大庭学園誘拐事件 〈3〉                日向夕子 


    日霊真人:♀・大庭学園4年、生徒会会長。人質中。  
    寿細:♂・同5年、副会長。身代金の引渡し役。  
    林野阿私陀:♀・同5年。長身、赤毛。捜査指揮官。  
    浅井飛太郎:♂・同2年。誘拐犯人。 
    佐藤はるか:♂・同1年。小柄。浅井の共犯。 
    東海林雅:♀・同3年。放送局員。事件のリポーター。


〈寿細さんは、犯人の指定によって電車の中に乗り込みました。それを追ってやはり乗車する、林野さん率いる捜査陣!わたしもなんとか、寿さんの隣の車両に乗り込みました。ここからでは、カメラではとらえきれませんが…〉
 何事だ、というように注視する一般乗客をものともせず、リポーター東海林雅とそれに従うカメラマンは実況中継する。 
〈はたして犯人は、どこで身代金を受け取るつもりなのでしょうか?捜査陣は、そこで犯人を捕えることが出来るのでしょうか?〉 
 細は、手中のメモを見て、犯人が何を意図しているのか察した。
 しかし、人質側の人間は、あくまで犯人の要求には諾々と従わなくてはならない。勝負は、あくまで犯人グループと捜査グループ間のものなのだ。 
『身代金の入ったスーツケースを、前の席の下に入れてください。次の駅で、スーツケースを持って降りること』 
 言われたとおりに身代金を前の席の下に押し込む。 
 はるかは、自分の姿が捜査陣からは死角になっていることを確信しつつ、トートバッグから組み立て式のスーツケース(偽)をとりだし、造型しはじめた。 
 「誘拐」種目では、いくつかの小道具は生徒会指定のものとなっている。たとえば、紙幣を模した新聞紙。身代金を入れるスーツケース。それに発信機と発信機探知器具。そのため、D組の仲間がコンパクトに持ち運び可能な、スーツケースの模造品を作っておいてくれたのだ。 
 どこから見ても立派な本物に見えるそれを、はるかは自分の席に入れられたスーツケースと入れかえる。後は待つだけだった。 

 電車が駅に停車する。細が言われたとおりに、やけに軽くなったスーツケースを持ち、下車した。あまりに早い下車に、捜査官たちは少々いぶかしんだが、とにかくその後を追う。 
〈おや、たった一駅で下車するもようです。私たちも後を追います〉 
 距離をとって、林野ら、雅たちがそれぞれ細の後を追う。それを見て、はるかはほっと息をついた。どうやら成功だ。 
「ご協力ありがとう、寿さん…」  
 しかし、はるかは細の性格の悪さを知らなかった。 
 もう自分の役目は終ったと知った細は、とにかく後ろについてくる捜査グループなどがうっとうしい。はやく身を軽くして学園に戻りたいわけだ。 
(どうせ、私が犯人側によくしてやる理由もないしな。このへんでいいだろ) 
 と、改札を抜けた途端、後ろもふりむかないままに、偽スーツケースを片手で放ってみせた。 
「何…!?」  
 驚いたのは、まだ改札を抜ける前だった林野たちである。なにしろ、ゴミ箱にストライクしたそのスーツケースはぱっくりと口を開け、中が空っぽであることをさらしたのだから。 
「いつのまに! …戻れ!」  
 林野の命で、捜査官たちが今出てきた車両に駆け戻る。それを見てはるかはぎょっとした。 
「え、寿さん、ばらすの早すぎっ!」 
 ここで戻ってこられては絶体絶命、だったが、幸運なことに今度は駆け込み乗車はかなわなかった。林野たちの目の前で、ドアが閉められる。ほっとした少女(姿の少年)を乗せたまま、電車はゆっくりと去っていった。 
「くっそー!次の駅に誰かいたか!?」 
「一人、配置してあります!」 
「さっきの席にいた、小さい女の子が共犯だ!次の駅で捕まえるように連絡!」 
 窓の外から確認した容貌を伝え、林野は歯噛みした。あの小柄な体で、頭を低くしていたのだろう。車両の外からでは、細の前の席には誰もいないように見えたのだ。 
〈おーっと、これは意外、すでに犯人は身代金を受け取ってしまったようです!さあ、今から100分間、さらに苛烈な逃亡と追跡がはじまります!〉 
 そんな騒ぎを聞きつつ、細はいつものようにしとやかに、その場を去った。 
「さ、帰ろう帰ろう」
 

 急いで次の駅にむかう林野たちのところに、しかし電話が入り、申し訳なさそうな報告がされた。 
「すみません、見失いました…!」 
「何だってぇ!?」 
 林野の怒号に、乗っているタクシーの運転手がびくっとする。 
「大急ぎでくまなく探したんですが、ワンピースを着た小柄な女生徒は見つかりませんでした。スーツケースは、空になって件の席に残されていましたが…」 
「ちっ」 
 もちろん、はるかはその姿のままで逃走するなどという愚行は犯さなかった。ワンピースを脱げば、中にはTシャツとハーフパンツを着こんである。あとはかつらを取って、身代金を用意してあったリュックサックの中に入れかえれば、完璧だ。 
「それにしても、このトートバッグに、折りたたんだスーツケースとリュックサックを入れるんだから、女の子って偉大だよなあ…」  
 見た目はどんなに女の子らしくしても、やはり少年であるはるかは、感心して呟きながら、下りる準備をしている乗客の中にまぎれた。 
 そして、まんまと林野の部下の目を逃れ、改札をぬけたのである。 
 怒髪天をつきそうな林野自身ともすれちがい、彼女らがちょうど降りたばかりのタクシーをつかまえて、ゆうゆうと乗り込んだ。 
「大庭学園まで、お願いします」

 
「灯台もと暗し、というわけか」  
 本当に薄暗い講堂の舞台裏で、真人は隣の浅井を見た。 
「まあそんな感じで。あれだけ人質や捜査陣を街中に連れ出して、もうはや学園に戻ってきているとは、思われないでしょう」 
 言いながら、浅井は足元にある薄絹をとって、ひかえめな手つきで真人にかぶせた。劇でベールとして使われたのだろう。舞台裏は、照明が少なく人の出入りが多い上に、こうした小道具がゴロゴロ転がっているので、身を隠すには格好の場所だった。 
「佐藤君が、これから学園に来るそうです。身代金は受け取りました」 
 自分も黒いマントをはおって魔法使いのような帽子をかぶった浅井は、携帯電話のメールを確認して小さくガッツポーズをとる。 
「おお、林野をだしぬいたか、さすがははるか君」 
 おそらくは10分か15分もすれば、はるかは大庭学園に到着するだろうとのことだ。これから約100分間、どれだけ姿を隠していられるかが重要となる。いわばかくれんぼだ。 
「ところで、身代金の引渡しに細を指名したのは、どうしてなんだ?」 
「え? ええと、たしか朝臣君が提案したんです。はまり役だって」 
「やっぱり…」  
 どこまでも細の嫌がるツボをおさえるのが好きな弟である。真人は幼なじみに同情した。 
 幕の隙間からかいま見える舞台では、「職員室の影・公金横領疑惑を追う!」という自主制作フィルムを上映していた。放送局が企画・製作、教師たちが役者として協力した偽ドキュメンタリーである。
 

 まだ最後の手がある、と林野は唇を噛みながら自分に言いきかせた。  
 林野のクラスには、有能な科学部員がいたのである。発信機も発信機探知器も指定のものしか使えないのだから、発信機を使ってもすぐに探知されてしまう。それ以外のもので身代金の場所を把握しようと、その科学部員は一計を案じた。 
 空気に触れると発熱・酸化する物質を札束(新聞紙)のひとつに塗り、スーツケースに詰める際は密閉されるようにする。身代金や発信機の有無を確認するため、犯人はかならずスーツケースを開けるはずである。そして札束を取り出したら、それからはカウントダウンだ。 
「消防車に注意しとけよ」 
 そしてまさに数分後、焦燥をあおるあのサイレンが遠くから響いてきた。 
「消防署に電話!現場を確認し次第、急行!」 

タクシーに乗ったはるかは、ほっと一息ついて、大事な身代金が入っているリュックサックをなでた。
(ふー、あとはこれを持って、無事、浅井さんと合流すれば…) 
「お客さん?なんだか、きな臭くない?」 
「え?」 
 タクシーの運転手の言葉に、はるかは首をかしげた。そういえば変な臭いがかすかに。 
「焼肉いってきたわけでもないけど…」  
 言って、はるかは気づいた。視界がほんの少しだが濁っている。煙がただよっているのだ。そしてその出所は…。 「え、まさか!」 
 リュックサックを勢いよく開ける。とたん、白い煙がぶわっと車中にひろがった。 
「な、何それ!」 
「うわわわ、降ります降ります、止めてください!」 
 運転手も客も大慌てだ。タクシーは道の端に寄せられ、煙に包まれた客が転がり出る。あまりに驚いたので、金を払いそびれたことを、客も運転手も気づかなかった。 
「わわわわわ」 
 はるかはとりあえず、最寄の公園に駆け込んだ。ゴミ箱がある。リュックサックを開けると、札束の一部が煙を発しているのが分かった。 
 捜査陣は、発火ではなく発煙の反応が著しいように、札束に細工しておいたのだ。 
 咄嗟にはるかは、発煙している札束だけを抜き取ってゴミ箱に捨てた。100分経過したときにいくらの金額を持っているかはポイントの決め手だ。持ちうる限りは持って帰らなくてはならない。 
「あれ、火事じゃない!?」 
 という声が公園のどこかから聞こえた。これだけ煙が出ていれば、目だって当然だろう。 
 すぐにこの場を離れなくては、捜査陣に見つかってしまう。 
 はるかは余った札束をつめ直し、公園を飛び出した。
 
〈なかなかの知略戦。身代金は奪われてしまいましたが、犯人グループはその身代金の一部を諦めざるをえませんでした! 今のところ、一勝一敗といったところでしょうか?〉  
 林野たちと報道陣が公園に着いたとき、すでに事態は収拾していた。もともと煙がでるだけで炎は出ない細工だったので、被害もない。消防隊員たちは、公園にいた人たちの言葉から、子供のいたずらだろうと判断したようだった。 
 捜査陣は、周囲の人間に、身代金を持っていた人物の特徴を聞きまわっている。その様子を写すカメラに、本物のテレビ局だと思った子供たちが群がっていた。 
「林野さん、共犯者は今、ハーフパンツにTシャツ、ショートカットという出で立ちのようですね」 
「そうか…」  
 それならば印象が変わって、男の子にも見える。電車から降りるところを捕まえられなくても道理か、と林野は考え、何かがひっかかって首をかしげた。 
「ん?…そういえば…」  
 最初の日霊朝臣誘拐の際。あれはどうやら真人を人目のないところにおびき出すのが目的だったようだが、あのときに、真人に同行した少年は? 
 あれから、行方を把握していない。 
「そうか…あいつが共犯者だったのか!」 
〈誰ですか? 誰が共犯者なんでしょう?〉 
「たしか…1年の、佐藤はるかとかいう。女の子じゃなくて、男だったんだ!」 
〈おーっと、共犯者の身元が割れたようです。1年生の佐藤はるか君。どうやら女装しての活躍のようです〉 
 さらに、林野は頭の中で地図を組み立てた。 
 発煙のいたずらをした少年は、タクシーから降りてきたようだった、という声もあった。たしかに移動距離と時間を考えて、それはありえる話だった。では、運転手に告げた行き先はどこだったのか…。  
 そう長く考えるまでもなかった。 
「学園に帰るつもりだったのか…」  
 たしかに、木を隠すなら森の中なのだ。 
「総員、学園に戻れ!」 
 帰路、共犯者がいないか注意しながらな、と林野はつけ加えることを忘れなかった。
 
 一方、タクシーという足を失ってしまったはるかは、また同じように車をつかまえる気にはなれず、裏通りを小走りに移動していた。 
「う…ううーん、どうしようー。大きな道は、見つかりやすいし…かといってこんなふうに小さな道をマラソンして学校に帰るのも」  
 そこに、鍵のない放置自転車が都合よく転がっていた。 
「あ、こんなところに公共の自転車が!神様、今日の糧をありがとう!遠慮なく!」 
 本当に遠慮のかけらもなく拝借してから、はるかは浅井に電話した。
 
「え…じゃあ、こっちに向かってるって、ばれたかも知れないのか?」  
 講堂の舞台袖、浅井は携帯電話に小声ながらも動揺を隠し切れない様子で応対していた。 
「姿もばれたかもしれない? うーん…」  
 少しの間考えて、浅井はこの状況で最善と思われる指示を出した。すなわち、可能であればどこかで着がえて、一般客にまぎれて校内に戻ってくるようにと。 
 電話を切ってから、彼は緊張のため息とともに、腕時計を見た。 
 あと、約60分。 


続く