帰郷 〈3〉        日向夕子

 

 けして刃物を突きつけられているわけではなかったが、それに類する冷たさが、背後の気配にはあった。

 身動きすることを封じられ、アルハは生唾を飲み込みながらも、恐怖より負けん気のほうが面に出てくるのを感じていた。

「お前は誰だ?」

 ふたたび、相手が尋ねる。

「…名はアルハだ。アルハ・ダ・シャハン」

 自分でこの家名を名のるのは、これがはじめてになった。アルハをおさえつけている相手が、この名を聞いてどんな反応を示すかと思ったのだ。

「アルハ…?」

 しかし、その反応は予想外なほうにむかった。

「アルハ・ダ・シャハンだって? これは…悪いことをした」

 ふいに、押さえつけていた力がなくなり、手首もはなされる。今までアルハを拘束していたその手が、今度は立たせようとしてくれた。

 そのことと同じく、多少大きくなった声が、ずいぶんと若いものであることに気づき、アルハはいぶかしんだ。

「君とこんなところで会うとは思わなかったのでね」

 立ち上がって、目の前に現れた顔は、まだ少年のものだった。長い黒髪に、強い意志をもった黒の瞳。表情は驚きと喜びにあふれている。

「君は…?」

 敵ではないようだが、何者だ?とアルハが首をかしげると、相手は屈託なくにこりと笑った。

「はじめまして、『漆黒のレハナ』だ」

「えっ…族長!?」

 まさか。この少年は、あきらかにアルハと同じ年頃か、あるいは年下である。そんなに若い族長だとは想像だにしていなかった。

「何歳…なんですか」

「昨年、年成りの儀式を終えたばかりだ」

 では、14か15歳だ。そこでアルハは、はたと気づいた。なぜセリツが『漆黒のレハナ』に会ったことがなかったか。叔父がデル・レハナの集落を出奔したときに、まだこの族長は生まれていなかったのだ。

「君は、なぜここに?」

「あ…族長を探して。セリツとエ・ヒオス、それから…父、が、地下壕の中にいるんですが…。むこうに護衛の人が倒れていました」

 状況を思い出し、周囲をさぐると、どうやらアルハがひきこまれたのは、きちんとした通路ではなく、通路のわきにできたくぼみらしかった。入り口がせまくて見つかりにくいので、レハナはここに隠れていたらしい。

 しかし、見つかってしまうと逃げにくい。

「あ、まだ生きていました。他に男がふたり」

 暗くなった族長の表情に、あわててアルハがつけたす。その気づかいに、レハナが少し微笑んだ。

「ふたりか。やはり、もうひとり残っているようだな」

「あと、ひとり…。でも、こっちには三人います。もうすぐ近くに来るでしょう」

「そうだな…」

 アルハの予想は正しかった。ややあって、何者かが近づいてくる気配がした。押し殺してはいるが、急いているのが伝わってくる。

 アルハとレハナは、角灯を背後に隠して、近づいてくるのが敵か味方か見極められるまで待った。いざというときには族長をかばわなければ、と思ったのだが、むしろレハナのほうがアルハを後ろに押しやった。

 接近してきたのはひとり。息をひそめて待つふたりのところを、その人物は気づかずに通りすぎようとした。

「エ・ヒオス…!」

 アルハが小さく叫ぶ。呼ばれて、エ・ヒオスはぎくりと止まった。

 きょろきょろと首をめぐらせて、自分を呼んだ者がどこにいるか探しあて、エ・ヒオスは驚きに目をみはった。

「レハナ様、こんなところに! アルハも。動くなと言われたろうに」

 安堵するエ・ヒオスに、アルハもほっと息をついたが、レハナはまだ硬い表情を崩さなかった。

「エ・ヒオス、君だけか。他のふたりは?」

 せまいくぼみから出ながら、族長が尋ねる。

「分かれて探していました。とにかく今はレハナ様を安全なところへ…。最寄の出口はどこになるでしょう?」

 それに答えてレハナが何かを言う直前、通路の奥から、聞いたことのない男の声が飛んできた。

「レハナを捕えろ、カハルの息子!」

「…!」

 ビク、と身体をこわばらせ、族長に続いてくぼみから出ようとしていたアルハは、そのタイミングを逃した。

 カハル、と家名で呼ばれたエ・ヒオスも、族長の隣で弾かれたように顔をあげる。

 さきほど三人の死傷者を見つけた方向とは逆のほうに、抜き身の剣を持った男が、興奮も著しいようすで立っていた。

「捕まえろ、お前の親の仇だぞ!」

 ふたたび、刺客らしい男が叫んだ。その声に、はっとしたようにエ・ヒオスがレハナの両手をつかむ。そうして、族長の自由をうばったまま一歩下がった。

「何を…!」

 アルハはもちろん、すぐに飛び出そうとした。しかし、エ・ヒオスにひきずられてアルハの視界から消える一瞬前に、レハナがわずかに首をふったような気がした。

(止まってろっていうのか?)

 せめてアルハの安全を守るためか。冷静になるために、アルハはひとまずその指示に従った。そうする間に、エ・ヒオスとレハナは、くぼみの中からはまったく見えないほどに後じさった。

 剣をもった相手と、対峙して。

「そうだ、捕まえていろ。お前の父親だって反帝国派だった。先のレハナに殺される前はな」

「………」

 勝ち誇ったような刺客の言葉と、何も答えずにいるエ・ヒオスに、アルハは唇をかんだ。エ・ヒオスの父親は、前族長に殺された? エ・ヒオスはそれを恨んで、あるいは族長暗殺まで目論んでいたというのか。

「見ない顔だな。デル・レハナか?」

 族長の声は冷静だった。

 それを虚勢ととったか、刺客の男は余裕をもって近づいてくる。族長へ、すなわちアルハの隠れ場所へ。

「俺はデル・レハナの出ではないが、カハルのようにあんたの膝元にも…」

 男がそこまで言ったとき、何かが彼の横から襲いかかった。くぼみから飛び出したアルハだ。

「うわっ!?」

 不意をつかれて転倒した男の、まずは剣をもった利き手を踏みつける。

 ついでに、先ほど族長にやられたように、うつぶせに倒して残った手もねじりあげる。

「いいぞ」

 誰かが無我夢中のアルハの後ろからやってきて、倒れた男の手を帯で縛りあげた。

「エ・ヒオス!」

「カハル!? 裏切る気か!」

 ふたりの驚きの声に、エ・ヒオスは不敵に笑ってみせる。

「誰も裏切ってなどいない。俺はもとから『漆黒のレハナ』の臣下だ。父親が反帝国派だったから何だっていうんだ?」

「……!」

 エ・ヒオスは、手際よく刺客の帯まで取り上げて、その口も封じた。剣と鞘はもちろん没収される。

遠くから、複数の足音が近づいてくる。この騒ぎを聞きつけたクルツとセリツだろう。そこにいたって、ようやくアルハは大きく息をついた。

「なんだ…俺、てっきり」

「本気で族長を殺そうとしてると思った? あそこで俺がこの男にむかっていったら、形勢不利とみて逃げたかもしれないだろう。確実に捕まえたくて、誘ったんだ」

「そして君は、まさに期待どおりの働きをしてくれたわけだ」

 通路の奥に見えた灯りに、こちらの角灯をふって応えながら、レハナが笑う。すっかり騙された、とアルハは憮然とした。

「レハナ様! ご無事ですか」

 クルツとセリツのふたりが駆けつけて状況を確認し、護衛と一緒に倒れていたふたりの男もやはり刺客であったことが分かった。生きのこったほうも縛り上げ、とりあえず死体を残して三人を運び上げることにした。

 エ・ヒオスが意識のある男を、クルツがもうひとりの刺客を、そしてセリツが護衛の男を運ぶことになった。アルハは若いのでいいと言われたが、あきらかに日頃力仕事をしていないセリツのほうが、この仕事には不適格に思われた。

「セリツ、大丈夫? 変わろうか?」

 地下壕を出るまで、前を行く叔父に、何度かアルハはそう聞いたが、セリツは「いや」「いい」などのごく短い返事をよこすのみだ。

「でも、最近セリツ、筆より重いもの持ったことなかっただろ」

 言われて返事につまったセリツに、列の最前を行くクルツが、「惰弱な…」と呟くのが聞こえて、アルハは笑いをかみ殺した。

 アルハの背後には『漆黒のレハナ』。その後ろに、エ・ヒオスが続いていた。低い声で、話しているのが聞こえる。

「…レハナ様、俺はむしろ、先代の族長には感謝しています」

「父親を殺されたことを?」

「いいえ、逆賊の家長を出したのにも関わらず、カハルを断絶せず、叔父に襲名を許してくださったことを、です」

「そうか…」

「俺は、他部族にそそのかされた父とは違います」

「ああ」

 

 暗い地下壕を出る。入ったときよりも空に晴れ間が広がり、外界はより眩しく見えた。

 

「さて、と」

 怪我人などの処置は近侍たちに任せ、アルハたちは族長の案内する部屋に直行した。リツィも呼び戻される。

 通されたのは、ほとんど卓と椅子しかない、殺風景な部屋だった。こうして話し合いがもたれるときに使われるのだろう。族長は定位置らしい奥の席につく。

「レハナ様。少しお休みにならなくて大丈夫ですか?」

 リツィが心配するのを、レハナは「そんなに暇はない」と一蹴した。やむなく、全員がすすめられた椅子に落ちついた。

 長方形の卓を囲み、最奥の席に族長『漆黒のレハナ』。

 その右にはクルツ、セリツが座り、左にはリツィとアルハが。そして末席、レハナの真向かいにエ・ヒオスが座した。

 陽の下で見ると、ますますレハナは少年に見えた。ただし、その年頃の普通の少年たちとは風格が違うのも、より明らかだった。

「とりあえずは、ようこそアルハ。君の帰郷を心からお祝いしよう」

 何と言っていいか分からず、アルハは軽く頭を下げた。

「それから、セリツ・ダ・シャハンも。急に呼びつけて悪かったね。あちらの縁故には、うまく断ってこられたかな?」

「あ、はい…」

 しどもどと答えるセリツだったが、次の族長の言葉に、目をみはった。

「ふたりとも、私のせいで長いこと故郷を離れさせて、悪かった」

「そんな…!」

「レハナ様のせいではありません」

 クルツが固く断じる。

 アルハには、目の前で何の話がされているのか分からなかった。昨日はクルツが謝って、今度は族長だ。そっと隣のリツィをうかがうと、こちらも怪訝そうな顔をしている。

 その胸中を察したように、『漆黒のレハナ』はアルハを見すえた。

「クルツ殿に聞いたが、君はなぜ自分が故郷を離れなければならなかったのか、自分がどこの生まれであるか、知らずに育ったらしいね。私も、想像しただけで、誰かの口からその事情を聞いたわけではない。クルツ・ダ・シャハン、説明してくれるかな」

「はい」

 いよいよ、待ちに待った昔話が語られるらしい。

 アルハは無意識に姿勢を正した。クルツは無表情に…おそらくはあえて表情を隠して、話しはじめた。セリツが生まれたばかりのアルハを連れて、デル・レハナを出奔した本当の理由を。

15年前、末子は1歳になるやならずでした―と。

 

 当時の族長は、まだ妻帯していなかった。

 デル・レハナでは、あらゆる家で長男がその跡を継ぐことになっているので、まだ族長には跡目がいなかったことになる。

「そうした状況が長くつづいた場合、血筋としてレハナに近い、ダ・シャハンの次男を養子に、という話が出るだろうことは、考えられました」

「え?」

 アルハは思わず族長を見た。つまり、自分があの少年の代わりに、その座にすわっていたかもしれないのだ。

「それはそれで仕方あるまいと、次男が産まれた当初は思っていました。しかし、先の族長がある日、事故で重傷を負われた」

「それは…本当に事故だったんですか?」

 リツィが、気になっていたことを尋ねた。今日も『漆黒のレハナ』が襲われたばかりだ、疑い深くもなる。しかし、その疑惑に答えたのは、族長だった。

「正真正銘、単なる事故だよ。母から聞いたところによれば、鹿を捕まえようとして崖下に落ちたとか。あまり口外したくないのももっともだ」

「はあ、そうなんですか…」

 では、セリツが族長暗殺をもくろんで、人質のアルハを連れて逃走した、という筋書きはなくなったわけだ。姉弟はそろって肩の力をぬいた。

「族長が健康を損なったことで、族長に反意があった者は色めきたった。いや、正確に言うなら、デル・レハナをけむたく思う他の部族が、でしょう。奴らがデル・レハナの人間にも、あらぬことを耳うちした」

 エ・ヒオスがわずかに目をふせる。昔の話だが、彼の父親もそそのかされたひとりだった。その汚名は、誰よりもカハルの一族の心から、雪がれることはない。

「一度は命も危ぶまれたお怪我で、デル・レハナは揺れました」

他部族から、あるいは身内からさえ暗殺者が送られ、南方の部族との境では小競り合いが続いた。武力にうったえなくとも、帝国との友好関係など信じるにたらず、断ちきるべきだという声が大きくなった。

「そんな折、妹のルリエが打ちあけたのです、族長のお子を身ごもっていることを」

「え!?」

 ふたたび、アルハは声をあげずにはいられなかった。

 その驚きように、ああ、と納得して族長がまた補足してくれる。

「私の母のルリエは、クルツ殿の妹だったんだ。だから私と君は、いとこ同士になる」

「は、はあ…」

 つくづく、知らないことが多すぎる。

 クルツは平然として続けた。

「平時であれば、それは喜ばしいことでした。すぐに婚礼の儀をあげて、次期族長の誕生は祝福されたでしょう」

 しかし、そのとき族長は床にふし、内外の反族長勢力は、その力を殺ごうとはやっていた。彼らにとって、後継ぎなどは最悪の障害物であり、無力な胎児は格好の的でもあった。

 まず、族長に加えて、ルリエの身辺の安全をはからなければならなかった。彼女の妊娠は、それ以前よりもことさら隠されることになった。

 そして、クルツは気づいた。生まれた子が、男児であったなら―。

「次男が、後継ぎを脅かす反対勢力として、かつぎあげられる危険性がある、と…」

 それは、族長に子どもがないので養子に、というのとは、まったく話が違ってくる。クルツ自身は族長への忠誠を揺るがす気は毛頭なかったが、反族長派が、族長の正式な後継者を屠り、そこに息子を据えようと画策する可能性は考えられた。

 ぞっとした。へたをすれば、部族がふたつに分かれて争うことになるかもしれない。

 それを回避するためには―

「安直に…次男が消えればいいと、思いました」

 誰かが、アルハという駒に気づく前に。そして、まだ生まれぬ族長の子が、無事に生まれ、育つまで。

「だから、兄は僕にアルハを預けたんです…。姿を消さなくてはならなかったのが、アルハではなくて僕だというように、書き置きを残して、出奔するようにと」

 セリツがひきついで言った。

「兄と、僕と、リータとで、話して決めました。帝国で育てることを」

 彼が集落を離れ、帝都に行ったのち、ルリエが子どもを産み落とした。

 幸いとするか不幸とするか、その子は男児だった。

 いや、やはり幸いであったのだろう。族長はとにかくも健康をとりもどし、ふたりは正式に婚礼の儀を終えることができた。子どもも族長の正統な後継者として認められたのである。

 だがそれでも、まだ充分ではなかった。クルツは部族内を鎮め、後継ぎが成長するまでは、アルハを故郷に迎えるつもりはなかった。

「レハナ様が成長し、襲名されてのちなら、次男が帰ってきても、誰もレハナ様を排して次男を後釜にすえよう、とは思わないでしょう。デル・レハナの外で育ったという事実も、役にたつはずです」

 一度は健康になった先の族長も、その後は体調をくずしぎみになり、やがて病気で亡くなってしまった。その後を継いだとき、新しいレハナはまだ年成りの儀式をすませてはいなかった。

 それではまだ不安定である。部族内はもうかなり落ち着いてきたが、クルツはもう少し待つつもりでいた。

「……ですから、レハナ様が弟と次男を探すように、と仰ったときは、本当に驚きました。今になって、その存在を思い出す者があろうとは考えませんでしたし、しかもそれがレハナ様だとは」

 言われて、レハナはふっと微笑んだ。ついで、軽い調子でエ・ヒオスを見る。

「エ・ヒオス、誰か呼んで、お茶を人数分、持ってこさせてくれ。…話は一段落ついた」

「はい」

 15年前、セリツがアルハを伴って集落を後にした理由は、すべて語られた。けして部族を厭って都に憧れたわけではなく、犯罪がからんでいたわけでもなく、ただひたすら部族の平安のために。

「なんだ…」

 アルハはぽつりと呟いた。

 親もあり兄姉もあるのに、なぜ自分はろくに探されもせず、遠く故郷を離れて、流浪して暮らさねばならなかったのかと、思っていた。

 その前は、故郷などもちろん持たず、どこかに落ち着きたいのにそれも叶わぬことを不満に思っていた。

 セリツが言った、「兄さんは、自分の責任にとても厳しいだけなんだよ」という言葉。リータの抱擁。クルツの謝罪。

「なぁんだ…」

 そんな事情があったのなら、全て許せる。

 自分の放浪生活は、部族を守るためにあったのだ。その事実は、暖かくアルハの体の中に沁みた。

 複雑にゆがんだ顔を隠して、アルハは額を卓におしつけた。その頭に、優しく微笑んだ姉が手をのせる。

 

「さて、と…」

 運ばれてきた茶を一口のんで、全員が一息ついたところで、族長がもう一度きりだした。

「私側から見た事の顛末だが、さっきも言ったように、私は誰かから説明されたわけじゃない。だから、クルツ殿の弟と次男が、よりにもよってそんな時期に失踪していることから、想像してみただけだ」

 あるいは、ルリエが何か示唆したのかもしれない。自分が生まれた頃に失踪した臣下について、そうも深く考えるものではないだろう。

「そして、アルハとセリツ殿が集落に戻れないのは、まあ私のせいだな、と思った」

「レハナ様のせいでは…」

 ふたたび否定しようとするクルツを、レハナは片手を上げて制した。

「私がしっかりしていればいいことだろう? で、年成りの儀式も終えてしばらくしたので、エ・ヒオスに探索を頼むことにした」

 リツィは、その同行者として自分から志願したらしい。若い男女が長く旅をするのはどうか、と周囲は渋ったらしいが、リツィは断固としてゆずらなかった。

「レハナ様…もしかしてリツィは、俺への監視役だったんですか? アルハを見つけたとき、反帝国派としておかしなことを吹き込まないように」

 エ・ヒオスが自嘲的に言うのを聞いて、一番驚いた顔をしたのは当のリツィだった。それで十分な回答だったが、レハナが笑ってつけ加える。

「結果的にそうなったかもしれないが、別に君を疑っていた訳じゃない」

 あとでリツィがアルハに耳うちしてくれたところによると、彼女はとにかく帝都を見てみたくて、この機会を逃したくなかったのだそうだ。

 そして、これも後になって聞かされたことだが、エ・ヒオスの父親、カハルの先代家長は、反帝国をとなえ、セリツが失踪したのちに、実際に族長に刃をぬけたらしい。

 それだけで死刑はおろか、一家断絶になるに充分な罪だった。調べの結果他の家人はほとんどが許され、家督はエ・ヒオスの叔父が継ぐことになったが、今にいたるまで「カハルの家は反族長派だった」という疑いは根深く残っている。

 エ・ヒオスが、自分がどれだけ族長に信用されているのか迷うのも、当然のことだった。

 さて、とレハナはクルツに視線をむける。

「そろそろ、私を子ども扱いせずに、族長として認めてくれてもいいんじゃないかな、クルツ殿。少なくとも、ご子息を手元に戻すくらいはね」

「…それはもう、仰るとおりです」

「それと、もうひとつ」

 意味深長に、若き族長はダ・シャハンの兄弟を交互に眺める。

「私に、セリツ殿の都での知人を、紹介してほしいね」

「!」

「それは…」

 動揺する兄弟に、残った三人は何のことか、と顔を見あわせる。

「セリツ殿はアルハの養育係でもあり、帝国での細作でもあった。そうでしょう?」

「え!? 間者ですか? このセリツが!?」

 異口同音にアルハとリツィが言うと、セリツは情けない顔で赤くなる。

 まさかそんなはずがない、とアルハは笑いそうになったが、そうする前にクルツが渋い表情ではじめた。

「そんな大それたものではありません。ただ遊ばせるのもはばかられたので、帝都のある友好派の方との、連絡役をさせていただけです。そのついでに、帝都付近の諸地域を見てまわらせたりもしましたが…」

 連絡役? アルハは、自分の顎がはずれるかと思った。ずっと暮らしてきたが、そんな素振りはまったくなかった。

しかしそれで納得がいく。デル・レハナに帰ることになったとき、セリツが寄っていかなければならなかった知人というのは、その人物なのだろう。

「そう、そのことだ。たしかに帝国側でも、いつデル・レハナに対して武力行使の声があがるか知れない。だから陰のつながりは持っておいたほうがいい」

 だけどね、と『漆黒のレハナ』は面白そうに続ける。

「それを族長が知らずにいる法があるかな?」

「は…申し訳ありません」

 クルツとセリツが降参というように頭を下げる。

「謝ることはない…幼い私の補佐を、ずっと務めていてくれたのだから。さっき言ったように、そろそろ子ども扱いをやめて、私に族長としての責務を果たさせてほしいだけだ」

「はい」

 『漆黒のレハナ』の強い瞳の前に、ふたたびクルツは深く頭をたれた。

 

 

「さっきの護衛の人、意識を取り戻したそうよ」

 族長の屋敷を辞して、アルハに主集落を案内しながら、思い出したようにリツィが言った。

 セリツもついてきて三人で歩いているので、彼の顔を見覚えている人は、帰ってきたのか、と驚いているようだ。アルハの顔に反応する者もいるので、明日には主集落中に、さらわれていた子どもの帰還が知れわたっていることだろう。

「よかった。…そういえば、族長のところに暗殺者が来たのって、俺が帰ってきたから、じゃないよね?」

 さきほどの説明をきいて不安になったことを尋ねると、それはない、と姉と叔父が首を横にふった。

「さすがにこんなに早く動けるはずもないし、そもそもアルハをレハナ様の後釜に、って発想はもう出てこないと思うわ」

「なら、よかった」

 今後も、お家騒動にまきこまれるような心配はないわけだ。

 まだ陽は高い。三人は、夕食の仕度までに帰宅すればいいと言われていた。ゆっくりと主集落を見てまわれるということだ。

 リツィによれば、あと数日たてば長男のアディンも出先から帰宅するということで、そうしてはじめて家族全員がそろうことになる。今アディンがいないのは、友好関係にある他の部族に、客として呼ばれているからだそうだ。

「よく似てるから、会ったらびっくりすると思うわ。兄さんはアルハが帰ったことをまだ知らないし」

 その兄とよく似ているから、アルハは今日こうして無事に帰郷できているわけである。リツィたちがアルハを見つけられなかったら、クルツの思惑どおり、アルハとセリツの帰還はもっと先になっていた。

「アルハは、こっちに残るでしょう?」

 族長の屋敷を出る前に、レハナがセリツに言っていた。しばらくデル・レハナで休んで、連絡役の任に戻ってもいいし、あるいはその役目を後任にひきつぐのも自由だと。なにしろ15年間も、その任務にあたってきたのだ。

 セリツは、考えてみますと答えていたが、集落に残りたいと思っているのは目に見えて明らかだった。

 アルハも、「一度生家に帰って無事を報告する」という目標は達成した。今後、どうするかは考えなければならないのだが。

「うん、そうだね…」

集落の構造はどこも似たようになっていて、神殿と集落の長の屋敷が縦に並び、そこから身分の高い者から低い者へと、家屋が円に近い形で広がっている。中央には広場があり、円の外側に畑地が広がる。

「川はあっち。氾濫を防ぐために、色々工夫があるの」

 そうして案内されながら、アルハの中でだんだんと固まっていくものがあった。それが形になったな、と感じた瞬間、アルハはくるりと叔父のほうをふりむく。

「セリツ」

「え?」

「あんた、本当にひどい嘘つきだよな」

 甥の言葉に、セリツは簡単にひるんでしまう。

「なにが、部族を嫌って失踪だよ。ひとりで故郷を離れるのは淋しいから、思い出のために俺を連れてきただ?」

「ご、ごめん…」

「間者だなんて。帝都の貴族とつながりがあるなんて、全然聞いたことなかったし」

 リツィが「そうだもっと言えー」とけしかける。無責任に楽しんでいるようだ。

「住む場所を転々とすることだって。俺にデル・レハナ以外の故郷を持たせたくなかったからだって言ってたけど、本当は視察のためだったんだからな」

「それは、そういう理由もあったというだけで…」

「しかも、自分はちゃっかり兄と連絡とりあってたんだろ! じゃあ俺の親は一応、子どもの無事を知ってたんじゃないか」

「まあそれは、心配だろうし…。連絡とってたっていっても、稀にだし…」

 16も年下の甥にやりこめられて、困った顔をしている叔父。この人が15年間も秘密を隠しとおしたとは、なかなか信じがたかった。

「…でもまあ、ひとつ、本当のことも言ったよな」

「え?」

 糾弾もこれくらいでいいだろう。アルハは、ずっと自分を育ててくれた養い親に笑顔をむけた。

「小さい頃、言ってただろ。いい子にしてたら、いつかお父さんとお母さんに会えるって」

「ああ…」

「いい子だったかはともかく、それは本当だった」

 その言葉は実現し、両親どころか兄弟やいとこにまで会えた。

「セリツは、デル・レハナに残るんだろう?」

「うん…」

 アルハは違うのか、という心配を面いっぱいに浮かべて、あいまいにセリツが頷く。安心させてやるために、アルハはさらに晴れやかに笑ってみせる。

「じゃあ今度こそ、ちゃんとヴァントーの弾き方を教えてくれよ」

 

終  

 

 

   「デル・レハナ三部作」の二話ですが、全然「恋愛もの」ではありません。

   あえて言えば冒頭のエ・ヒオスの馬鹿なナンパっぷりにその片鱗が。

   年成りの儀式って、やっぱり割礼とかするんでしょうか…。