大庭学園誘拐事件 〈1〉 日向夕子 日霊真人(ひるめ・まひと):大庭学園生徒会会長。 寿細(ことぶき・ささ):同副会長。あだなは「大和撫子」 宇都宮ぐみ(うつのみや・ぐみ):同書記長。生真面目。 日霊朝臣(ひるめ・あそみ):真人の弟。10歳。 林野阿私陀(はやしの・あした):事件の捜査指揮官。 浅井飛太郎(あさい・ひたろう):大庭学園2年。 佐藤はるか(さとう・はるか):真人を慕う1年生。小柄。 時計の針が九時をさして、校舎内に残っている生徒は帰宅するように、と放送が入った。 この時刻にあわせて下校準備をしていた生徒会の面々が、鞄を持って立ち上がる。生徒会長の日霊真人も、もう一度机の上の書類等を確認してから、役員たちに声をかけた。 「じゃあ皆、ご苦労様。あとは明日からの学園祭を楽しもう。アクシデント対策委員もよろしく」 学園祭の運営をとりしきるのは生徒会だが、とくに開催中の苦情などに対処するのは、副会長ひきいるアクシデント対策委員である。他の役員は、一応今日までの事務作業で仕事は一段落つくのだが、アクシデント対策委員は明日からが本番だった。 真人は、急いで机を片づけている副会長に声をかけた。 「細、帰れるか?」 「はい。ちょっと待ってもらえますか?」 長身痩躯、長い黒髪の幼なじみは、いつものように儚げに微笑んで頷く。では細が身支度をするのを待って、一緒に帰ることにしよう。真人と細の家は隣同士で、毎日顔をあわせるのだから、ことさら一緒に帰宅したいわけでもないが、今日は一言いっておきたいことがあった。 「会長、副会長、お疲れ様でした」 「お先に失礼します」 役員たちが生徒会室を出て行くのに手をふって答えていると、その横から水色の薄い冊子がさしだされる。 「どうぞ、会長のぶんのパンフレットです」 「書記長。ありがとう」 そういえばまだもらっていなかった。内容はだいたい知っているのだが。 「副会長もまだじゃないですか? これ、どうぞ」 帰り支度を終えたらしい細に、書記長の宇都宮はもう一冊をてわたす。細は笑顔で「ありがとうございます」と丁寧に礼を言った。その仕草といい口調といい、まったく校内で「大和撫子」と称されるだけはあるのだが、細のそんな様子が、真人はどうにも好きになれなかった。 「書記長もお疲れ様。今日はゆっくり休んでくれ」 宇都宮も挨拶をして出て行ったが、生真面目な彼は、このあと校舎に居残っている生徒がいないかを見てまわるのではないか、と真人はなんとなく思った。 真人と細が生徒会室に施錠して校舎を出、飾り付けられた校門をぬけて駅まで歩く途中。副会長をとりあえず労ってから、真人は嫌々ながら口にする。 「細…。学園祭、弟が来たがってたよ」 「何!?」 低く叫んでから、周りにはまだ下校途中の生徒がいることに気づいたのだろう、細は一瞬般若のようになった顔をもとの大和撫子に戻した。まだ少々ひきつっているようだが、弟の話が出たわりには頑張っているほうだろう。 「あの悪魔が?」 周囲に聞き取られないような小声で、細が吐きすてる。真人はそっとため息をついた。たしかに細と弟の朝臣は天敵同士で、それは多分に朝臣が細でからかうからなのだが、それにしても細を「大和撫子」と呼んで慕っている生徒たちが、この有り様を見たらどう思うか。 「哀愁の佳人をめざすとかいう、阿呆な人生やめれば、朝臣もお前をかまわなくなると思うんだが」 幼なじみの並々ならぬ猫かぶりには慣れてきたのだが、やはりたまにはどうにかしてほしいと思ってしまう。しかし細は聞いていないようだ。 「馬鹿が、ごてごて飾られ暗幕を張られた校内にやってくるなんて、事故を起こしてくださいと言っているようなもんだ。あの餓鬼に言っておけ、自分の棺を用意してこいってな」 「…言っておくよ」 朝臣に気をとられるあまりに、細が業務に失敗しなければいいのだが、と真人は少し心配した。 翌朝、細からの伝言を聞いた朝臣は、大いに喜んでやる気を倍加させた。 「うれしいなぁ、細さん、そんなに僕が行くこと期待してくれてるんですか! 僕、今日から三日間、日参しますから! 行ってらっしゃい、一般公開の時間にまたお会いしましょう!」 とても細に聞かせられたものではない。今日は正午から一般公開であるが、できれば10歳の朝臣には素直に小学校に行ってほしいものだ。しかし言っても無理だろう。 ものすごく不安そうな真人の背中をにこにこして見送ってから、朝臣は正午が近づくのを待って、車を出させた。 「大庭学園までお願いします」 日霊家おかかえの運転手は、小さな主のために安全運転で学園へむかった。そのため、ひと気のない路地で、突然誰かが前に飛び出してきたときも、事故を起こすことなく止まることができた。 「大丈夫ですか?」 窓を開けて尋ねる。大丈夫かもなにも、飛び出してきた少年に車体は接触していないのだから、叱りつけて退かせればいいのだが、朝臣の手前、そうはできない。 少年は驚いたようすもなく、しっかりと自分の足で立っていた。それどころか、不思議なものを車のほうにつきつけている。 黒い銃身だった。 「手をあげてください」 花火をうちあげる派手な開会式のあと、一般客の入りを確認して、学園祭運営本部に戻った真人は、書記長の困惑した顔にむかえられた。 「会長、大変なことに…」 「何だ?」 アクシデント対策委員では間に合わないことだろうか、と促すと、宇都宮はとんでもないことを言った。 「会長の弟さんが誘拐されました」 「…は?」 「犯人は、2年D組、浅井飛太郎。身代金の受け渡しに、あんたを指名してきてるよ、日霊」 あとを続けたのは、いつのまにいたのだろう、林野阿私陀だった。長身と赤毛の目立つ容貌は、真人も日頃からよく知っているのだが、今日は髪をうしろで束ね、珍しくジャケットもしっかり着ている。 「林野。どうしてここに?」 「私が捜査を担当する」 なるほど、と真人は頷いた。いつになくかっちりした出で立ちは、事件解決にむける気概のあらわれか。ただし、ネクタイをしめていないのは平素と変わらず。 「私が身代金の運び役だって?」 「そうだ。会長職で忙しいだろうが、大丈夫かな?」 「ああ、それは平気だ。しかし…朝臣が誘拐だって?なぜそんな…」 はじめは当惑したが、考えているうちに、少しずつ怒りがわいてきた。 「ああ。実際、私も驚いたよ。まさか、あんたの弟が誘拐されるなんてね」 「犯人は、D組の浅井? そうか…弟に対する責任だ、もちろん私が行かせてもらう」 引渡しの場所は、いやそもそもどこに連絡がきたのだ、と宇都宮に尋ねると、彼は脅迫状らしい封筒をさしだした。 「先ほど、会長の家の運転手が、これを生徒会室に届けに来てくれました」 うけとったのは宇都宮らしい。そのときの運転手のようすを話してくれた。封筒の中を出してみると、なるほど浅井飛太郎から、日霊朝臣を誘拐したこと、某ホテルに日霊真人が一千万を持ってくること、といった内容が印字されていた。 「指定時刻はあと30分後じゃないか」 たしかに指定のホテルは街中で、今から移動してもすぐに着ける場所だが。 「身代金の用意なら、今すぐできるよ」 林野が言ったところで、生徒会室の扉が勢いよく開けられた。 「日霊さん、弟さんが誘拐されたって本当ですか!?」 とびつくようにして入ってきたのは、1年生の佐藤はるかだった。日霊を慕って、日頃からよく話しかけてくる後輩だった。 「はるか君。もう噂になってるのか?」 「いえ、僕、保健室に行く寿さんを見かけて、それで聞いたんですが…」 「細が保健室に? そういえばいないな」 「副会長は、その誘拐の話を聞いて、頭が痛いと言って、頭痛薬をもらいに…」 書記長がそっと説明する。それは頭が痛くもなるだろう。真人も少し細に同情した。しかしはやめに復活してもらいたいものだ。 「はるか君、その話は内密にしておいてくれ。私はこれから、犯人の指定する場所に、身代金を持っていくから」 「ええ!?そんな、日霊さんひとりでですか? 僕も行きます!」 憤然としてはるかが訴えた。林野がその横で困った顔をしている。 「だって日霊さんに何かあったらと思うと! 僕の将来の夢は、日霊さんの横でウェディングドレスを着ることなんですよ!」 「ウェディングドレス? それは、私が着ちゃいけないのか?」 思わず呟いたが、今はそういうことを話し合う時間ではないだろう。真人は林野にむきなおってきっぱりと言った。 「これから、身代金の引渡しに行く。ただし、一千万は用意しなくていい。空のスーツケースだけ持っていく。捜査官は誰も来ないでくれ」 「何だって?」 他の三人が目をむいた。何か反論されそうになるのを、真人は片手をあげて制した。 「好きにさせてくれ。弟のことで、私は少々怒っているんだ。それから、はるか君、君の提案どおり、もし時間があればついてきてもらえるかな」 「え、いいんですか?」 ああ、と真人は頷いた。「落ちついているつもりだが、自分が何をするか分からないから、見張っていてくれ」と。 林野はため息をついて、用意していたらしいスーツケースをどこからか持ってきて、真人に手渡した。 「あんたに任せよう。それなりの用意はしていってくれよ」 身代金の受け渡し場所になるホテルの一室で、日霊朝臣は椅子にゆったりと腰かけ、読書を楽しんでいた。 「朝臣君、不自由はないですか?」 誘拐犯の浅井飛太郎が携帯を確認してから声をかける。お茶を入れようとするが、朝臣はそれをやんわりと押しとどめた。 「いいえ、快適に過ごしていますから、お気遣いなく。あ、でもこのパンをもらっていいですか? 外にいる鳩にあげたいので」 「ええ、どうぞ」 許可をもらうと、朝臣は窓を開けて、下方にある地面の鳩たちへと、ちぎったパンを投げた。ついでにそのとき、テーブルの上にあったメモ帳も持って窓際に来たのだが、浅井は気づかなかったようだ。 学園から乗ってきた地下鉄を降りて、指定の場所へ向かいながら、真人は浅井の犯行について考えていた。 これは浅井の単独犯なのだろうか。学園を出てくるときには時間がなくて林野と話せなかったが、共犯者はいるのだろうか? おそらく、共犯者はいるはずだ…と真人は考える。脅迫状からはそんな気配はなかったが、真人は浅井を多少は知っていた。彼は単独で何もかもをするよりは、共犯を使って効率よく事を進めることができるはずだ。 しかし、もしいるのだとしたら、その共犯者はいったい誰で、今は何をしているのだろう? そう思っているうちに、ホテルについた。入り口前には鳩がむらがっている。パンか何かをついばんでいるようだ。 「じゃあ、入ろうか。はるか君」 「はい。でも、どこに行けばいいか分かるんですか?」 いつも明るいはるかだったが、今日は緊張しているのか、さすがに表情がかたい。 「まずは順当に、フロントで浅井飛太郎の部屋を尋ねてみるかな」 言ったところで、真人は足元に何かが落ちてきたのに気づいた。小さな結び文だった。 いぶかしんで拾い上げると、中に書いてあるのは、見慣れた筆跡である。 「……」 どうしたのだろう、と不思議そうにするはるかの横で、真人は眉間に深いしわをきざんだ。 『助けて下さい。602号室。 ――弟』 「…行こうか。部屋番号は分かった」 思いがけなく早い来客に、浅井は少々驚いた。真人がフロントで彼の部屋番号を聞いたときには、真人に部屋のキーが手渡されるとともに、この部屋に電話がかかってくることになっていたのだが、フロントからの連絡は来ないままだった。 鍵を持っていないらしい客人を迎えるため、浅井はドアをあけた。 「会長…」 そこに立っていたのは、もちろん彼が呼びつけた生徒会長その人だった。 真人は、見える範囲で部屋をざっと見わたし、そこに自分の弟がゆうゆうとしているのを見つけて、表情を険しくする。 「朝臣…」 何か言いかけたが、その前に、真人は自分の背中に何かがあてられたのを感じた。 「手をあげてください、日霊さん?」 にっこりと笑った佐藤はるかの声だ。セリフからいって、背中にあてられているのは、銃なのだろう。 「…そういうことか」 スーツケースを床におき、ゆっくりと両手をあげながら、真人は呟いた。 「君が共犯だったんだな? はるか君」 「そーゆーことです」 浅井が、真人とはるかに、部屋に入るよう指示した。 そして、602号室のドアが閉められる。 数分後、大庭学園の放送局室に、生徒会長日霊真人が誘拐されたとの情報が入った。 続く
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