に帰るタクシーの中、林野阿私陀は、自らが追う誘拐犯のことを考えた。
(身代金を持った共犯者が大庭にむかっていたってことは、主犯・浅井も大庭にいるはず…。あの周辺は、構内以外に身を隠せるような場所はないからな。校舎内か、寮か…)  
 倉庫などの、人気はないがいざとなったときに逃げるのが難しい場所は、浅井の好むところではないだろう。ある程度、周囲の動向をうかがえる場所を選ぶはずだ。
 それらしい場所を人海戦術で探すほかないだろう。人手は限られるが、隠れ場所になるポイントもそれほど多くはないはずだ。
(私が浅井なら、まず…)
 暗がりが好ましい。フィルムか何かを上映する教室か。しかし教室での上映は休憩が頻繁に入るだろうから、客として目立たずにいつづけるのは難しい。では、講堂か。講堂はずっと暗幕で光を遮っているだろうが、照明をつける時間もあるだろう。
「………」


『ああ、ロミオ様、どうぞその名をお捨てになって!』  
 舞台では「ロミオとジュリエット殺人事件」が上演されていた。オーソドックスなジュリエットの衣装に身を包んだジュリエットが、素人にしてはなかなかの演技を見せている。
「そろそろ林野も着いたかもしれないな」
「そうですね。佐藤君があとどれくらいで合流できるか…。時間との勝負ですね」  
 暗がりの中で、誘拐犯と人質がささやきあう。追っ手が来たら身軽に逃げられるよう、今は下手な変装はしていなかった。

「お前は西棟、そっちのふたりは東棟を。お前は寮を探せ」  
 学園に到着した林野は、近くにいた部下たちにとりあえず指示を出した。まだ戻っていない捜査員たちのために、ひとりを校門に残しておく。
「林野さんは?」
「私は、講堂に行く。ひとりついてこい。発見したらすぐに携帯で知らせろ」
 それだけを言うや言わずで、林野は身をひるがえして講堂にむかった。途中の掲示で確認したところ、どうやら今は「ロミオとジュリエット殺人事件」という推理劇が催されているらしい。
 講堂に入ると、林野はついてきた部下に観客席を探すよう言いつけた。この暗闇の中で、顔を隠しているだろう二人組みを見つけるのは至難の業だが、部下は何も言わずに離れていった。
 もしも観客にまぎれているのだったら、動きにくい中ほどの席は使わないはずだ。通路側の席をとるだろうし、それならば見つからないこともない。
 そして林野自身は、舞台袖にむかった。
 まずは上手から見ていく。劇の裏方たちや役者たちが、幕のすきまから舞台をうかがっていた。ここには隠れる場所がいくらでもある。
 しかし、ひとりずつ顔をたしかめ、大道具の陰を確認していったが、誘拐犯の姿はみうけられなかった。
 舞台の裏を通って、今度は下手に行く。演出の関係か、こちらにはほとんど人がいなかった。
 注意ぶかく探っていくと、移動式の更衣室の中から、なにやら呟き声が聞こえてきた。
「…まさか……犯人とは…きづかな…」  
 よく聞きとれないが、「犯人」という言葉に、林野は思わずガッツポーズをとる。
「見つけたぞ、主犯っ!」
 一応まわりに配慮した小声で叫び、彼女は勢いよくカーテンをひいた。
 中にいた人物と真正面から目があう。
「ええと…はい、私が犯人ですが…」  
 何があったのか分からない、という顔で台本を持っていたのは、「ロミオとジュリエット殺人事件」の犯人役だった。どうやら台詞の最終確認をしていたらしい。
「…失礼」  
 林野は静かにカーテンを元に戻し、舞台袖を去った。
(舞台裏じゃないのか…奈落…は、さすがにないしな)  
 それなりに自信があったのだが、こうなったら他に有力な隠れ場所を見つけなければなるまい。
ふと目をむけると、劇は佳境に入ろうとしていた。

 追っ手の目を気にしながら観劇していた浅井と真人にとって、それはとんだ誤算だった。  
 あまり長い間、舞台袖にいつづけるのも限界があるだろうし、捜査側にとってもこの場所は予想できるだろう、という真人の意見により、ふたりは林野が現れる前に移動していた。
 講堂は一階席と二階席がある。二階席はあまり広くなく、学園祭では使わないことになっているのだが、登ることは難しくない。人もいないし、こちらに移ろうということになった。
 舞台正面の二階席に座り、ゆうゆうと観劇する真人を見て、もしかしたら見やすい席で観劇したかったから移ったのだろうか、と浅井は思った。
 舞台の上で、ジュリエットの罠にはめられた犯人が叫ぶ。
「だ…誰かそこに…!?」  
 しかし誰も現れない。マイクを通した声だけが、不気味に響いた。
「そう…やっぱり…あなたが私のロミオを殺したのね…」  
 ミステリというよりはホラーな雰囲気で、犯人は怯えてジュリエットの姿を探す。観客もお化け屋敷的な緊張でわくわくしている。
「まさか!お前は死んだはず!」
「ええ…納骨堂におさめられて死の淵に立った…。すべては、ロミオ様と一緒になるために。それをあなたが…」
 このあたりで、浅井と真人は嫌な予感がしてきた。どうも、自分たちの近くに誰かがいるような気がしてきたのだ。劇の効果だろうか。
「ロミオを殺したあなたに復讐するために…私は、地獄の底から舞い戻ってきたのよ!」  
 おいおいすごい台詞だな、と思ったときには、なぜかふたりにスポットライトが当たっていた。
「ジュリエット!」
 舞台の上で、犯人がこちらを見て絶叫する。
「…え…?」  
 浅井と真人は、おそるおそる後ろを振り返った。
 ジュリエットがいた。スポットライトをあびて、狂女のようにしかし美しく、ライトをあびて仁王立ちしていた。
 とんでもない誤算だった。もう一度振り返ると、観客は全員こちらを見ていた。しかも、客席通路に立っていた林野と、目があった。
「…日霊様?」  
 いぶかしげにジュリエットが言う。意表をついた展開に、芝居のことを失念してしまったようだ。しかもこの呼び方、どうやら日霊真人ファンクラブ会員だ。
 浅井は、とにかくここから逃げなくては、と人質の手をとった。それが致命傷だった。
「日霊様っ! なんですかその男は!手なんかつないじゃって! まさかまさか、こんな暗がりで、逢引き!してたんじゃないですよね!」
「えええええっ!?」
 観客席にいた大勢の女生徒が絶叫して立ち上がった。浅井どころか、林野たちもたじろいだ。
「日霊様、そんな!彼氏はいないっておっしゃってたのに!」
「ていうか、寿さんと婚約してるんじゃなかったんですか!?」
「私の日霊さんに触らないで!」
 ものすごい勢いのブーイングが浅井を殴打し、無実の少年はかなりの深手をおった。
「大丈夫か浅井君。とりあえず逃げるぞ」
 日霊様―!というジュリエットの叫びを背後に、人質は誘拐犯の手をひいて逃走をはじめた。  
 階段を下りる直前にちらりと見たところでは、林野とその部下は、暴動寸前の女性観客に邪魔されて、立ち往生のようだ。
 駆け下りて講堂外の廊下に出ると、ちょうどカメラを持った報道陣とすれちがった。
〈おーっと、取材班はついに本日一番の注目誘拐犯の姿をとらえることに成功しました! なんと浅井飛太郎、日霊真人会長と手と手をとっての逃避行です!〉
 そんな東海林雅の声が追いかけてきて、浅井は泣きそうになる。
「浅井君、明日からもてなくなるな」
「…カミソリレターを覚悟しますよ…」  
 はるかに役を譲ればよかった、と少し後悔する浅井だった。
 ふたりはとにかく闇雲に走っていたが、このままでは林野の放った部下たちに捕まる。刻限はあとわずかなのだ。逃げ切らなくとも、時間稼ぎができればいい。
「…よし! あそこに入ろう!」
「え!? ちょ、ちょっと待ってくださいよ日霊さん!」

 一方はるかは、指示どおりに一度自宅近くまで戻り、近所の友人宅でセーラー服を借り受けた。「ウェストが大きい」と言ったせいで貸してくれた友人には殴られたが、これで学園祭見物に訪れた他校生の外見になったはずだ。  そうしておっかなびっくり校内に戻ってきたのだが、主犯浅井が潜伏しているはずの講堂方面は、なにやらただ事ならぬ騒ぎになっている。どうやら日霊真人ファンクラブの暴動が起こって劇が中断されたらしい。
(何がどうなったらそういうことに…)  
 学園祭って怖いんだな、と、まだ一年生のはるかは思った。
 さて、浅井はまだ捕まっていないようだから、どこかで合流しなくてはならない。どこに隠れているのだろうか。
 どこか落ち着いたところで連絡を、と考え、はるかは無意識に、日頃慣れ親しんだ扉に手をかけた。
 タイムリミットは、あと15分をきっている。


「勘弁してくださいよ日霊さん!ここは駄目ですよ犯罪です!」
「静かにしてくれ。ここなら捜査側も入ってこないだろう」
「林野さんは入ってこられますよ!」
 女子トイレの中で、浅井は顔を真っ赤にして抗議した。もともと少なかった使用者が、怪訝そうに出て行ったので、今は他に誰もいない。?
「いいから、はやくはるか君と連絡をとったほうがいい。もう着いてるだろうから」
 言った矢先に浅井の携帯電話に着信があった。はるかだ。
「はい」
『あっ浅井さん、僕いま校舎にいますけど、どこに行けばいいですか?』
「あーうんええと」
 まさか女子トイレに来いとは言えない。
 迷って生まれた一瞬の沈黙で、電話のむこうが何やら騒がしいのが聞こえた。
「ん? 今どこにいるの?」
『えーと3階の男子トイレですけど』
 浅井と真人は思わず顔を見合わせた。ここは3階の女子トイレである。
「…なんでそんなに騒がしいの?」
『なんででしょう。んーなんか僕を個室から出そうと…ん?あー、ぼく、セーラー服着てたんでした、今』
「………」  
 それは男子トイレに入っていた皆さんも焦るだろう。
 とにかく、同じ階の男子トイレと女子トイレならば、廊下のこちらとあちらである。合流は容易だ。ただし、それ以前以後に捕まりさえしなければ。
「あーそういえば、朝臣君が校舎の隠し扉の場所を教えてくれてたな…」  
 ダッシュではるかと合流してそこに駆け込もうかなー、と呟いた浅井のむなぐらを、人質の真人がぐっとつかんだ。
「今、何て?」
「え、あの、朝臣君が…遊び心で作った隠し廊下の入り口が、そのへんに」  
 天才と悪魔は紙一重的な弟を持つ真人は、浅井を放して深々とため息をついた。
「どういう権限で、自分が通ってもいない学校にそんなにちょっかいを出すんだ?」
「いやーそれはやっぱり、学園理事のご子息だからでは」
 だからって校舎を勝手に改造するのはやりすぎだろう。それに、同じく理事の娘で、しかもれっきとしたこの学園の生徒である自分は、生徒会長として粉骨砕身、務めてきているのに、その成果たる学園祭を手玉にとっていいものなのか。
『浅井さーん?どうしました?もしもーし』
「あ、佐藤君!ああーえーと、ぼくたちも3階のー反対側にいるから、とりあえず廊下で落ち合おう!」
 ぶつぶつ愚痴を言っている真人をひとまず置いて、浅井は目先の問題にとりかかった。時計を見れば、タイムリミットまであと5分である。このまま逃げ回れば何とかなるのではないか。
『了解しましたー』
 では廊下に、と落ち着かない女子トイレの扉を開けると。
 なんというタイミングか、そこには捜査陣の御大、林野阿私陀が立っていた。

「あ、すみませんすみませーん。ぼく、ただのセーラー服好きの女装趣味な男子生徒ですから、安心して用を足してください、はい」  
 かよわそうなセーラー服少女が、男子トイレの個室に入ったきり出てこなくなったことを憂慮して集まってきていた男性陣は、そんな弁明をしながら個室を出てきた少年に、かなりげんなりした。
 しかし、色めきたった人物もいた。ちょうど、なんの騒ぎかと見にやってきていた林野の部下のひとりだった。彼は、一度自分たちを出し抜いた1年生の写真を、すでに入手していた。
「共犯者・佐藤はるか!お縄だ!」
 「男子トイレにこもるセーラー服少女」を見物しにやってきた人だかりの中で、そんなことを叫ぶ男がいては、はるかどころか、周りの人間全員がぎょっとした。
 あわててはるかは踵をかえす。
 そうすると、もう向かう方向はひとつしかなかった。
 トイレの窓の外である。
 窓の桟に足をかけ、一気に外に身をのりだす。とにかくこの場をやりすごして他の窓にでも、と思ったところで、なぜか同じく3階の壁にへばりついている人影を見つけた。
「…日霊さん!」
「おや、はるか君も外に出てきたぞ。以心伝心だな」
「え!?それは、ラッキー…なんでしょうか? とにかく悠長なことを言ってないで、そっちに進んでくださいー、もうもちませんよ!」  
 片足を壁の心もとない足がかりにのせ、片足でトイレの窓が開かないように支えている浅井は、トイレの中から窓を開けようとする林野の強力に対抗しかねて、泣きそうだ。
「分かった。しかし気をつけろよ、落ちたらファイト一発だな」
「ファイトですめばいいんですけど…って、佐藤君、手はふらなくていいから!」  
 しかもあろうことか、身代金の入ったリュックを持つ手をふっている。
「日霊さーん、無事でしたかー?」
「ああ。はるか君、セーラーも似合うな」
「そうですかー?えへへ、じゃあうちの制服改正して、パンツスーツとネクタイだけじゃなくて、セーラーも選択できるようにしましょうよ。そしたらぼく、セーラー選びますよ」
「うーん、どうだろう。考えておくよ」
「そういう話はいいので!はやく身代金をこっちに!佐藤君!」
 じりじりと距離をつめながら、脳天気な相談をしているふたりに、浅井はまた泣きそうになってきた。林野はトイレの窓を諦めたようだが、かわりにどの教室の窓から出てくるか分からない。
 でも、セーラーもいいよな、とやはり男子学生の浅井は頭のすみで考えた。なにしろこの学園の制服は女子もパンツなので、そればかりは男子生徒の不満どころなのだ。

〈おっと、浅井主犯、人質の日霊会長をともなって、なんとなんと、校舎壁で共犯の佐藤君と合流しようとしています!もうタイムリミットまであとわずか!犯人グループ、堂々350点獲得なるか!?〉  
 寿細が、学園祭で混みあう駐車場に問題がないか見てきてから、正門を通って戻ろうとしたときに、耳に飛び込んできたのは、東海林雅のにぎやかな実況中継だった。?
 周りを見ると、校庭や模擬店にいる誰もが校舎を見上げている。その視線を追ってみれば、なんと人間が三人、壁にはりついていた。
「日霊…何やってるんだ、あんなところで」  
 よくもあそこまで付き合えるものだ。自分だったら、あんな服の汚れそうな真似は絶対にごめんだ。
 さして興味もなかったので、細はすぐにその場を去ろうかと思った。しかし、真人の「友人」である自分が、あの状況にある会長に注意もはらわずに行ってしまうのは外聞が悪い。リポーターがタイムリミットまであとわずかと言っているのだから、すぐに決着がつくのだろう。細は仕方なく、それまで見届けることにした。
〈あと1mで、身代金が主犯の浅井飛太郎にわたります!ああっとしかし、アシタ将軍が…!?〉
 はるかは精一杯手をのばした。真人たちがいるところには、間に大きな柱があって行けそうにないからだ。  
 はるかと浅井との間に真人がいるので、真人は主犯の代わりに手をのばし、身代金の入ったリュックを受けとる。
 リュックがはるかの手をはなれ、真人の左手に委ねられた。その瞬間。
「往生しな!」
 ちょうど真人が立つ真前の窓が開いて、校舎内から林野がつかみかかってきた。人質を「保護」し、身代金を取り戻すためである。
 ところが、保護されるべきの人質は、思わず身をひねって逃げてしまった。?
「あ」
 ただでさえ身代金を受け取るために片手で体を支えていた真人は、たやすくバランスを失い、宙に舞うことになった。
「日霊さん!」
「日霊!!」
 仰天して誘拐犯らと捜査指揮官は叫んだ。3階から落ちれば、ただではすまない。
 日霊は、自分の足が壁の足がかりを離れる瞬間、これから落ちていく地面を見た。そして―幼なじみを見つけた。
「――細!頼む!」  
 咄嗟に叫ぶ。そして、そのまま身代金を両手にかかえ、落下した。

 寿細は悩んだ。  
 嬉しくないことに、幼なじみにして生涯のライバル(と細が思っている)日霊真人が助けを求めて発した声は、充分に自分まで届いた。
 うけとめるなり何なりするべきだろう。
 しかし、どうして自分があの腹立たしいライバルのために、そんなことをしなければならないのか。
 問題は、ここが衆人環視のもとであるということだ。ここで真人を助けなくとも、一瞬のことである、誰も非難はしないだろう。反対に、もし真人を助けたならば、この美しい博愛と勇気に対して、惜しみない賞賛が送られるはずである。自分の名声はまた上がることだろう。
 ところが更に問題なのは!ここであんな高さから落ちてきた、あんな重いものを受け止めたら、どんなにうまくやっても、自分の身がただではすまないだろうということだ。我が身を傷つけることをするなど、そんなことは耐えられない。
 とこのように、ナルシストで外面重視でライバル意識の強い大和撫子は、大いに悩んだ。
 時間にしてみると、ほんの一瞬のことだったが。
 その結果。細は、肋骨を折った。

「さ、細…大丈夫か?」
〈何ということでしょうか!3階から落ちてしまった日霊さんを、寿細さんがうけとめました!日霊さんは無傷、無傷です!身代金もその手に持っています!ところが本来それを手にするはずの、誘拐犯・捜査陣ともにこの場にはいません!さあどちらが先にたどりつくのか。もはやリミットまで1分を切りました、カウントダウンです!〉
 雅の声にあわせて、野次馬の間からカウントダウンが始まった。
 超絶不機嫌そうな幼なじみの上に腰かけたまま、真人は浅井たちか林野たち、どちらかが来るのを待った。
 ごー!よーん!さーん!にーい!?
 いーち…ぜろ!  
 結局、どちらも間に合わなかった。
 残念ながら、両陣営が人質と身代金の両方を確保できなかった場合、引き分けである。
「引き分けだと、本来もらえる得点の四半分か。C組は75点だな。残念だったな、細」
「…いいから、すみやかに私の上からどいて、病院に運べ…!」
〈それにしても今回の大捕り物、最後の見せ場は寿副会長にとられてしまったと言っても過言ではないでしょう!あの高さから落ちた日霊さんを、微塵も迷わずうけとめるとは!寿さんをしてそうせしめるのは、やはり愛?愛なのでしょうか?〉
 細の頭の血管が切れないうちに、救急車を呼んでやることにした。


 学園祭もようやく一日目が終わった。
 明日、最終日にむけて体力を取り戻すために、真人は自宅に着くとすぐにベッドに倒れこむ。副会長が怪我をして祭運営から退場を余儀なくされた今となっては、会長の仕事が増えることは必至である。まさか二日続けて誘拐されることはあるまいが…。  
 そこまで考えて、真人ははたと弟のことに思いいたった。
 そういえば、誘拐現場で別れたきり、諸悪の根源たる弟を見ていない。
 どこに行ったのだろう?学園祭を楽しみにしていたようだから、明日も来るとは思うのだが、まさかまた何か悪巧みをしているのだろうか。
 真人は起き上がって、家の中を探してみた。見つからない。
 両親もどこかにでかけているように見当たらなかった。娘のかよう学園で学園祭があるというのに、無関心なことはなはだしい。
 静かな家の中で、電話のベルがなった。
「はい、日霊です」
 朝臣かな、と思って出ると、あからさまに変声機を通したらしいあやしい声。
『お宅の息子さんを預かった。無事に返してほしかったら、こちらの指示に従って金を用意しろ。警察には知らせるな…』  
 がちゃん。
「あ」
 思わず切ってから、真人は受話器をおいた自分の手をまじまじと見つめた。
 今の電話が本物だったら、どうするつもりなのか。
「…まあ、本物だとしても」  
 あの弟のことだから、自分でなんとかするだろう。
 今度こそ本当に、真人は明日のためにやすむことにした。

了