大庭学園誘拐事件 〈2〉 日向夕子 「なるほど、はるか君は1年D組だったな」 弟、朝臣の隣の椅子に座り、日霊真人はため息をついた。 「そう、縦割り班で、浅井さんと一緒なんですよ、僕」 はるかはくるくるとモデルガンをもてあそび、うまく騙せたことに喜んでいる。 「おや、姉君、あまり怒っていないようですね」 弟の意外そうな言いぐさに、真人はさすがに柳眉をあげる。 「怒っていたよ、さっきまでな。私をおびき出す計画だと知って、脱力したが」 「すみません…」 携帯電話で、日霊真人誘拐の通告を終えた浅井飛太郎が、うなだれて謝るので、真人は手をふった。 「浅井君が謝ることはない。どうせこの弟がわがままを言って迷惑をかけたんだろう。お前、運転手も困ってたぞ! いきなりモデルガン持った少年が現れて、主人に『手をあげろ』言われて!」 「彼も、姉君の通っている学園の性格に、もう少し慣れる必要がありますね」 「慣れるのは、うちの学園じゃなくて、お前の性格にだろう? お前があんまり勝手なことをするから、姉の私が責任をとらなくちゃいけないんだぞ」 まさしく説教をするために、ここに来たのだ。しかし、浅井がおそるおそる声をかけてくる。 「あのー、申し訳ないんですが、ここは捜査陣に知られているので、移動したいんですが…」 「ああ、そうだったな」 人質になったからには、犯人の意向に従わなければならない。真人は立ち上がって、弟を見下ろした。 「…お前はこのあと、どうするんだ?」 「大庭学園に戻って、事件の展開を見守っています。浅井さん、佐藤さん、がんばってくださいね!」 「はいがんばります!」 楽しげにガッツポーズをとるはるかに、ふたたび真人はため息をつく。 本当は、もっと弟に言いたいことはあった。 学園祭の目玉の催しである「誘拐」に、部外者である朝臣が関わったことで、どれほど他の人間がとまどったか。C組の捜査官である林野は、これを正式な「誘拐」として扱うか迷い、真人に任せたのだ。細も頭痛を起こしている。 しかも、部屋番号を犯人に隠れて教えるという、人質にあるまじき暴挙。一度捕まって人質となった者は、犯人の不利になるようなことはしてはならない。たしかに朝臣の誘拐は正規のルールに則ったものではないが、あまりにやりたい放題だ。 しかし今は説教をしている暇はない。 「浅井君、まずはどこに向かうんだ?」 「とりあえずその辺のカラオケにでも部屋をとって。このスーツケースには発信機がついてますよね?」 「ああ、しかも金は入ってない」 正確には、紙幣の代用としての新聞紙だが、それもなく、ただスーツケースは空である。 「このままここに置いていきます」 朝臣が「大庭まで僕が持っていきましょうか」というのは、真人が止めた。これ以上、弟に捜査陣を攪乱させてはならない。 四人はホテルを後にした。 朝臣を除いた、誘拐犯と被害者の三人は、すぐ近くのカラオケ店に入った。先ほど浅井が携帯電話で電話したのは、大庭学園の放送局である。今度はメールで身代金要求などを、生徒会に送る。 学園祭の出し物というよりは競技種目である「誘拐」は、特に生徒たちから人気が高い。他には舞台を使った推理劇や、クラス・部活ごとの展示や発表があるが、それらには投票などの方法で点数がふされる。 A〜D組の四つのクラスで1年から6年を縦割りにし、4つの班に分け、最終的な合計点数を競う。得点だけでなく減点もあり、学園祭準備期間の後片付けの出来などから、減点対象になる。より減点を少なく、高得点を得ることが肝要である。 「誘拐」の得点ルールは細かい。班にはかならず犯人グループ(ひとつの班ごとに、主犯と共犯のふたりだけで構成される)と捜査グループがあり、どの班の捜査陣がどの犯人グループを追うかは、事前にくじびきで決められている。D組犯人グループを追うのは、C組捜査グループである。 犯人側が身代金をうけとってから100分の間を逃げ切れば、犯人グループの勝ち。身代金うけわたし時から100分の間に犯人を捕まえれば、捜査側の勝ちだ。勝ったほうに点数が加算され、負けたほうにはその得点の半分の減点がある。 得点の算出方法がまた凝っている。身代金の要求額によって違うのだ。身代金は1000万、2000万、3000万の三種類から選べるが、それぞれ成功したときの得点は100点、200点、300点である。同時に負けた側の減点は50点、100点、150点になるので、高額な身代金はハイリスク・ハイリターンである。 くわえて、学園内の有名人、それこそ生徒会役員などを誘拐できたときには、ボーナス得点としてリストに掲載された得点がプラスされる。これは誘拐犯側が成功したときのみに通用し、負けた側の減点にはならない。たしか、生徒会長は最高得点で、50点だったはずだ。 「まんまとしてやられた…」 人質としての価値が高いのだから、本当はもっと注意ぶかく行動するべきだったのだ。しかし部外者の弟が闖入してきたことで、林野も真人も少々冷静な判断を欠いていたようだ。 「すみません、卑怯な手で」 メールをうちながら浅井が謝るので、真人は首をふった。どうせ発案も何もかもが朝臣のしわざだ。こちらの学園に妙な支配力をおよぼさないで、大人しく小学校に通っていろと言っても、「友だちはもう100人いるので、行く理由がないんです」ときたものだ。ならばせめてどこかの大学に行ってくれれば楽なのだが。 「アシタ将軍が怖いですね」 たしかに怖かろう。浅井は実は、「将軍」などとあだ名される林野と仲のいい先輩後輩どうしで、「将軍の懐刀」と呼ばれていた。それだけに、あの豪快な女傑に追われるのがどういうことか、分かっているのだろう。 「まあ、朝臣がからんでいた点は、後で私が謝っておこう。これからがフェアな勝負だな」 言いながら、真人は視界の端にいるはるかが気になって仕方がなくなっていた。 「ところで、はるか君、その格好は…」 「あ、これ似合うでしょう?」 はるかは、おとなしい色のワンピースを着ていた。たしかに小柄なはるかによく似合い、とてもかわいらしい。靴も同色でそろえ、帽子やバッグも用意されていた。そして、ヅラ。 「ほら!このヅラをかぶると、どう見ても女の子!」 セミロングのかつらをかぶって帽子でおさえ、はるかはくるりと回ってみせた。とても13歳の男児には見えない。 「もしかして、ウェディングドレスも本気だったのか?」 「当然ですよー!日霊さんは白のタキシード着てくださいね!ああ、似合うだろうなあ…」 うっとりしている。たしかに、自分にはドレスよりタキシードが似合うだろうと思ってしまうのが、真人は悲しかった。こうも見事に女装が似合う男子を見ていると、大庭学園の制服は男女ともにパンツで、本当によかった。 妙なことにしみじみしていると、浅井の携帯が光った。 「返事が来ました。身代金受け渡しの要領は、計画通り。目標は350点獲得です」 なぜ私が…と、寿細は心中で毒づいた。 「大丈夫か、寿? 保健室に行っていたそうじゃないか。あんたは背丈のわりに、弱いからな…もっとも、それだから浅井も、あんたを身代金の受け渡し人に指名したんだろうが」 か弱さの欠片もない女丈夫、林野は、猛々しさの欠片もない美少年、細を心配する口調だ。身長はほぼ同じだけあるのに、実に対照的な組みあわせである。 「いいえ、人質の日霊さんのためですから…」 いつものように、細ははかなく微笑み、おだやかな口調で答えた。彼を女性と間違える人は多いが、その仕草のひとつひとつは、女らしいというよりは、幻想的である。 しかし内心では、日霊姉弟に対する呪詛がつづいていた。 (なんで私が、日霊なんかのために身代金を持っていかなくちゃいけないんだ…? どうせ、あの小悪魔のいやがらせに違いない。くそ、日霊朝臣め、どうせなら本当に誘拐されて殺されてくれれば世のため人のためだったのに!) 細は小さい頃から一緒に育った真人を、いつからかライバル視するようになっていたが、特に大庭学園のファンクラブ会員が、細のほうより真人のほうのが多いと知ってからは(ファンクラブにはふたりとも思い入れはないので、詳しい数は知らない)その感情は増大していた。 よって、学園祭の催しといえど、誘拐された真人のために働きをするなど、周りの目を意識してすら、なかなか辛いことだった。 「…行かせて下さい。私にできることでしたら、何でもします」 血を吐く思いで、細は協力を申し出た。 〈さあ面白くなってまいりました、祭りの初日から、早くもひとつめの誘拐事件が起こり、しかも拉致されたのは生徒会長、日霊真人さんです!〉 教室のひとつによる、誘拐実況の特設会場には、かなりの人数が集まっていた。先ほど全校放送で日霊真人誘拐の告知があったので、情報を求めて暇な生徒たちがやってきたのだ。放送局のリポーターによって、会場に設置されたスピーカーとテレビから、取材の情景が映される。今はまだ、リポーターの東海林雅は、校内の捜査陣のところにいた。 学園祭の期間は、放送局は大忙しである。今も校内のあちこちで諸業務にたずさわっていて、とても人手が足りないので、局外からの応援要員も使っている。 中でもアクティブなのが、この誘拐種目のリポートだった。 〈犯人、2年D組浅井飛太郎は、身代金3000万を要求してきました。生徒会室では、現在身代金の用意がなされているようです。捜査官は4年C組、林野阿私陀運動部長!さあ注目の対決、「アシタ将軍」vs「懐刀」です! 犯人グループ、350点獲得なるか!?それとも捜査グループ、300点獲得なるか!〉 その放送を生徒会室で聞いていた宇都宮ぐみと東海林冴は、金にみたてた新聞紙をつめながら、顔を見あわせた。 「さすが会長、すごい盛り上がり…」 「ていうか、雅の盛り上げようが、ちょっと恥ずかしいです…」 〈おっと今、新しい情報が入りました。生徒会副会長、寿細さんが、身代金の引渡し役を引き受けてくれたようです。「大和撫子」寿さんは、会長の日霊さんとはお隣同士、幼なじみの間柄!実はそれ以上なのでは、という噂も絶えませんが、そちらの追及はまた今度にしておきましょう!〉 細は、思わず手近な机を殴りそうになった。 〈あ、捜査陣が移動するようすです!身代金の引渡し場所は、公開されていません。皆さん、両グループの妨害にならないよう、ご協力お願いします。私は捜査陣に随行し、随時皆さんに事件の展開をお知らせしようと思います! 各クラスの展示や、体育館ステージの催しなどもお楽しみください。ステージでは現在、推理劇「21世紀・スフィンクスの問い」を上演中です。つづいてプログラムは、偽ドキュメンタリー「職員室の影・公金横領疑惑を追う!」、推理劇「ロミオとジュリエット殺人事件」となっております〉 ここで実況中継は一時中断された。特設会場からは、何人かが満足そうに出て行く。外来の一般客も、一風変わった学園祭を楽しんでいるようだ。 写真部では記念撮影の注文をうけつけている。貸衣装つきで、シャーロック・ホームズやミス・マープル、明智小五郎などの特徴的な衣装、小道具が用意されていた。また華道部では菊人形による犬神家事件の像を作ったり、化学部では「身近な毒の解毒法」という展示を行っている。クラス展示でも、「プロファイリング占い」や「火サスの歴史」といったものが軒を連ねている。 そんな騒ぎの中、できるだけこっそりと、細は指定された駅に身代金を持ってでかけた。 捜査官の林野は、手勢の半数を校内に残したまま、残りをひきつれて細を尾行、あるいはその駅や周辺に配置する。 駅構内に入ったとたん、「誘拐」用に生徒会専用として支給された携帯電話(誘拐されうる人間の所属する団体には、事前に携帯電話が支給され、その番号は各縦割り班に知らされている)にメールが入った。 『乗車券がロッカーの中にある。鍵はロッカーの上』 それとロッカーのナンバーだけが書いてある。細が、メールの内容を林野たちに転送することを恐れて、詳しいことは書いていないのだろう。当然それは転送し、指定のロッカーにむかった。 それを見届けたのは、ファーストフード店のガラス張りの店内、シェークをすすっていた女装姿のはるかである。観葉植物に隠れ、細がロッカーを開けたのを確認してから、立ち上がり、改札をぬけるため店を出た。 細の本性を知らないはるかは、少々胸を痛ませた。 (学祭の遊びとはいえ、日霊さんが誘拐されて、寿さん、辛いかなぁ…。あんなにたおやかな人に心配かけて、ごめんなさい〜) 車内は空いていた。あらかじめ決められた号車に乗り、はるかはひとつの席にハンカチを置く。小さなものだから、席の近くまで来ないと見つけられないが、ここは席をとってあると示すには充分な品だ。 そして、自分はその前の席に座る。 細は、メールの指示通りにロッカーの上から鍵を見つけ、中に入っているものを取り出した。 「乗車券と…メモ?」 メモには、メールでは書けなかったことがあった。曰く、これから発車する電車に乗り、ある号車の、ハンカチの置いてある席に座ること。あわてて券をとって、電光掲示板を見た。まだ発車までには時間があるが、捜査陣のことを考えると、早く動くべきだ。 (とはいえ、私が奴らに義理だてする理由もないな) メモはあえてロッカーの中に残さず、細は改札をくぐった。 それを見た林野は、慌てて切符を買いに走らせる。林野を含む三人が、ドアの閉まる直前に車両に乗り込むことになった。 林野は内心で舌打ちした。一応は変装しているとはいえ、目立つのは本意でない。駆け込み乗車は失敗だった。 犯人がどこで見ているかも分からないから、細との接近も避けて、遠くから尾行しなくてはならない。三人は、適当にばらけて、細の乗る車両をはさむ連結器からようすをうかがうことにした。 一方、細は指定どおりの席にすわり、そこにあるハンカチにまたメモがはさまれているのを発見した。 続く
|