前述の通り、この大陸には11の国がある。
 全ての国がそれぞれ、「金満国」「漁業国」「騎兵国」などの二つ名を持っているのだが、我らがエイルランスは「信仰国」と呼ばれている。というのも、地域や伝承に基づいた様々な神や精霊を、各神殿によってあがめており、その神殿も大陸中の他の国と比較して、群を抜いた数だからである。
 学校や隠居施設も、ほぼ全ての場所が神聖な場所や神殿であり、何かしらの人智を越えた生命体を主として奉っている。それは、王宮とて例外ではなく、国王の住まう場所である国の中心も、大地の女神シャリーヌを祭る神殿であった。
 そんな国風であるからして、この国には警察というものも存在しなかった。
 いわゆる”悪”を取り締まるのは、王宮神殿の直配、全国に散らばった、253の数からなる守護神殿であり、またそこに常勤している神官たちだった。
 守護神殿に籍を置く神官たちは守護神官と呼ばれており、国民たちからは「守護さま」と呼ばれている。人民に迷惑をかけたと見なされたものは国の法律により守護神官たちにとらえられ、それぞれの刑に見合った禁固や、場合によっては死刑を申し渡されることもあるのだった。

 そんな守護神殿の一つ、空の神をあがめるヒューライ神殿の守護神官たちの元に、突然舞い込んできたのは、付近の山奥の神官学校で、そこの校長が殺害されたというニュースだった。
 しかも最近ではほとんど類を見なかった、とんでもない猟奇な有様で死体がさらされたというのである。

「一体、どこのどいつだ?山奥の学校で、校長など殺しても、なんの役にも立たないだろうに」
 守護神官の一人、ラッセル・ハウンは、溜息をつきつつ上着を羽織った。これから山の中まで、中年男性の死体を見に、えっちらおっちら歩いて行かねばならないと思うと気が重くなる。
 ラッセル・ハウンは、27歳男性。黒く長い艶のある髪を背中までたらし、鋭い眼光を持った美男である。その容姿や彼の持つ舞うような美しい剣術は女性を惹きつけてやまなかったのだが、姉五人妹五人に囲まれて育ったという彼は極度の女嫌いであった。
「フロールァを連れて行ってくれ」
 ラッセルの上司である、ダルテス・カーズが部屋の奥から声をかけた。髪もひげも真っ白になるまで働き尽くした彼は、現在ヒューライ神への祈りを捧げながら、主に部下の采配を取り仕切っている。
「ええ、ビーマスをですか?」
 ラッセルはあからさまにイヤな声を出した。その同僚が嫌いなわけではなく、相手が女性だからである。特に自分に好意を向けられているわけではないのだが、同僚といえど、彼にとって女性というものはどうにも近づきがたい存在だった。
「今、裏で獣にエサをやっているだろう、探して連れて行け」
「はいはい…」
 逆らうことは時間の無駄だと、経験を持って知っている彼は、ダルテスの命令に従って建物を出ると裏に回った。
 生肉の匂いに混ざって、獣が吠える声が、歩くにつれて大きくなって耳に響いてくる。

「ビーーーマス!!」
 ラッセルが声をかけると、ビーマスと呼ばれた女性、本名フロールァ…は、ゆっくりと振り返った。手には生肉が握られている。
「なんですの?ラッセル」
 大きな檻の前に佇む彼女に恋し焦がれるように、オオカミに似た獣たちが檻に前足をかけて息を荒くしていた。エサを与えてもらえるという理由からだけではなく、実際に彼女のことを慕っているのだろう。
 フロールァは、この獣たち(正式な種族名は不明)の嗅覚を使って事件を解決するのを生業としている守護神官の一人だった。獣は、一族に代々伝わってきた、彼女の実家で育て増やしている種であるらしい。

「殺人事件だ。行くぞ」
「まあ、それは血なまぐさいですわ」
 言いながら、実際に血なまぐさい生肉を獣たちに向かって放ると、彼女はラッセルに身体を向けた。
 肩を少し越す、綺麗に切りそろえられたぬばたまの髪に、黒目がちの切れ長の目が彼を見据える。一般的な美人の部類に入る顔立ちであろう。首に緑の色鮮やかなスカーフを巻いており、その下はすとんと長いスカートだった。生肉を扱っていたというのに、衣類には血や肉汁の飛び散ったあとは一つもない。
「あっちの山の、奥の方の神官学校の、校長だそうだ、殺されたのは」
「まあ、そんなへんぴな場所で。これから歩きですの?大変ですわ。ビーストたちに送ってもらいたいですわ」
 獣の背に乗って山越えをしようと言うのである。
「…それだけは勘弁してくれ…」
 ラッセルは獣たちに背を向けると、力のない声で言い、肩をすくめた。
 彼は、女性である同僚のフロールァと同じく、彼女の操る獣たちも苦手であった。
 彼女は、獣をあやつるところから、「ビースト・マスター」という異名を持っている。彼女の捜査能力を買った者たちは、決まって彼女をそう呼んでいた。ラッセルは、面倒なので「ビーマス」と略して呼んでいたが。
 なんせ、彼女の喋り方は、ぱっと聞くとお嬢様のそれなのだが、発言やイントネーションが「しとやか」さとは程遠いものであり、「フロールァ」なんて可愛い名前が似合うようなタマではない、とラッセルは彼女をそう思っていた。

 彼らが聖ネルティス神官学校に着いたのは、思ったより早く、午後のお茶の時間の頃だった。
 着く頃は暗くなっているのではないか…という彼らの懸念は杞憂に終わった。
 ラッセルと、ビーストを一匹だけ連れたフロールァ(もっと獣をたくさん連れてきたいと申請したがラッセルに却下された)が神官学校の呼び鈴を鳴らすと、顔色の薄い、眼鏡をかけた男が扉を開け姿を現した。
「どなたですか?」
「麓のヒューライ神殿から来ました、守護神官のラッセル・ハウンともうします」
「ああ、守護さま…」
 男は力無く笑うと、
「ここで教諭をつとめさせていただいております、カルダモンと言います…」
 と頭を下げた。
 顔色がないのは血の気が引いているからであろう、身内で殺人事件などが起きて相当まいっている様子が見受けられた。
「早速ですが、死体を見せていただいてよろしいですか?」
「ええ、どうぞこちらへ」
 カルダモンは、彼らを校庭へ案内した。校長の死体は、朝発見された時そのままで、大時計の前に惨めにぶら下がっていた。
「これはこれは…」
 ラッセルは校長を見上げて眉をひそめると、フロールァを振り返って、「ビーストに匂いを嗅がせてみろ」と言った。
「それがおかしいんですの」
 フロールァはかがみ込んで、連れてきた獣の背中を撫でている。
「ハインツの鼻が利かなくなってしまったみたいですわ」
「はあ?」
 ハインツというのは彼女の連れてきた獣の名前らしい。
 獣はくんくんと鼻を鳴らしながら、前足で鼻の頭を擦っていた。
「それじゃお前、連れてきた意味がないだろうが」
「申し訳ないですわ」
「お前、その獣連れて神殿に帰れ!」
「いやですわ。まだ事件が全然解決していませんわ」
 自分の言うことなど全く聞く様子もないフロールァの口調に、ラッセルは顔を引きつらせた。
「っていうか、お前、その獣が居ないとくその役にも立たないだろうが!」
「まあ、お言葉ですわ、私だって普通の捜査くらいできますわ。それに、しばらく待ってみたら、ハインツの鼻も治るかもしれませんわ」
「………………」
 ラッセルは断固として自分に従わないフロールァに背を向けた。彼は未だかつて彼女の困ったり悲しんだりしている顔を見たことがない。かなりポジティブな意味でのポーカーフェイスとも言えた。これ以上噛みつこうが何しようが、無駄だと言うことは重々分かっている。

「仕方ない、普通の聞き込みから行きますか…」
 ラッセルはカルダモンに向き直ると、
「この死体が発見されてから、まだ誰も居なくなったりした人は居ないんでしょうね?」
 と聞いた。カルダモンは弱々しく頷いた。
「聖癒祭の前は、前後一週間、校門を閉め切ってしまいますので…先ほど守護さまがたが通られた客人用の入り口も、鍵がなければ開けることは出来ませんから。…校長先生を殺した犯人が居るとすれば…まだこの敷地内に」
「ほほう…」
 それはとりもなおさず、生徒や教員の中に犯人が居る可能性も高いと言うことだ。ラッセルの中で、目の前の男を含むこの校内の全ての人間が容疑者となっていく。

「みなさん、自分の部屋におられるんですか?集まったりなどしてない?」
「ええ…生徒たちは自室で謹慎させています…教師も…客人も、それぞれの部屋にいるはずです」
「客人?」
 聞きとがめ、ラッセルは眉を寄せた。
「客人というのは何人来ているのですか?」
「ふたりです。麓の時計工のカーオンさんと、あと、殺された校長の客人の、リッズさんというかたです…」
「校長の客人…」
 怪しいな、と、ラッセルは口元を引き締めた。
「では、どこかお部屋を貸していただいてですね、校長先生が見つかった頃の状況や、昨日のことなどを詳しくお聞きしたいんですがね」
「あの、校長先生のお身体は、どうしいたしますか?まさかこのままに…」
「あ?うん、おろしましょう」
 それから、カルダモンとラッセルと、フロールァも形ばかり手伝って、校長の身体を地面まで下ろした。
 校長の身体は、ロープでつられた形となっており、そのロープは校長の身体の脇の下を結んだあと、時計の針の根本にひっかけてあり、反対側の端が下へとのびて、付近の木の幹の下の方に結びつけてあった。
 カルダモンの言うところによると、時計に幕がかけてあった時は、これによく似たロープがその幕を支えるために同じように付近の木に何本も結びつけられており、校長の死体があるなど、全然気付けなかったという。

 ただでさえ重い人間の死体なのに、校長はゆうに100sを超す体重だったので、この死体を下ろす仕事は、大人三人でも、ものすごく大変な作業となった。しまいには、ゆっくり時計から死体を離すつもりが、カルダモンがロープをうっかり離してしまい、校長の身体は落下して地面に激突した。
「あっ落ちましたよ」
 すごい音がして校長の身体は地面に叩き付けられ、カルダモンは顔を青くした。
「ああーーーー校長先生…!」
 半泣きになりながらカルダモンは屋根から下り、校長の身体の元へ駆け寄った。
「すみません…すみません…」
「まあ、いいでしょう、もうどうせ死んでるんだから」
「そう言う問題じゃありませんよ!」
 ついには泣き出す始末のカルダモンだった。

「どうやら、死因は、この胸の怪我のようですね」
 地面に下ろした死体を子細に観察しながら、ラッセルは言った。
「ナイフか何か、鋭い凶器で刺したものと思えますが…凶器は見つかっていないのですね?」
「ええ…見つかってなどいません、そんな物…」
 激しく気落ちしているカルダモンは、これ以上ラッセルたちの質問にもあまり答えられそうになく、ラッセルは彼に、部屋の用意と容疑者たちを呼んでくる仕事を頼んだ。
 カルダモンは、一応走っているつもりなのだろうが、よろよろしながら学校の中に消えていった。

「さて、ビーマス、どう思う?」
 自分の黒髪の先の方をクルクルと弄びながら、ラッセルは振り向きはせずに背後のフロールァに尋ねた。
「彼もまいっているフリしていますが充分怪しいですわ」
「いつもなら、お前の獣が犯人一発であててくれるんだがな、鼻がきかないとなりゃしょうがない…しかし一体、なんだ?鼻炎か?花粉症か?ここに来るまでは普通だったんだろう?」
「…一つだけこころあたりがありますわ」
「心当たり?」
 ラッセルは改めてフロールァを振り返ると、鋭い眼光で彼女とハインツを見た。
「とは、一体?」
「私のビーストたちは、通常の生物とは違って、闇に属する生き物なんですの。魔界から連れてきた祖先の血がまだ残っているのですわ」
「魔界だと?」
 日常では聞き慣れない言葉に、ラッセルは違和感を覚えて聞き返した。
 いくら神殿の多い信仰国とは言え、魔界の者をあがめているような神殿はないし、また信仰内容もそのような闇に属する生物とは程遠いところにある。お祈りや伝承にちらっと出てくることはあっても、魔界など意識するような身近な存在ではなかった。
「じゃあ、その獣は、魔物の子孫だって言うのか?」
「むしろ魔物そのものですわ」
 ラッセルは、いっそう強く頬を引きつらせた。今まで、捜査に使っていた神殿のペットが魔物だったとは、他の同僚たちにはとても言えない。
「…で?」
「本来、この子たちは他の神や精霊の力の影響は受けないんですの。だから神殿でも普通に飼えるんですわ。ただ、この子たちの嗅覚は、ほぼ魔力に近いところに源があるんですけれども、その能力が制限される場合が一つだけあるんですの」
「それはなんだ?」
 馬鹿馬鹿しい、と思いつつも、聞き返してしまう。こんなおとぎ話が捜査の糸口になるはずはないと思っていながら。
「力がルールの魔界の掟…。私のカワイイ子たちが能力を発揮出来なくなるのは、自分よりも強い魔物が付近にいる時だけですわ。それも、うちの子たちは魔界を離れて何百年も経っているから、魔物の影響は受けにくくなっているはず。それをここまで能力を封じられると言えば、相当の実力者ですわ」
「というと?」
「魔王か、もしくはそれに近い実力者…そのくらいと見ていいと思いますわ」
「はっ」
 ラッセルは、肩をすくめて苦笑いした。
「じゃあ何か?この神官学校には、魔王がすみついているとそう言うのか?」
「そうとしか考えられませんわ」
「………」
 ラッセルは彼女に背を向けて、学校の入り口に向かった。これではまともな会話にならない。
 殺人事件の捜査に来ているのに、何故魔王が出てくる?
 大体、信仰国と呼ばれるこの国に、何故そのような禍々しい者が存在しなくてはならないのだ。

 背後で風が吹き、木々が不気味にざわめいた。

 

 取り調べは、容疑者を一人ずつ呼び入れ、元校長の部屋で行うことになった。ラッセルが被疑者に質問を重ね、それをフロールァがメモにとる形である。
 まず最初に、とことん怪しい、校長の客人であるリッズに話を聞くことになった。
「名前と年齢と、あとここに来た目的と…教えてくれ」
 ラッセルの言葉に、リッズは笑顔を崩さずに、
「名前はリッズ…あ、これでフルネームです。年は数えていないので忘れました」
 と答えた。ラッセルのひたいに青筋が浮かぶ。
「嘘じゃないんだろうな」
「ええ。私、親が居ないものですから」
 笑顔でさらっと言うリッズに、ラッセルは言葉を失うと、「まあいい…」と質問を続けることにした。
「で?ここに来た目的は?」
「仕事ですよ。上に命じられて、視察に」
「…本当だろうな?」
「ある意味本当です」
「……」
 なんでこんな、始終ニヤニヤしたふざけた男と会話しなきゃならないんだろう…と、ラッセルは思った。

 一通りの質問が終わると、次は先ほどのカルダモン。
「校長はどんな人でしたか?」
「ええ…とてもいい方でした…なんであんな殺され方を…」
 話しているうちにも、彼の目からは涙がにじみ出てくる。
「まあ…それは置いておいてですね、校長は誰かから恨みを買ったりするようなことはありましたか?」
「そ、そんなことあるわけないじゃないですか!」
「いや、ほんの些細なことでもいいんですけど」
「あったとしても、死んだ方を悪く言うようなことなんて出来ませんよ!ああ、校長先生…ううううう…」
「…おーい……」

 三人目は、オレガノ神官である。
「校長先生は、ナイフで刺されて死んだようなんですがね…」
「え??そうなんですか?一体、誰がそんなことを…」
「この学校では、授業でナイフを使ったりしますか?凶器になりそうなものを保管していたり…」
「厨房の包丁くらいでは…。ああ、でも、そう言えば、一つ無くなったって言っていたような気がします、調理師さんが」
「包丁が一つ無くなった?」
 ラッセルは目を光らせた。
「それはいつのことですか?」
「今朝早くです…朝食の用意をしようとしたら、肉切り包丁の小さい物が、一つ足りないと…」
「ほほう…」
 ラッセルはオレガノとの会話の中に、一番の収穫を見つけ、内心喜んだ。その後、実際に調理師全員に裏付けをとり、十中八九その肉切り包丁が凶器と断定し、捜査を進めることにした。

 そんな感じで、生徒以外の全ての容疑者に、一通り聞き込みを終えると、彼らは一息つくことにした。生徒の数は200。考えるだけでうんざりする。彼らへの聞き込みは明日以降でいいだろう。
「ああ、疲れるなあ…」
 のびをするラッセル。時刻はすっかり夜になっていた。
「お疲れさまですわ」
 フロールァが、なにやらメモをとりながら言う。
「彼らの話をまとめると、校長と昨日の動向はこうなりますわ。したがって、殺された時間も自然と割れますわ」
「ん?」
 ラッセルはフロールァの差し出したメモを見た。そこには、聞き込みによって得られた情報を元に、夕べにあった出来事が箇条書きにまとめられていた。

 

  12:00 時計工が大時計の修理を始める

               :

  21:00 教員全員で聖癒祭の準備を始める。(主に厨房付近)
  22:30 生徒たち就寝
  23:20 校長、誰かに会うと行って準備を抜け出す
       (23:30の約束だったらしい)
  23:45 カルダモンが準備を離れ、校長を探しに行く
  23:55 オレガノが準備を離れ、校長を探しに行く
  00:00 修理工が大時計の修理をやめ、大時計を離れる
  00:05 修理工が修理の賃金を貰いに厨房に来る…その後帰る
  00:15 オレガノ、諦めて帰ってくる
  00:30 カルダモン、諦めて帰ってくる
   1:30 教員たち就寝


「つまり、校長が姿を消した、23時20分から…」
「24時頃ですわね。校舎の内外にまったく見当たらなかったんだから、もう殺されてたんですわ」
「そして修理工がいなくなってから、時計につるされた…?」
 昨夜、神官たちが祭事の準備をしている中、校長がひとり、「人と会う用事がある」と言って中座したのだという。
軽い調子で出て行ったが、なかなか帰ってこず、翌日の打ち合わせが終っていなかったこともあって、下っ端のカルダモンがまず探しに行くことになった。彼は校舎内をくまなく探したが、校長の姿は見当たらなかった。
オレガノも捜索に加わり、こちらは校舎の外を探した。しかし、やはり見つからず、ふたりは深夜をまわってから諦めて帰ってきた。そして、翌朝になっても校長は見つからなかったのである。
「お前が帰してしまった修理工だが。あれは本当に容疑外なのか?」
 ラッセルは不機嫌に相棒をねめつけた。先刻の、時計職人カーオンとのやりとりを思い出したのだ。

 教師たちのあとに、取調べに呼ばれたのは、修理工であるカーオン・テルメオツだった。
「どうも」
 神妙な顔で入ってきたのは、まだ少年から卒業したかどうか、という頃合の黒髪の若い男だった。

 身元を聞くなりフロールァは、この男はただの時計工で、校長とは何の関係もない人物であるから、事件とは無関係なんじゃないかと言い出した。女の勘であるらしい。
 先入観や勘に頼るなどもっての外だ、とラッセルは怒鳴りたかったが、勘によってというよりは、彼女の言い方はあまりにも当然のごとく、だったので、なんとなく我慢して通常の聞き込みをはじめた。
 彼はずいぶん長いこと、時計の修理にかかっていたらしい。その音は、時計のある塔の下方にも届き、数人が証言している。彼が職場を離れたことは、少なくとも暗くなってからは、なかった。なにしろ深夜まで修理にかかったのだ、最後は休憩する間も惜しんだ。
 零時の少し前に、カルダモンが校長を探して、このカーオンのもとを訪れている。このとき、校長の姿も犯罪らしき跡も、血の跡ひとつすらも見なかった、とカルダモンは証言している。
 そして零時になったとき、修理を終え、代金をうけとって麓の村に帰ったという。それらを聞いて、フロールァはあっさりとカーオンを解放した。
「あいつが犯人じゃない証拠は?」
 ラッセルが苦々しく問うと、フロールァは軽やかに笑って返した。
「被害者の首の後ろと、時計の針の血の跡を見なかったんですの?」
「血の跡?」
「被害者の首に、何かに切り裂かれたような傷跡と…おそらくその傷の元となった、大時計の短針。そして短針の先から、被害者の物と思われる血液が、針の向きと平行に中央に向かって流れ、乾いて固まっていましたわ」
「うん?」
 そう言われてみればそうだったかもしれない。
 先程見た光景を思い出す。死体は針の軸部分にひっかかっていたので、その上部の血の跡は少なかったようだが。メインディッシュをのせた皿のような文字盤があり、塔からの扉があり、その上には切妻らしい屋根。下には正面玄関。
「おそらく、死体をつるすときに、うっかり引っかけて傷つけてもしたのでしょうけれど、つまり、血が針と平行方向に流れるということは、針がまっすぐ上を指していたと言うこと。そのとき既に時計の修理は終わっていたのですから、時計は正しい時刻を指していたはずですわ。…死体がつるされたのは零時。誤差は数分ですわね」
 ラッセルは黙らざるを得なかった。翌朝発見時に針が八時を指していたのであるから、それ以前に時計の短針が真上を向いていた時刻は零時しかない。それまでに校長は殺されたことになる。そして、零時前にカーオンが校長を殺すことはできなかった。カルダモンが証人だ。
「零時…そのすぐあとに時計の下を通って、学校を出て行ったカーオンは、不審人物はいっさい見かけなかったと言っていた。ずいぶん足の早い犯人だな」
「ですわね。うーん…探しに行くといって出たカルダモンとオレガノが怪しいですわね。単独行動をしているから。それから、リッズと、生徒たち」
 しかし、生徒にはこの仕事は無理だったろう、とラッセルは無言で考えた。

 ところで、ラッセル・ハウンとフロールァは気づかなかったが、彼らの会話を、その背後で聞いている者がいた。
 人の目には映らない、ローリエである。
 なにしろ人ひとりが殺されたのだから、今は生身がないローリエも気が気でなかった。どんな捜査ぐあいなのか気になって、こっそりと覗きにきたのだ。
(え、先生方まで疑われてるの? 僕たちまで疑われるの?)
 恐ろしい殺人鬼に戦々恐々としていた少年には、この捜査官のシビアな見解は衝撃だった。
(そんな、先生方や生徒たちに、そんなことできるわけ、ないのに。するとしたら)
 もしそんなことができるとしたら、それは人間よりも、悪魔の仕業に違いない。
 ちょうど、自分は閉じ込められた悪魔の存在を知っている。彼が腹立ちまぎれに自らを封じる檻の長を殺すことに、なんの不思議があろうか。
(とか、リッズさんとか)
 悪魔を封じている側を疑うのはおかしい、それは分かっているが、どうしてもあの男は疑わずにいられない。そもそも怪しすぎるし、なにより死体が発見された時のあの様子。
 感覚のない身で、ぶるりと身震いすると、ローリエはもう友人のところに帰ることにした。

 クローブは、自室のベッドの上で震えていた。
「ロ、ローリエ? どこ行ってたんだよ…!」
 冷たい手で親友の腕をつかもうとして、すり抜ける。そんなとき、はっとふたりは今の境遇を思い出して、なお悲しくなる。
「あいつがとうとう校長先生を…」
『あいつ?』
 クローブがゆるゆると首をふって言うのを、ローリエは聞きとがめた。
「あの悪魔だよ。闇王だよ。あいつしか、あんなことする奴いないじゃないか」
 他人が動揺していると、かえって冷静になるものだ。たった今まで自分も同じことを考えていたにもかかわらず、ローリエはどうだろう、と首をかしげた。
『それって、あの人に何か都合がいいのかな』
「は? 何言ってるんだよ、じゃあ他に殺人犯がいて、隠れてるっていうのか?」
『それは……』
 守護さまは、僕たち全員を疑っていたよ、とは、言えなかった。
 だが何か言わなくては、と口を開いたとき、
「あ?」
 ふたりは、同時に何かを感じて、顔を見合わせた。誰かに呼ばれている。
『あ、あ』
 ローリエの幽体は、見えない腕にひっぱられるようにして、扉を越えていってしまった。クローブも呼ぶ声に応えて、それを追いかけた。
 生徒たちは自室謹慎の令が出ている。廊下に人影はないが、それだけ足音が目だつはずだ。息を殺して進んだ。目的地は、言わずと知れている。
 早くもローリエを見失いながら、曲がり角をひとつ曲がったところで、クローブは突然現れた人物に、肩をつかまれた。
「うわっ…」
「こんな時間にどちらへ?」
「リッ…」
 蜂蜜色の長髪。軽くかかげた人さし指に、不思議な青白い光。リッズだった。
「困りますね。闇王様の気をまといつけたあなた方が、そうあちこち歩くと」
 光をもった指先で、現在修復中であったらしい封印の紋章を、軽く示した。
「些少ですが、磨耗してしまう。予想以上に封印が弱くなっていて焦っているんですから、これ以上は邪魔しないで下さい」
 言いたいことだけ言ってしまうと、すぐにリッズはクローブを放してくれた。返答しようにも、自分を呼びつける力に抗えず、クローブはさらに小走りで進んだ。背後で、リッズが角を曲がったらしい足音と、カルダモンの「リッズさん? 何をしているんですか!」という声が聞こえた。
危ないところだった。リッズよりも、教師に見つかるほうがまずい。
そして―クローブは、三度、あの運命の扉の前に立った。
扉は既にして口を大きく開き、クローブの来訪を待ちかまえていた。

「何があった?」
 闇と炎に囲まれ、人と悪魔と幽霊の、奇妙な鼎談…招待主の冷ややかな第一声が、それだった。
「リッズを追い出せないどころか、なにやら騒がしくなったようだな。あいつがそれに乗じて、昨日までより活動的だ」
 なるほど…と、クローブは考えるでなしに納得した。教師も生徒も自室にひきこもっているため、かえってリッズは人の目を気にせずに、自由に封印を見て回れるのだった。
同時に、「何があった」とはまた、白々しいと思った。自分で校長先生を殺したくせに!
『さ、殺人事件があったんです』
 ローリエがおずおずと言う。クローブは親友を横目で軽く睨んだ。この悪魔は、そんなこと分かっているはずだ。
「殺人?」
 あまり興味をそそられない、といった様子で、黒衣の悪魔は復唱した。
『そう、です…校長先生が殺されて、時計につるされて…。守護さまが来て、先生方やリッズさんを調べてます。僕たちも、明日』
「リッズを? あいつに、人間を殺す理由などあるまい」
 そうなのだろうか?そうなのかもしれない。だが、おそらくリッズは第一容疑者だ。
 ローリエの顔色を読んだのだろう。闇王は眉をよせた。
「犯人は捕まりそうにないと? まさか、その犯人が捕まるまで、リッズはここに居座れるのではあるまいな」
 まさしくその通りだ。リッズが犯人であれば、それと分かり次第、連行される。だが犯人が分からない状況では、彼はこの構内から出ることは禁じられる。それはリッズにとって願ったりのはずだった。校長の知人という触れ込みで滞在していたのだ。ターメリックがいなくなっては、いづらかろう。
 ローリエが頷くと、エルディークはますます渋面になった。
「お前たち、早く犯人を見つけろ。もしくはリッズを犯人にしたててもいい」
『え…ええっ!?』
 それはいくらなんでも唐突だ。
 しばらく黙っていたクローブが、おそるおそる、口を開いた。
「あの…じゃあ、校長先生を殺したのは自分じゃないって言うんですか…?」
 瞬間、クローブは熱い炎をまとった鉄線が、己の眉間を貫いたような気がした。
 熱気のような冷気のようなものが過ぎ去って、気づけば黒き闇王の赤い眼が、自分を眺めているだけだった。ただそれだけで、クローブは背中に冷たい汗が流れていくのをはっきりと感じた。
「他愛もない人間を殺すくらいなら、リッズを殺している」
 そう言われると、返せなくなった。エルディークは、何事もなかったかのように続ける。
「昨夜、魔力の類が使われた気配はなかった。リッズの仕業とは断定できない。だが万が一、都合のよい証拠でもあれば、あいつを厄介ばらいできるわけだ。…話せ。何が起こったのか」
 恐怖もあったが、この悪魔なら犯人を見つけられるかもしれない、と人外の力に頼る気持ちもあった。ローリエは、丁寧に説明を始めた。クローブにも聞かせるために。

 翌日。ほとんど説明をうけていない生徒たちは、まだほとんどが動揺していた。朝食の席で守護神官のふたりが紹介され、現在の状況が話された。当然、容疑がどのあたりにかかっているのかは、ぼかされた。
 朝食の後、守護神官から生徒たちに質問があるので、同室の者同士ふたりずつ、二日前の晩について話をするように、と申し渡された時は、不安なさやめきが起こった。
 呼び出すのをふたりずつにしたのは、単に手間を省くためだった。ちょうど一部屋にふたりずつ入っていると聞いたので、そのペアで取調べをしようと思ったのだ。ひとりずつでないと、口裏をあわせられたり記憶の改ざんを呼んだりと、不都合はあるが今回は仕方ない。
「まあ、あの大仕事をするには、生徒だったら5・6人は必要だったでしょうから」
 最初に呼ばれたのは、紅一点の生徒、パプリカだった。鬼門は早く通るべしということで初めにしたのだが、早くもラッセルは頭をかかえたくなった。
「普通に考えて、無理ですよね。と言っても、大人の単独犯というのも短時間では無理でしょうけど」
「いや君は、私たちの質問に答えてくれればいいんだが」
「ええ、どうぞ」
 自分の住まう学校の校長が殺された少女というのは、皆こんなふうなのだろうか。
 ラッセルは隣のフロールァに援けを求めた。
「校長先生はどんな先生でした?」
「さあ。教えてもらったことはないので…ああ、でも説教は悪くなかったかも。恍惚としていて、きっと昼食のことでも考えながらしていたんでしょう。他人の迷惑を顧みない人ではありましたが、悪人にはなれないタイプで。何らかの事情で彼を殺したいと思う人はいるかもしれませんが、彼を吊るしたいと思う嗜好の持ち主は、私は知りません」
 
確かに奇妙ではあった。時計盤の前につるされた巨躯。どんな死体であろうとも、あのような目立つところに吊り下げるなど猟奇としか言いようがないが、あの校長の弛緩しきった重い身体を下げるとなると、それに使う苦労も並大抵のものではあるまい。たしかにそこまでしてあの巨体を下げる嗜好は、パプリカでなくとも守護神官二人にも理解できなかった。
「校長先生を憎んでいる人とかいなかったかな?」
 努めて優しく語りかけるラッセルに、ふう、とため息をつくとパプリカは、
「そのくらい、生徒なんかに聞かなくてもとっくに分かってらっしゃるんじゃないんですか?なんのために昨日、一日かけて事情聴取したんですか?」
 と皮肉げに言った。
「…いや…まあ…形式事項なんで…一応…」
 額に浮き上がる青筋を必死で押さえながら、ラッセルは少女の答えを促した。
「生徒個人個人の心情や事情までは知りませんね。先生方はもちろんですけど。でも…、まあ、あの校校長先生を引っ張り上げるったら、滑車の原理を応用しても50〜60キロですか?生徒だったら5〜6人でやっとですね、見張りも必要だし、となると7〜8人?そんな徒党を組んで校長憎しのスローガンを掲げている子たちがいたら私の耳に入らないわけないし、そもそも原因となる事件が何かあるはずだろうけどそんな話も聞かないし」
「ようするに?」
「心当たりナッシング。です」
 眉一つ動かさずにそれだけ言うと、「帰っていいですか?」パプリカは続けた。
「…ああ…いいよ…」
 もう、口をきくのもうんざり、といった表情で、ラッセルはパタパタと手を振った。
 …大人の男性でこんな口の利き方をするやつがいたら、胸ぐらひっつかんで怒鳴りつけてやるのに。年端もいかない女の子ではそうはいかない。
 また、この子が犯人とも考えにくい。事件の状況や、力量が足りないことなどを考えてもそうなのだが、話す態度に一片のとまどいも恐れも自棄もない。あたしは全く無関係よ、という体で、これが演技ではないことは、長年守護神官をやってきたラッセルの勘が悟っていた。

 パプリカが去ったあと、数人の生徒の聞き込みをしたが、やはりなんの情報も得られず、ラッセルは時間を無駄にしているような気がしてきた。生徒たちの意見からはパプリカと同じく、何も得ることが出来なかった。

「失礼します…」
 何組目か忘れたが、その時入ってきたのは、茶色い髪に沈んだ面もちの少年だった。
「はい、座って。えーと、名前は?相方はどうしたの、一人部屋?」
「クローブ・ガーリックです。相方は…今、実家に帰っていて…」
 おどおどと喋るクローブの態度に、ラッセルはただならぬものを感じた。…この少年は何かを知っている…
 その時、突然机の下から「ブフッ」と何かの鼻息が聞こえた。
「あら、どうしましたのハインツ」
 フロールァがかがんで、足下に丸くなっていたペットの頭をなでた。
「ウォウウォウ」
 小声で獣が吠えているのが分かる。
「あの、下に何かいるんですか?」
 引きつった顔で、クローブが言う。得体の知れないものが潜んでいるのかとでも思ったのだろう。
「ああ、なんでもないんだ、神殿から連れてきた犬でね、臭いを使って犯人を捜すのに使うんだ」
「あ、そうなんですか!じゃあ、校長先生を殺した犯人なんて一発ですね!」
「いや、それが、今回はまったく彼の鼻が利かなくてね。こちらの飼い主は、この学校に魔王が住んでいるからだ、なんて言うんだが」
 冗談のつもりで言うと、ははは、とラッセルは笑った。しかし、クローブはそのラッセルの台詞に真っ青になった。
「ん?どうしたんだ?」
「い、いえ、なんでもないです…」
 その時、急にハインツが机の下から躍り出ると、何もない空中に向かって激しく吠え始めた。
「ああっ」
 青ざめたまま、クローブもハインツの見つめているのと同じ宙に目をやる。
「??どうしたんだ、ハインツは」
「分かりませんわ」
 首を傾げる飼い主にも従わずに、獣は吠え続ける。しかしやがて、悔しそうに大きく一吠えすると、ウ〜〜ウ〜〜うなりながら、フロールァの足下に戻った。しかし座ることはせず、眉間にしわを寄せて歯を向きながら、フロールァの周りをグルグル回っている。相変わらず宙を見ながら。

「あ、あのですねっ!」
 クローブは椅子に座ると、大声を出した。
 どうやらこの犬にローリエが見つかってしまったようだ。ローリエは犬の大声に驚いて部屋から去ったが、未だ犬の警戒は解けないらしい。(動物にはローリエが見えるのかな??)などと、ハインツの正体を知らないクローブは思った。
「あの、オレ…お話ししたいことがあるんですよ」
「何?」
 ラッセルはクローブの方に身を乗り出してきた。
「それは、一体どんな話だね?」
「オレ…犯人、知ってる、かもしれないんです」
「ほう」
 真剣な表情でますますラッセルは身を乗り出してきた。微かに目が光っている。ようやく情報らしい情報にありつけるかもしれないのだ、無理もないだろう。
「それは、一体…誰かな?」
 初っぱなから本題を、ラッセルがきいてくる。
「あの、リッズさん…です」
 心臓がドクドクと言い出すのを感じながら、クローブは口を開いた。昨日、頑張って考えた嘘情報を頭の中でおさらいする。しかし、緊張する。何せこれから守護神官を騙そうというのだ。
 もしばれたら…。放校ものかもしれない。

「キミは何故、そう思うんだね?」
「あ、はい、実は、オレ…見たんですよ」
「見た…?」
 ラッセルの目がキランと光る。
「あの晩、リッズさんが校長先生と話してるのを!」
「本当かね!?」
「は、はい」
 俄然、ラッセルは食らいついてきた。ここに来て初めての有力情報だ、無理もないだろう。…嘘だが。
「その時の話の内容は聞こえなかったか?」
「い、いえ…あ、でも少しだけなら…え、と、『やっと見つけたぜ…』とかリッズさんが言ってて、校長先生が『頼むここは見逃してくれ…』って…」
「む…ッ。怨恨か?」
 フム…と考え込むラッセル。眉間にシワが寄る。
「それとも、組織絡み?」
「ラッセル、刑事小説の読み過ぎですわ」
 バカにした口調でフロールァが言う。
「借金の催促かもしれませんわよ」
「しかしそれなら殺されるのはリッズの方じゃないかなあ」
 腑に落ちない、といった感じでラッセル。
「…………で?」
 またも話をふられて、気持ちを落ち着かせようとしていたクローブは飛び上がった。
「は、はぃい?」
「そのあとは?どうしたんだ?」
「え、えと、あの、リッズさんが校長先生の首を絞めて」
「首を絞めた!?」
 フロールァとラッセルの声がハモッた。
「死因が食い違っているな」
「刃物でとどめを刺したのかもしれませんわ」
 二人の言っているのをきいて、クローブはようやく昨日見た校長の死体が血まみれだったのを思い出した。
「あ、そ、そこで、怖くて部屋に逃げ帰っちゃったんでっ、そのあとは分かりませんッ」
 必死で続けると、ラッセルは再び考え込んでから、
「それは…何時に、どこでだ?クローブ君」と聞いてきた。
「え…あ、えっと」
 クローブは顔を引きつらせた。
 そういえば、校長が死んだ時間は、守護神官たちには分かっているのだろうか?もしここで校長が死んだあとの時間を答えてしまったら、嘘がばれて大変なことになる。
「時間は、ちょっと…寝付けなくて、外に散歩に出たときで、時計を見ていなかったもので…場所は、外の、大時計の下です」
「ふうん」
 ラッセルは細かくうなずいた。
「あ、あの…お、オレ、怖いんです!殺人者と一つ屋根の下で…お願いです、あいつを連れて行ってください!オレ、裁判で証言でも何でもしますから!」
 リッズさえこの学校から去ってくれればこっちのものだ。裁判は「勘違いだった」とでも言ってバックれればいい。とりあえず一旦リッズを遠ざければ、あの黒い悪魔が次の指示をくれるだろう。
「いや、それは出来ないよ」
  しかしラッセルはあっさり言った。
「ええっなんでー!?」
「もし、リッズが犯人じゃなかったら、それこそ殺人犯と君たちを一つ屋根の下に残したままここを去ることになってしまう。彼を連行するのは、彼が犯人だともっとはっきり分かった時だけだ」
(そんな…)
 がっくり来て、クローブは肩を落とした。あんなに一生懸命考えたのに結局無駄だったのか、守護様に嘘までついてしまったというのに。
「とりあえず、今日はもういいよ、部屋に戻っていてくれ。あとでもっと詳しい話を聞くかもしれん」
「は、はあ」
 どうしようどうしようと考えながら、クローブは席を立った。そのまま部屋を出る。
 あと、リッズをここから追い出すには、どんな方法があるだろうか…。

「彼は嘘をついているな」
 クローブが去ったあと、扉を見ながらラッセルが言った。
「あら、何故わかるんですの?」
 と、フロールァ。
「大時計の下で、校長が殺されたと言ったろう、しかし、時計の下には血痕がほとんどなかった。校長は時計の下で殺されたんじゃないよ、どこか別の場所で殺され、そしてあそこに吊されたんだ」
「あの子は、時計の下で校長が殺されたとは言っていませんわ、ただ首を絞められていたのを見たと」
「どうだろうな、校長が誰かと会う約束をしていたのは11時半なのだろう。もしその相手がリッズで、そんなに物騒な相手だと分かっているなら呼び出しに応じたろうか」
「物騒な相手とは知らなかったのかもしれませんわ」
「顔を合わせたときに、ひどく動揺していたと、カルダモン教諭の証言がある」
 リッズが学校に現れたときに、そういえば校長が変だった…と、昨日思い出したようにカルダモンが言っていたのだ。
「11時半に会って、口論して、感極まって首を絞められ?逃げて、捕まって、殺されて、吊されて、30分で足りるか?そう、それに大事なことを忘れているぞ、ビーマス」
「なんですの?」
「例の時計工だ。あいつは、ずっと大時計の修理をしていたんだろう?だったら自分の下で誰かが口論して首を絞められていたなんて、いくら何でも気付いたはずだ。何もなかったと、あの男は言っていたぞ。共犯で嘘をついているのでもなければな」
「そうでしたわ」
 ぽん、とフロールァは掌を打った。
「とにかく、あの子…クローブ・ガーリックは要注意だな。ルームメイトが実家に戻っていて留守だというのも、気になる」
 そのとき、ハインツがまたしても、何もない部屋の片隅に向かって吠えた。

(わわわ、ばれてる…)
 当然、ハインツが吠えている対象は、クローブが部屋を出た代わりにふたたび立ち聞きにやってきたローリエだった。
 犬に吠えられる恐怖から、また逃げ出したくなったが、そういうわけにもいかない。自分が無害であると証明するために土下座のポーズをとってみたり、犬が相手だということを思い出して腹を見せてみたり、自分の姿が人には見えず、襲われる心配もないときでないとできないようなことをしてみせる。
「どうしたんですの?やっぱり悪魔でもいるのかな」
 必死の訴えにハインツは大人しくなったが、今度はフロールァのその一言にぎくりとした。
(悪魔…ぼくも悪魔の仲間入りなの? そうだよね、結局なしくずしに悪魔払いのリッズさんを追い出そうとしてるし。だって人殺しが怖いんだもん…)
 色々なことにショックをうけながら、彼の中ではもはや、闇王に協力する理由もリッズに協力する理由も、よく分からなくなってきていた。
 ともあれ、今は目の前の取調べに聞き入ることである。
「次は…」
 ノックの音の後、入室してきたのは金髪と黒髪の対照的なコンビだった。
「ヴァニラ・エッセンです…」
「級長のグリッセ・ニートロです」
 学園一、清楚なこの美少年たちに、フロールァがひそかに喜んだのをラッセルは瞬時に見てとり、足を蹴飛ばして発言を禁じた。
「さて、ではいくつか聞かせてもらうが…」
 校長が殺された晩はどこで何をしていたか、変わったことは見聞きしなかったか、何度もくりかえした質問を口にのせる。
「あの晩は、点呼して消灯のあと、すぐに眠りました。私は眠りが浅いので、しばらくうとうとしていたと思いますが、何も変わったことはなかったと思います」
 質問には主にグリッセが答えた。おとなしそうな少年で、他の生徒同様、不安げではあるが凛としたものがある、とラッセルは感じた。
 対してヴァニラは友人の言葉に頷き、肯定するだけで、他に何かをつけ加えるようなことはしなかった。校長の死に衰弱しており、これはカルダモンと同じタイプだな、と分かる。パプリカはやはり異常だったようだ。
「次の朝、君は先生方と一緒に校長先生を探した?」
「ええ、でも見つからなくて…あのときにはもう、校長先生は…」
 ふたりの少年は、痛ましい表情で足の爪先に視線をやった。
「まあ、悲しい事件だが…。ところで、校長先生を恨んでいた人や、校長先生が何かトラブルにまきこまれていた、ということに心当たりはないかな?」
「さあ…」
 期待はしていなかったが、やはりふたりは首をかしげるだけだった。
「あ、でも。こんなことを言うのはためらわれますが、怪しいのはリッズさんでは?」
 おそるおそる、というようにグリッセがつけたした。
「グリッセ!なんてことを言うの」
 ヴァニラが驚いて親友をたしなめたが、ラッセルはこれを聞き逃すわけにはいかなかった。
「ほう、それはどうして?」
「いえ、強い根拠はありませんが、あの方が来た途端、校長先生があんなことになって…。それに、食堂で一緒にいるのを見かけたときなど、校長先生はあの方にずいぶん遠慮があるように見えました」
「リッズと校長がどういう間柄だったのか、よく分からなくてね。どうも彼が現れたとき、校長先生はかなり動揺したようだが…どう思う?」
「さあ…隠し子とかですか?」
「グリッセ…!」
 今度はヴァニラは祈りの言葉すら口にした。彼にとって邪推は重い罪なのだろう。
「隠し子か…」
 ラッセルは、リッズが「親はいない」と言っていたことを思い出した。借金取りよりはありえる路線かもしれない。
「身分や地位のある人にとって、珍しい話ではありませんね」
 それまでとはどこか温度の違うグリッセの一言に、守護神官はなんとなくひっかかった。
「グリッセ…ニートロ? もしかして君のお父上は都のニートロ卿?」
 ぴくり、と黒髪の美少年の眉が動き、次の瞬間、彼は冷徹そのものになっていた。にも拘らず、その口元に浮かぶのは微笑だ。
「ええ、そのようですね。それで、質問は終わりでしょうか。退室しても?」
 ほとんど返事をもらう前から、グリッセは席を立って扉に手をかけていた。あわてて詫びを呟きながら、ヴァニラがその後を追う。
「ゴシップに疎いですわね、ラッセル」
 扉の向こうで足音が去っていくのを確認してから、フロールァは冷たい視線を同僚に送った。
「名門ニートロ家の一子といえば、庶子ですわ」
「…失言だったようだな」
 貴族の後継ぎになるべき息子を、こんな田舎の学校に入れているのだ。その関係は推して知るべしだろう。
 その背後で、ローリエもうしろめたい思いでいっぱいになっていた。
 いつも穏やかで優しいグリッセのあの態度だ。よほど父親が嫌いなのだろう。そもそも、この学校には色々な家庭の事情をもった生徒がいるので、あまりそうした話題はふれられない。
 ローリエには実家があるが、それは幸いなことである。パプリカは謎めいてよく分からないが、ヴァニラは両親がいないはずだ。
「ふむ、それにしても、信憑性こそないが、ふたりもの生徒がリッズを怪しいと言ったぞ。気がすすまないが、もう一度あいつを問いただしてみるべきかな」
「ですわねー」
 どうやら、細工などしなくても、闇王の思惑どおりリッズが疑われそうだ。だからといって嬉しくなれるはずもなく、ローリエは複雑な気分でその部屋を後にした。

 一方、取調室から退室したクローブは、廊下の角をまがったところで馴染みの赤毛に待ち伏せされていた。
「どうだった?」
「わ。パプリカ…」
 下手な嘘をつきおえて、まだ心臓がマラソン状態のクローブは、とっさに答えられなかった。
「なんだか馬鹿みたいに当り障りのないこと聞かれた気がするけど。どんなこと話した?」
「えー…どんなことって、誰が怪しいかとか…」
 というよりそのことしか言わなかった。リッズが校長を殺したに違いないということ以外、口にした覚えはない…が、それもとうてい役にたったとは思えない。
 困ったな、とあらためて頭をかかえそうになったクローブに、そのときとある閃きが訪れた。
「怪しい人? 誰か心当たりあるの?」
「そ、そうそうそう!俺、リッズが怪しいと思うんだよ!」
 勢い込んで力説する。守護神官を騙せなくても、生徒たちの間に噂を流せば、すくなくともいづらい立場にはなるだろうし、守護神官も少しは考えなおしてくれるかもしれない。
 ところがパプリカは、いかにも疑わしげに眉間をせばめてみせた。
「リッズさんが? なんで」
「だって、怪しいよ。あの人が来た途端、校長先生は落ち着かなくなるし、食事時間に神殿内をうろついてたりしたし、いきなり校長先生が殺されるなんて…」
 他にも先ほどラッセルたちに言った嘘をまぜるべきか、一瞬迷ったクローブだったが、パプリカがそれより早く反撃してきた。
「リッズさんは犯人じゃない」
 静かだが芯のある声である。
「…え?なんで?」
 勢いをそがれて、呆気にとられたように問い返すと、パプリカはゆっくりとした瞬きをした。その間に、何と答えたものか悩んでいるようにも見えた。
「だって、あれだけ重い校長先生をぶらさげる作業、ひとりではできないでしょう。単独犯じゃない。もっとも、共犯者が学校内にいるのなら別だけど…」
「え!?」
 うろたえたクローブに、パプリカはにやりと笑った。
「リッズさんが一番親しくしてたのって、クローブみたいに見えたけどねぇ」
「ええっ!? そ、そんな!俺が共犯だっていうのか?」
「もしくは、先生方が全員結束して嘘をついてたとか。それが一番きれいな形になる気がするな。校長先生が、自分の食費のために人員削減をとなえだしてさ。抗議の殺人」
「パ、パプリカ、そんなこと言ってたら罰則くらうぞ」
 失礼だとか不遜と考える前に、罰則を気にするあたりが悪童たる証左である。
 パプリカは気にせず、軽やかな口調で続けた。
「あるいは、単独犯の場合…人間以外の力を使えば、どうにかなるだろうね」
「人間以外!?」
 脳裡に黒い悪魔の笑みが浮かび、クローブはぞっとした。
「そそそんな、そんなことあるわけないじゃないか。何言ってるんだよパプリカ、人間以外なんて…」
 それまでに増して挙動不審になったクローブを訝しげに眺めて、パプリカは当然のようにくりかえす。
「どうして。人間の力じゃ無理だよ、あれは。だから…」
「も、もういいよ!ご高説ありがとうございましたぁ!」
 これ以上は耐えられないとばかりに逃げ出したクローブを、パプリカはぽかんとして見送った。
「何がそんなに怖いんだ…?」

 首を傾げつつ、頭を掻く。ただ、歯車や滑車を利用した道具を用いれば、一人でも出来るかもしれないね、とそう言おうとしただけなのに。
 だが、あの校長を持ち上げるとなると、相当大きな装置が必要になってくる。パプリカはそんな物にはまったく心当たりがなかったし、また校内にそんな大きな物を隠しておけそうな場所にも心当たりはなかった。

 一方、走り出したクローブは、またしても背後から引っ張られるような引力を感じて、肌が総毛立った。
 エルディークだ。
「うわーもう、いやーあーもう」
 せめてもの抵抗とばかりに泣き叫んでみたが、闇王の呼びつける力はかなり強く、足が勝手にくだんの地下室に向かって動き出してしまう。廊下には殆ど人は居なかったが、自分がバカみたいに思えて、クローブはウッウッと涙を拭きながら、泣くのをやめた。
 地下室に続く扉の前に着くと、もう親友はそこに来ていた。二人で申し合わせたように、だが無言で階段を下りる。
 そして、長い長い闇の通路を下っていったあと、四度目の、あるいは五度目の悪魔との対面が待っていた。

「…で?首尾の方は?」
 全く期待していないような口調で、悪魔が口を開いた。軽く諦観の雰囲気が漂った表情。
「あ、あの」
 取調室内で全ての話を聞いていたローリエが、受けて答える。
「リッズは、疑われてる…みたいです」
 一応、と付け足しながら。ローリエは取り調べの時のことを、事細かにエルディークに説明した。
「…ほう。で、いつだ?リッズがここを出ていくのは。あと一時間後か?二時間後か?」
「それは…」
 青ざめるクローブ。
 守護神官達は、リッズが犯人だとはっきりしない限りは彼を連れ出すことはしないと、きっぱり言った。ということはとりもなおさず、近日中にリッズが出ていく可能性は薄いと言うことだ。この目の前の悪魔に寄れば、リッズは犯人ではないということだし、そんな彼を犯人に仕立てるのは容易なことではない。また、仮にリッズが守護神官と一緒に去っていったとしても、守護神官達の言ったとおり、真犯人は校内に残ることになるのだ。それもまた恐怖である。
 クローブは、校長を殺した犯人が、どうかリッズであるようにと切に願った。
「魔物の血をもつ者まで来ているようではないか…犯人探しのために神殿に飼われている獣だろう。何故それで犯人が分からないのだ」
 いらいらとした口調で、エルディークが言う。
「あ、それは…」
 クローブはうつむいていた顔を上げて、エルディークに説明した。おそらく、強大すぎる力を持つエルディークがここにいるせいで、彼の鼻が利かないのだと。魔界の力関係のことはよく知らなかったが、冗談交じりに守護神官が言っていたセリフから察するに、そういうことなのだろう。
 闇王は舌打ちした。
「我が力が徒になったか…全く、今まで生きていた中で、ここまでイライラさせられたのは初めてだ」
 少々口調が愚痴っぽくなってきているのに、ローリエとクローブは軽く驚き目を見張った。
「貴様らに分かるか?私の心境が…100年待ったんだぞ。100年待ち尚…ああ、ことはさほどに難のないことであるのに、何故私はこんなところで手をこまねいているしかないのだ!?この力が災いとなり、また更に100年もの時を過ごすのはもううんざりだ!!」
 今まで静かに言の葉を紡ぐエルディークしか見たことがなかっただけに、急に愚痴を言い出した彼に、少年達は硬直して口も相づちも挟めず、ただ見ているしかない。もしかすると限りなく恐怖な局面であるのかもしれないのに、彼らは胸の奥にどこか愉快な、おかしいようなくすぐったさを感じ、笑い出したいのをこらえていた。もしかすると緊張感が限界を超えたのかもしれないが。
「決めたぞ」
 尊大にして、非の打ち所のない整った(しかし片目しか見えない)顔でクローブ達を見下ろし、彼はのたまった。

「その事件は私が解決しよう」

続く